田園風景博物館 The Museum of Country Landscapes

イギリス館 The United Kingdom

18 Forest

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1 ForestまたはWood(s)

日本語に「森」と訳される英語に、ForestとWood(s)がある。英英辞典やていねいな英和辞典に「Wood(s)よりForestの方が規模が大きい」と解説されており、Forestは、ある一定の規模が前提になっている。が、双方の境界は明示されておらず、我々日本人にとって、両者の違いを明快に理解するのがむずかしい。ちょうど、我々が「森」と「林」という言葉を微妙に使い分けているのに似ている。

 語源を調べてみると、Wood(s)は古代英語の`widu' `wudu' で、さらにその前は古代ゲルマン語の`widu'にさかのぼるという。`widu'は現代ドイツ語で森林を意味する`Wald'の語源でもある。ローマ人と入れ替わりに大ブリテン島に侵入してきたのがゲルマン系のアングロサクソン族だから、彼らが持ち込んだ言葉だったのだろう。

 一方、Forestは一三世紀にラテン系の`forestis'が古代フランス語を経由して、英語に取り入れられたという。つまり一一世紀に征服王ウィリアム一世がイングランドを征服した後の言語である。ラテン語では`foreign'(外国)の語源とも共通しており、Forestには「居住地域の外」といった意味が含まれ、都市とか文明に対置される概念である。一方のWood(s)では、むしろ「生命の根源」とか「野生」といったイメージがひろがる。

 かくして、Forestにしても、Wood(s)にしても、森という存在には、征服者と被征服者、統治する者と統治される者という階級差が隠微な影を落とし、秩序に対する無秩序や混沌、都市とか文明に対する野生、退廃に対する若い生命力といった象徴性が複雑に入り組んでいる。

2 ロビンフッドの森

というわけで、イギリスには森が主題となっている文学作品が少なくない。古いところでは、例のロビンフッド物語がある。英雄が出没するのはシャーウッドの森。イングランドの中央、ノッティンガム周辺が物語の舞台である。ロビンフッドら森に住む盗賊たちはアウトローであり、また、ときに強きをくじき、弱きを助ける民衆にとってのヒーローでもあった。

 一方、統治する側にとっての森つまりフォレストは、農民の無断侵入を禁止し、同じ階級の友人どうしで鹿狩りを楽しんだ場所だった。

 統治する側にとっても、統治される側にとっても大切な存在だった森は、一六世紀以後、瞬く間に痩せ細っていった。ヨーロッパ大陸より遅れていた自前の製鉄業、製塩業、煉瓦製造業などが本格化すると、森の木が大量に消費された。とくに、世界の海を制覇するための戦艦や輸送船には、成長したオーク材を要した。その一方で、囲い込み運動を進める大土地所有者たちは、農地拡大のため、残り少ない森を惜しみなく伐採していった。

 一八世紀後半からの産業革命でエネルギー源が木材から石炭に代わったものの、農民たちは、日常の燃料である薪にも事欠くようになっていった。

 元来森を我がものと考える農民たちは、森の祭り、五月祭を盛大に祝った。キリスト教以前の土俗的な習慣である五月祭には、生命力復活の願いが込められた。雇われの身で、ふだん自由な時間を持たない若い男女は、祭りの日に森に入って互いに結ばれたともいう。

 上流階級は、相変わらず狩猟のために森を維持したが、獲物は鹿に代わって狐や雉になり、ゲームキーパー(森番)を雇って森を管理し、いずれはその命をねらう動物たちの保護につとめた。歴史的に、誰がイギリスの森を護る功労者だったか、議論の分かれるところである。

 

3 チャタレー夫人の森

現代文明のもとで、あらためて森の意味を問い直した文学者がD・H・ロレンス(1885-1930)であり、その代表作が、例の『チャタレー夫人の恋人』である。

 ご存じの方が多いと思うが、物語はこうだ。チャタレー夫人の夫、すなわちチャタレー氏は第一次大戦中、戦場で負傷し、性的能力を失う。経済的、社会的に何不自由のない夫人は夫の黙認のもとで上流階級の男たちと交わるが、なかなか満足できない。しかし、森の中で、チャタレー氏に雇われている森番の男に出会い、はじめて真の満足を得て、その男の子を宿し、チャタレー氏のもとを去っていく … 。大胆な性描写が随所に登場し、翻訳出版で裁判沙汰にもなった作品だが、上流階級のチャタレー氏と対照的に描かれたのは、森の象徴としての森番であるのはもちろんだが、さらに作家自身でもあったと思うのである。

 作家の出身地は、前述のノッティンガム、かつてシャーウッドの森に覆われていたところである。いまでこそシャーウッドの森はかなり痩せ細ってしまったが、それでも、一部にかつての面影が残っているという。やはり、しばしば森を主題にしたヴィクトリア時代の作家トマス・ハーディ(1840-1928)を尊敬したロレンスは、生涯、森について思索を止めることはなかった。入学した大学も地元のノッティンガム大学、彼は、そこで教授夫人と駆け落ちしている。彼は、まさに既成階級に挑戦する若者として、生命の根源に迫ろうとした … 。

 

4 現代の森林管理

自然科学の対象としての森林あるいは森林地帯をWoodlandという。イングランドがノルマン人に支配されるようになった一一世紀の森林面積は、すでに、国土の一五lしか残っていなかったと推定される。その後、植林と伐採が繰り返され、一九〇〇年の森林面積は五lまで縮小していた。

 そして、国家目標として森林面積の拡大策が掲げられ、森林局(Forestry Commission)が設けられたのが第一次世界大戦後の一九一九年、今日の森林面積は一〇lまで回復している。ただし、フランスの二七l、少々データが古いが、西ドイツの二九l、そしてわが日本の約七〇l近くという森林面積と比べると、まだまだ課題が残っている。

 それだけに、英国政府の木材自給率回復にかける意気込みは並大抵ではなく、環境面や文明観から、市民の期待も大きい。

 私がたびたび訪問してきた森は二カ所、一カ所はイングランド中部の、以前ご紹介したビュードレー近くにあるワイヤー・フォレスト、もう一カ所はロンドン大学ワイ・カレッジの演習林である。前者の場合、フォレスト・センターで来訪者を受け入れ、フォレスト内にトレッキング・コースやマウンテンバイク・コース、乗馬コースが縦横に設けられていて、市民に絶好のレクリエーション空間を提供し、定期的に林間教室も開かれている。後者では一本の幹の途中から若枝を育てる幹仕立て(pollard)や、根元から若枝を群生させる株仕立て(coppice)といった伝統的な木材育成の方法を引き継いでいる。

 いずれのフォレストも、部分的に生育が早い針葉樹の育成に力を入れており、景観は日本の山林とあまり変わらない。スコットランドを旅しているとき、あまりに日本の針葉樹林と似ているので、土地の人に樹種を聞いたら、驚いたことに、日本人の指導で植林したのだと説明され、二、三人の林学者の名前を列挙された。

 イギリスの樹木で感動するのは、教会の敷地内などに生育しているオークなど落葉広葉樹系の大木である。また、ワイ・カレッジの構内にある美しい赤い木肌で、日本と同じ小さな赤い実をつけたイチイ?は、二、三人で抱えなければならないほどの大樹だった。イギリスでは森だけではなく、身近な樹木が、一本一本宝物のように大切にされているのである。

 

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