田園風景博物館 The Museum of Country Landscapes

イギリス館 The United Kingdom

2 Garden

Click!
 

1 癒しのガーデン

イギリスの田園を旅するものは、まず、家々のまわりに丹誠込めて育てられている季節の花々に目を奪われてしまう。地植えあり、窓辺には植木鉢あり、そして家の壁や垣根、街灯、橋の欄干にまでぶら下げられた花バスケット … どこまで行っても、花、花、花だ。日本を離れて、遠い国へやってきたことを実感する一瞬だ。イギリス人をして、ここまで花を慈しませるものは何だろうか。

 花を育てることをガーデニングGardeningという。これも、前回紹介したコテージと同様、第二次世界大戦後に盛んになった田園回帰の一環である。

 19世紀、イギリスの人口の大半を占めていた農業労働者の生活、それは農園や森に囲まれた小さな家、コテージに住み、激しい労働に従事するかたわら、家のまわりのささやかなガーデンで野菜を育てて家族を養い、花を咲かせて通りがかりの隣人の目を慰めた。

 ガーデンも、日本語に訳しにくい言葉だ。たとえば、つぎの文章はベアトリックス・ポターの童話『ピーター・ラビット物語』に出てくる一節である。

`Now, my dears,' said old Mrs. Rabbit one morning, `you may go into the field or down the lane, but don't go into Mr. McGregor's garden: our Father had an accident there; he was put in a pie by Mrs. McGregor.'

「ある朝、ピーターのお母さんは子供たちにいいました。『原っぱや田舎道の方ならいいけど、マグレガーさんのgardenにだけは入ってはだめよ。お父さんは、うっかり、あそこで捕まって、奥さんに料理されてしまったんだから … 』」 

 さて、この `garden' を、どう日本語に訳したらよいか。

 ふつうガーデンには「庭」「庭園」などの日本語を当てている。じつは、このあといたずらっ子のピーターは母親の注意を忘れてマグレガーさんのガーデンに入り込み、レタス、インゲンマメ、ニンジンをたらふく食べるのだ。つまりガーデンの実態は、「畑」か「菜園」なのだ。もしそこに花が咲いていたら「花壇」と訳さなくてはならない。

 ガーデンはコテージの住人、つまりコテージャーにとって、やはり借地だった。ただし広い農場Fieldではジェントルマンやファーマーが経営方針を決めるが、ガーデンではコテージャーが自由に野菜や草花を育てることができた(借地料を支払ったかどうかは歴史家によって意見の分れるところだが … )。生産性至上主義の農場では作目が画一化されがちなのに対して、生活に密着したガーデンの花や野菜は種類が多い。童話の一節に登場したガーデンは明らかにこのコテージ・ガーデンであり、自ら耕すマグレガーさんはコテージャーつまり農業労働者であって、ファーマーや、ましてジェントルマンではない。

2 ヴィクトリア時代の田園生活

19世紀、村びとはよくガーデンの収穫物を自慢しあった。かつて村をあげての最大の催し物は花や野菜のコンクール、フラワー・ショーだった。コテージャーとその家族はショーを目指して、野菜や草花の品種改良に情熱を燃やした。いまでは私たち日本人にも身近なパセリ、キャベツ、タマネギ、トマト、チューリップ、カーネーション、バラ、ヒヤシンス、ダリア、三色スミレなどは、もともとコテージャーのガーデンで改良されたものだ。

 ガーデンの作り主をガーデナーGardenerという。ピーターが母親の忠告を忘れて入り込んだガーデンの作り主すなわちガーデナーはマグレガーさんだ。職業をあらわす「庭師」と訳してしまったら、誰のことだか分からなくなってしまう。

 ジェントルマンの広大な屋敷はパークPark、その一角にもガーデンをしつらえるが、ハウス・ガーデンと称してコテージ・ガーデンと区別し、様式も異なる。幾何学的なデザインはヨーロッパ大陸の強い影響を受け、建物や垣根で囲んだ場合は、コートCourtと称される。ジェントルマンは直接土や植物に触れないから、ガーデナーはあくまで使用人である。この場合は「庭師」と訳しても問題はないだろう。こちらでは、まず、キャベツやタマネギが栽培されることはない。先年亡くなった英文学者は「イギリスの庭園は政治的メッセージにあふれている」と指摘したが、それは、ジェントルマンのパークやハウス・ガーデンでのこと、コテージ・ガーデンはあくまでコテージャーこと住人の生活を支えるために存在したのだ。

3 イギリスの盆栽ブーム

イギリス人と話をしていて、花の咲かせ方や野菜の育て方が話題になったらコテージャー出身とみてよい。もし低木でも、高木でも、庭園に樹木を育てることを話題にする人がいたら、ジェントルマン出身とみてまちがいない … 。これは、あるイギリス人自身が、ジェントルマンとコテージャーの見分け方を紹介した一節である。

 理由はこうだ。花や野菜は一年以内に楽しんだり収穫したりできる。借地でも充分収穫に間に合う。ところが樹木はそうはいかない。樹木が成長するのに人間の生涯、場合によっては二世代、三世代という時間を要する。つまり土地という資産があり、それも代々受け継ぐことができるという保障がなくてはならない。大木に囲まれていたり、端正に刈込まれた庭木を配置できるのはカントリー・ハウスの敷地内である。コテージ・ガーデンではヘッジHedge(生け垣)がせいぜいだ。

 今日のガーデニング・ブームを反映し、大都市の郊外などで、よく大小の園芸センターが開かれる。ふだん閑散としている構内も、週末ともなればかなりの賑わいである。時間つぶしに覗いてみて感心したことがある。展示場の一角に図書コーナーがあってボンサイ、つまり盆栽に関する解説書が書棚にずらりと並んでいる。それも半端な量ではない。まさに本格的なのだ。手にとってページをめくると植木鉢あり、木挟みあり、植木そのものあり …、 懐かしい写真が満載されている。日本の本の翻訳だろうと著者を確かめて、また驚いた。日本人の名前なんかどこにもない。みんなイギリス人が書いた本だ。日本庭園や日本の盆栽の紹介もないわけではないが、彼らの記述の中ではかえって肩身が狭い。ボンサイ `Bonsai' 、それは東洋趣味というより、もはや世界共通の文化になっている。日本が懐かしいとか、日本の誇りだというより、かつて、柔道で日本代表がオランダ人に負け、ジュウドウといわれるようになったときと同じ気持ちだ。

 なぜ盆栽がイギリス人のこころをとらえるのか。

 ジェントルマンだったら土地は自分のものだから、高木でも、低木でも、自由に育てるがよい。ではコテージャーだったら … 、樹木を育てる夢はかなわない。樹木は大地を所有していなければ育てられないからだ。いや、コテージャーにとっても、それは夢ではない。東洋にボンサイという方法があるではないか … というわけだ。

 それに時間だ。ボンサイは、あの小さな樹木に宇宙や人生に匹敵する時間を凝縮することができる。時間こそ、イギリス人の美学の源泉だ。

 窓辺に鉢植え、これはもともとコテージャーの文化だと思う。フラワー・ショウに出品するのに便利だし、いざコテージを追い出されたとき、鉢植えなら持って行くことができた。フラワー・ショウはあくまでコテージの住人の祭りである。一方、ハウスの住人、つまりジェントルマンは鉢植えの必要がない。土地はいくらでもある。自慢したければ人を呼べばよい。第一、鉢植えを窓辺に置いたとしてもハウス自体が通りから奥まっているから、通り掛かりに「きれいですね」とお世辞をいってくれる人もいない。

4 ガーデン・シティの夢

19世紀末から20世紀にかけてエベネザー・ハワードは、産業都市の殺伐とした労働者用住宅街の改良案として「ガーデン・シティ(Garden City)」という考え方を提唱した。これは都市住宅一戸一戸の前面にガーデンを配置する市街地開発の方式で、当時すでに形成されつつあった中流階級に田園地帯で過した幼い日々を思い起させようというアイデアであった。伝記によればハワード自身は都会育ちだったが、田園地帯出身の夫人の里帰りに同行したとき、田園生活に対する人びとの心情を感じとってヒントにしたらしい。

 彼の理論は、明治末期から大正期にかけて我が内務省の官僚によって日本に紹介されたが、そのときガーデン・シティは「田園都市」と訳された。そして田園調布や成城といった当時の郊外住宅地が開発されていったのだが、それにしても彼らにとってガーデンは日本語に訳しにくかったにちがいない。ガーデン・シティが「都市と農村の結婚」と説明されていたこともあって、この翻訳になったのだろう。

 英語辞典は、ガーデンの形態を「コテージに付属し、周囲を囲まれたところ」と説明する。つまり低い生け垣(ヘッジ)か石垣(ウォール)で囲むのだ。ただしハワードがロンドン北部に実現したガーデン・シティには囲いがない。日本流にいえば、まさに公園の中の住宅群である。

 一方、我が「田園都市」では、個々の屋敷は高い塀で囲まれ、中の様子をうかがうことはできない。田畑をつぶして住宅地を開発しただけで、どこに田園生活との接点を求めようというのだろうか。

 そして、この極東の国でも、近年、イギリスにならってガーデニング・ブームだ。そのガーデニングはもっぱら花を咲かせることのようだ。本家イギリスの人々がガーデンで野菜を育て、花を咲かせて19世紀の祖先の生活を忍び、自己存在を確かめようとしているのに対して、極東のガーデニング・ブームは何を求めようというのだろうか。

 

イギリス館 The United Kingdom  

田園風景博物館 The Museum of Country Landscapes