田園風景博物館 The Museum of Country Landscapes

イギリス館 The United Kingdom

12 Bridge

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1 美しい石造りの橋

自動車でレーンやロードを疾走していると、ほとんど橋の存在に気づかない。スピードを出せば出すほど、そして、そのため緊張すればするほど、視界は前方の狭い範囲に限られる。レーンやロードの両側の石垣Wallがそのまま橋の欄干と連続していることが多く、また、舗装された路面もスムーズなので、橋を渡ったことを意識しないで通り過ぎてしまうのだ。しばらく行ってから、はっと気がついて引き返してみると、アーチ状に石を積み上げた橋を渡ったことを確認し、その、美しい姿に感動することになる。

 橋がつくられたのは、レーンやロードの開通と同時で、その多くが100年、200年、場合によってはもっと長い時間を経過している。当時の石造りの橋が世紀を超えて利用されているのだ。もちろん、そのときの石工たちの丹念な仕事によって、馬車の時代から今日の自動車の時代まで、立派に使用に耐えている。

 「イギリスの橋なんか、どこに行っても同じじゃないか … 」

また、当のイギリス人から冷やかされるかもしれない。しかし、日本の橋と、どうしてこんなに違うのか、考え込んでしまう。

 ここ数十年の間に架けられた日本の新しい橋を思い浮かべてほしい。感動できるような美しい橋が、どれだけあるだろうか。田園地帯を突っ走る新幹線の高架橋、大都市の高速道路、街路に架かる歩道橋 … 、あらためて、それらの無惨な姿に情けなくなる。田園風景の中の橋だってそうだ。日本では、田圃という低湿地農業が中心だから、橋の数ではイギリスに負けないが、日本の田園を旅していて、「美しい」と感動するような橋に出会うことはめったにない。

 日本では工業製品の鉄筋コンクリート橋や鉄橋、イギリスでは石造りのアーチ橋 … 、そんな材料や工法の違いばかりが原因ではなさそうだ。

2 Civil Engineeringと土木工学

橋を設計するのは、もちろん、土木工学者の仕事だ。橋ばかりではない。道路や港、そしてトンネルをつくるのも、彼らの仕事だ。土木工学は、英語で、Civil Engineering、というよりCivil Engineeringが土木工学と翻訳されたのだ。もちろん、機械工学、金属工学、船舶工学、電気工学、鉱山学 … といった、細分化された工学の一分野としてである。いったい、土木工学という翻訳語を考え出したのは誰なのだろうか。

 もともと、Civilという英語は、日本語に訳しにくい。辞書には「市民生活の」といった訳語がのせられているが、日本語としてしっくりしない。もし、Civil Engineeringを直訳したら「市民工学」とか「生活工学」としなければならなかったはずだ。こんな直訳を避け、学問内容をみて土木工学という翻訳語をつくりだしたのだろう。そのとき、Civil本来の意味を失ってしまったような気がする。

 工学の歴史の中で、土木工学は建築学と並んでもっとも古い工学分野である。産業革命を経て様々な工学分野が加わり、土木工学は、それら新しい工学分野と並列されて日本に入ってきた … 。Civilの本当の意味を理解するには、歴史的な背景にまでさかのぼらなければならない。

 Civilの反対語はMilitary、すなわち軍事とか、軍隊という意味だ。したがって、もともとEngineeringにはCivil EngineeringとMilitary Engineeringが対峙していた。Military Engineeringは城壁を築いたり、堀を掘ったり、後には大砲を設計したりした。この、いわば軍事工学とは対照的に、産業革命や農業革命の時代に、市民の日常生活や経済活動のために必要とされたのが、Civil Engineeringだった。そして、私がイギリスの田園地帯を旅していて感動するBridgeは、まさに、そのCivil Engineering最盛期の遺産なのだ。

 残念なことに、日本にはCivil Engineering本来の精神とか、技術が充分に伝わってこなかった。日本に根づいたのは、いってみれば中央集権的な国土工学であって、もっぱら官の論理で橋が架けられる。デザイナーの顔も、職人の技も見えない。日本中どこに行っても、同じように貧相な橋ばかりだ。市民による、市民生活のための橋ではないのだ。

3 橋は時空を結節する

かつて、日本でも、精魂込めて橋をつくった時代があった。橋は時空を結節する象徴だった。由緒ある寺院や神社を訪ねてみよう。参道を進むと、拝殿ないし本殿に到達する前に、必ずといっていいほど橋がかけられている。それも平らな橋ではなく、石造のアーチ橋のことが多い。先人たちは、工人たちがその技を誇った橋を配置することによって、俗なる空間と聖なる空間、あるいはこの世とあの世の結界としたのだ。若干の渡りにくさはあるものの、それは先人たちの美学の結晶だった。

 橋が単なる通路の一部というだけでなく、時間や空間を区切る象徴とみるのは、イギリスでも同じだ。

 18世紀、ちょうど産業革命が始まろうとしていたころに、こんな詩がある。

 A little straw hat with the streaming blue ribbons
  Is soon to come dancing over the bridge.
  [JAMES THOMPSON(1700-1748)DQ396-25]

当時の田園生活が目に浮かぶようだ。19世紀、いわゆるヴィクトリア時代になると、こんな詩だ。

 I stood on the bridge at midnight,
  As the clocks were striking the hour.
  [CESARE LOMBROSO(1807-1882)DQ236-8]

詩人は、空間の境界としての橋と、時間の区切りを重ねている。そして、20世紀、第一次世界大戦中に戦場で流行した歌の一節は、こうだ。

 Standing on the bridge at midnight,
  She says: `Farewell, blighted Love.'
  There's a scream, a splash - Good Heavens!
  What is she a-doing of ?
  [Song of the 1914-18 War DQ8-7]

 はたして、いま、われわれの身近にある、緊張感を欠いた橋で、詩は生まれるだろうか。

4 世界最初の鉄橋

バーミンガムの西方、イングランドとウェールズの境界一帯は、私がよくドライブを楽しんだ田園地帯だ。ロードマップでIronbridgeという地名を見つけて、さっそく車を疾ばした。それはセヴァーン川の上流に架かるアーチ状の鉄橋で、美しいというより無骨な印象を受けた。周辺は、この世界最初の鉄橋を売り物に観光地化していて、手回しよく博物館まで建てられていた。

 現在、鉄橋は歴史遺産として自動車は通行止めである。谷が深く、橋脚と橋脚の間隔が100メートルほどもあり、石造りでこれだけの大スパンをとばすのがむずかしかったのだろう。アーチ状の部材の表面に金文字が刻印されていた。

 This Bridge was cast at Coalbrook=dale and elected in the year MDCCLXXIX.

鉄橋といっても、鋳造された(cast)というから鋳鉄製なのだ。詳細を観察すると、たしかに、部材が連結されてアーチ状をなしている。建設されたのが1779年と読めるから、産業革命初期のエネルギーが結晶した、まさにCivil engineeringによる橋だ。

 最初の鉄橋をかけるには、天才的なコンセプト力を要したにちがいない。このコンセプト力が、後にトラス橋で有名なケベック橋を生みだし、サンフランシスコに金門橋を架けさせた。官僚国家日本には、代々、この創造力に富んだコンセプト力が乏しいような気がしてならない。

 

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