田園風景博物館 The Museum of Country Landscapes

イギリス館 The United Kingdom

9 Lane

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1 レーンは細道か 

せっかく美しいカントリーサイドを旅しながら、これまで、少々イデオロギーや国際関係にこだわりすぎたかもしれない。これからは、できるだけ純粋に田園風景を楽しみたい。

 さっそくカントリーサイドのドライブにお誘いしよう。幹線道路から分かれて、カントリーサイドに深く分け入ると、道路が細くなる。細くなった道路をレーンLaneという。ヴィレッジとヴィレッジ、あるいはヴィレッジとフィールド、フィールドとフィールドを結ぶ道路である。

 レーンは両側をヘッジ(生け垣)やウォール(石垣)、ときにはコテージに挟まれている。このように、何らかの障壁に挟まれて一定方向に開けている道路がレーンだ。もちろん、レーンは、田舎道だけではない。高速道路のような幅員が広い道路で通行区分されている場合の車線もレーン、広い海や大空で船や飛行機の通行範囲が制御されている場合もレーンという。ボウリング場の溝と溝で区切られた、ボウルを転がすコースもレーンである。抽象化すれば、両側を障壁等に挟まれ、進行方向をコントロールされた、比較的狭い道路ないし通路をレーンという。

 カントリーサイドのレーンの場合、幅員は自動車一車線分か、せいぜい車二台がやっとすれ違える程度である。19世紀、ヴィクトリア時代の感覚に帰れば、馬車が規準となる。レーンには芝生が生えた路肩が付属していて、すれ違う車が、スピードを緩め、互いに片方の車輪を路肩に乗り上げながら、相手をやり過ごす程度の幅員といったらいいだろうか … 。20世紀、自動車の時代になって路肩までくい込んだ路面がアスファルトで舗装されると交通量も増え、俄然、車のスピードが速くなった。

 レーンがヴィレッジを通過するとき、両側にコテージが建ち並んでいたらレーンとはいわず、ストリートStreetという。もちろん大都市の商店街やビル街の道路もストリートである。

2 道路の階級

イデオロギーにこだわるのはやめることにしたはずなのに恐縮だが、道路にも階級がある。レーンより幅員があって、カントリーサイドの中心地、タウンTownとタウンを結ぶような主要道路はロードRoadという。イギリスで、単にロードといったら、往復二車線以上の幅員をもった幹線道路を思い浮かべる。レーンより狭くて車が入れず、歩行者が行き交う程度の狭い道はパスPathないしトラックTrackという。19世紀のヴィレッジの住人にとって、レーンやパスは日常の道路、ロードは、ガーデンの収穫物や森の幸を売りにタウンに出かけるための晴の道路だった。18世紀から19世紀にかけて進行した産業革命とともに交通手段が大きく進歩し、道路の階層分解が進行した。地形的に緩やかな丘陵地帯が連なっているイギリスでは、早くから馬車が発達した。この馬車がもとになって、道路の階級も、エンジン自動車の規格も定まっていったとみられる。

 レーンの日本語訳をどうするか、かつて、私はずいぶん悩んだことがある。ふつう日英辞書には「細道」と載っている。英英辞典の 'a narrow road' をそのまま日本語に訳したのだと思われるが、前述のようなレーンとロードのイメージの違いを理解できるだろうか。

 私の愛読書『奥の細道』の英訳者はどうしたか。'The Narrow Road into the Deep North' ― さすがである。芭蕉が、弟子の曽良と旅したのは宿場から宿場までの街道、車がすれ違えたかどうかは別にして、格としてはあくまでロードである。けしてレーンではない。

 このように英語と日本語を行き来してみると、レーンを安易に「細道」と訳すわけにはいかない。「レーン」と日本語に直接英語を取り入れても、読者はその実態を容易に思い浮かべることはできないだろうし、辞書にあるように「細道」ではパスやトラックと区別できない。私はそのローカリティに着目して「里の道」「田舎道」などと訳してみたのだが、いかがか。

 地形的に、日本ではあまり馬車は発達しなかった。荷車を利用したのは町中のことだ。馬車といった人工の交通手段が道路の発達を促すことはなかったのだ。せいぜい、馬や牛の背中に荷物をくくりつけたくらいだ。だから、近世になって道路の整備状況を表さなくてはならなくなったとき、もっぱら「馬踏○○間(尺)」と、馬の通行可能幅が規準になった。言葉にはいわゆる文化の違いが背景にあるのだが、必ずしも英語学を専門としない私はレーン一語の翻訳にノイローゼになるくらい悩んだものだった。

3 くねくね曲がるレーン

レーンとロードの差は、コースの形状にもあらわれる。ロードが比較的直線コースをとるのに対して、レーンは、一般的にくねくね曲がっている。「くねくね曲がっている」という英語表現は'Winding' である。

 なぜ、レーンはくねくね曲がっているのか ― パブで現地の人から声をかけられとき、この質問をしてみた。さあ、大変。まわりに人が集まってきて、大議論になってしまった。彼らの心の琴線に触れる質問をしてしまったらしい。どうやら、「イギリス人はひねくれているから … 」「いや、酔っぱらいが歩きやすいように … 」「車がスピードを出せないように … 」「日本のように政府には金がないから道路を改修できない … 」と、もっともらしい理由が列挙されていった。

 ま、あまり理屈は必要ないだろう。丘陵や小川の地形にしたがって、あるいは、すでに存在する樹木や住戸を避けながら、レーンは曲がるのである。この、現実に合わせて、柔軟に対応しながら自らの姿勢を貫く ― これがイギリス人の人生観にぴったりなのだ。社会の矛盾は矛盾として、できるだけ受け入れながら妥協点を探る。アメリカ大平原を突っ走る直線道路や日本の補助金漬けの区画整理道路は、イギリス人の性に合わない。

4 懐かしのレーン

レーンは曲がっているのだが、かといって、まっすぐなレーンがないわけではない。かのヴィクトリア時代、農業投資にかけるジェントルマンの中には、圃場区画を整え、レーンをまっすぐに引き直す者も続出した。でも、当時はそんな無理をしても農業は斜陽産業の地位から脱却できなかった。カントリーサイドのレーンをドライブしていて直線コースに出会ったら、そんな強者どもの夢の跡ならぬ、ジェントルマンの夢の跡の名残かもしれない。

 引用句辞典を調べていたら、つぎのような詩の一節が紹介されていた。

  There'll always be an England / While there's a country lane, / Whatever there's a cottage small / Beside a field of grain.(「いつも、懐かしく思い出されるイングランド。田園にはくねくね曲がったレーンが伸び、波打つ麦畑の脇にはひっそり、小さなコテージ。」)

 これを勤め先の同僚のイギリス人に確かめたら、思いがけないことに彼は小声で歌い出した。そして第一次大戦中に戦場の兵士たちの間で大流行した歌だと解説してくれた。イギリス人にとって、カントリーサイドという原風景を構成する重要な要素として、レーンはなくてはならない存在なのだ。第二次大戦中、中国大陸や南方の島々に散っていった日本の兵士たちも、そっと「兎追いし、かの山 … 」「夕焼け小焼けの赤蜻蛉 … 」と口ずさんでいたことだろう。

 日本にやってきて久しい同僚に「イギリスの田園風景が懐かしいでしょう」と誘いをかけてみたら、「価値観は人によって違うことだから … 」と、素っ気なかった。

 

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