田園風景博物館 The Museum of Country Landscapes

イギリス館 The United Kingdom

14 Dale

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1 DaleとValley

なだらかな土地の隆起をHillつまり丘というのに対して、丘と丘の間のくぼ地をDaleという。辞書では「谷」と訳している場合が多いが、誤解を招きかねない。われわれ日本人が谷といえば、川、つまりRiverの上流部、流れが急で、両岸が切り立っている様子を思い浮かべてしまう。もちろん、イギリスにも、そんな谷があり、Valleyという。

 Valleyは、前回紹介した「ティーズ―エクス線」の北西側、とくにコーンウォール地方やウェールズ南部によく見られる。川幅が狭く、両側の地形が切り立っていて、流れも速い。日本語の谷とか川のイメージとほとんど変わらない。

 大規模な谷になると渓谷、Canyonということになるが、イギリスの地形でそこまで谷が発達しているところはない。

 DaleとValleyはどう違うか ― イギリス人ははっきり区別しているのに、辞書には、あまり親切な解説がのっていない。

 Dale、Valley、Canyonと並べてみると、地形上の違いもさることながら、そこを流れる水量の違いも大きい。Daleの場合、流れ出したばかりで、落差も小さい。

 さて、Daleという言葉が、特殊な文学用語であるとか、古語だったら、あまり気にすることはないのだが、イギリスを理解する上で、重要な言葉であり、軽く見過ごすわけにはいかないのだ。仕方がないから、デイルと原語のまま日本語に表記にするしかない。

 かくいう私自身、イギリスの田園地帯を旅していて、デイルという地形を理解するまでに、かなり時間を要した。

2 田園景観保全地区モデル

私が、意識してデイルと出会ったのは、イングランド北部の田園地帯、スウェイルデイルSwaledaleが最初だ。ヨーク・デイル国立公園の一部で、イギリス在住の友人から、「田園景観の保全地区として最初のモデルになったところ」とすすめられたのだった。

 カーライルで車を借り、A6を南下した後、ペンリスから東に向かい、途中からくねくね曲がるレーンに入った。標高が上がるにつれ、あたりに荒れ地、Moorが迫り、道の両側に沿う、わずかばかりの牧草地を区切るウォールが続く。晩秋の空は厚い雲に覆われ、気持まで重くなっていた。

 最後の急な坂道を上ると、前方の視界が途切れ、いよいよテイルブリッジ・ヒルという峠にさしかかった。標高五四七メートル、峠付近に車が何台か止まり、旅行者たちが無言で風景を見ている。いよいよ私たちも峠越え … スウェイルデイルが視界に入った途端、丘とデイルが緩やかに織りなす雄大な風景に圧倒された。急いで車を止めると、ハンドルにもたれかかったまま、眼前にひろがる風景に、しばし見とれてしまった。

 デイルいっぱいにひろがる牧草地、丹念に積まれた石垣、ところどころに配置された石造りの家畜避難小屋、デイル底部を蛇行する小川に沿って続く茂み … イギリスを代表する田園風景がそこにあった。

 デイル底部から尾根までを一望できるB&Bに泊まろうと、丘の中腹に通じたレーンをゆっくり進み、とうとう絶好の宿を見つけた。

 あてがわれた部屋の真正面に、デイルを挟んで、向かいの丘の斜面がひろがっていた。急に空が晴れ上がり、午後のまぶしい太陽が、雨上がりの草地を輝かし始めた。牧草地のところどころに白い羊の姿が点々と散らばっている。遠く馬や牛の姿も見える。デイル底部の草地に湧水がたまり、青空を反射している。時の経つのを惜しみながら、私たちは暗くなるまで風景に見入った。

3 産業革命の風景

私たちはマンチェスター郊外のオールダムという町にあるボランティアグループに居候していたとき、グループの事業を聞き取りしていて、奇妙な項目を見つけた。「考古学的遺跡の保存」という。ストーンヘンジのようなものかと思ったら「産業革命の遺構だ」というではないか。私はびっくりしてしまった。

 かねがね、イギリス滞在中に、産業革命の証拠を見たいと思っていたが、どこにも見つけられず、挙げ句の果てに、「イギリスに産業革命はなかった」などという論文に出くわし、本当にそうかもしれないと思い始めていた。

 さっそく、その日の午後、案内してもらった場所は、やはりマンチェスター郊外の、ロッチデイルというさびれた町である。ここは生活協同組合運動の発祥の地で、博物館もあるが、どうやら海外からわざわざ訪ねるのは、生真面目な日本人くらいらしい。そのロッチデイルの市街地を抜け、郊外の、小高い牧草地に登った。やがて、案内人は、パブの前で車を止め、向かいの脇道を徒歩で下り始めた。道沿いにわき水が流れ出し、足下がぬかる。と、彼は、突然前方を指さした。「あれが産業革命最初期の遺構だ」という。

 前方に、黒々と煤煙のタール分がこびりついた石積みの壁が一枚立ちはだかり、規則正しく、ぽっぱり開いた四角い窓 … 。「この谷に、標高差を利用して13の工場があり、水力で織機を動かしていた。」

 「こんな小さな流れで織機が動くのか … 」

 流れに沿って棚田のような貯水池Reservoir, Mill pondの跡が残っており、黒い壁の下には、無造作に、鉄製の水車の車軸が転がっている。私は、興奮して写真を撮り続けた。

4 18世紀世界のデイル

産業革命の発祥の地は、てっきりマンチェスターのような大都市の中心にあると思いこんだのが間違いだった。産業革命は農村で始まったのだ。ロッチデイルという地名にご注目いただきたい。デイルに向けて幾筋もの水路が流れ落ち、それぞれに無数の水車が建設された。その後、建物はほとんど崩壊してしまったが、小さな溜め池が、いまでも点々と残っている。

 ボランティアグループに居候している間、私たちの宿はペナイン山脈の麓のディッグルという村にあった。初冬の重い雲が低くたれ込め、谷あいはじめじめして、正直、憂鬱な毎日だった。帰国後、何年か経って、付近の地図を見ていて、はっと気が付いた。こここそ、18世紀後半から19世紀にかけて、産業革命の中心地だったのではないか。付近一帯をハーロップデイルという。

 ペナイン山麓の小さな谷にせり出している、半壊した建物を思い出した。あれが革命初期の水力による織機工場か。地図には、他にもMillという名の付いた建物や地名がいくつもある。宿は、山脈を突き抜けるトンネルの出口付近にあったが、いまは列車の止まらない、あの駅が製品の集積地だった。駅前のうらぶれたホテルは、当時商人たちでにぎわっていたにちがいない。いや、もともとは運河トンネルだった。散歩の途中、高度を調節するための、大がかりな閘門の脇を通ったではないか。

 煤煙のタール分が染みついた黒い建物群、大きな四角い窓は織機への明かり取りだ。窓が四角いのは、建築様式が新しいからではなく、窓枠に使った石材の角柱が硬くて加工しにくく、四角い窓にせざるを得なかったことが後で分かった。この辺の農家の納屋はばかでかいと思っていたが、かつての工場だったのだ。

 ペナイン山脈西山麓からマンチェスター北方の丘陵地にかけて年間降雨量も多く、地形条件が整っていた。水力から蒸気機関へ、運河から鉄道へ、この、うら寂れた僻地こそ、産業革命世界の中心地 ― そのことにまったく気づかないまま、私たちは、そこで一ヶ月間を過ごしていたのだった。

 

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