田園風景博物館 The Museum of Country Landscapes

イギリス館 The United Kingdom

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1 湖と言えば湖水地方

イギリスのLakeすなわち湖と言えば、ただちに「湖水地方Lake District」の名を思い浮かる日本人が少なくないだろう。位置は、イングランド北西部、都会の喧噪から遠く離れ、緑の木々や牧草に覆われ、緩やかに起伏する丘陵に囲まれた湖の風景は、この世のものとも思えないほど美しい。

 ロンドンから鉄道で湖水地方に行くには、まず、ユーストン駅からバーミンガムやマンチェスターを経由する西回りの本線に乗り、ケンダルでローカル線に乗り換えて、三〇分ほどのんびり旅した終点がウィンダーミア駅。駅から湖まで市街地になっていて、ゆるやかに傾斜するメインストリートを一五分か、二〇分ほど下って行くと、眼前に湖水地方を代表するウィンダーミア湖が現れる。湖畔に出たら、無言のまま、しばし感動を味わうのである。

 湖水地方と言うからには、ウィンダーミア湖の他に、大小いくつもの湖が分布している。

 ウィンダーミアWindermereの`-mere' は湖という意味の接尾辞。したがって、厳密に言えば、ウィンダーミア湖と日本語にすると、湖という言葉が重なってしまう。同じ湖水地方の湖でも、接尾辞に`-mere' をもつものもあれば、やはり湖の意味で`Water' という場合もあり、また、人造湖の場合は`Reservoir' ともいう。少々ややこしいが、ウィンダーミア湖の北東部にある人造湖は`Haweswater Reservoir' という。

 この地方は、すでにたびたび引用している「ティーズ―エクス線」の北西側にあたり、地形が複雑に入り組んでいる。湖が見える風光明媚なところとなると、誰もがそこに住みたくなる。湖畔のそこかしこに、お金持ちのものらしき別荘を見かけるのである。

2 ワーズワースとポターの世界

湖水地方と言えば、ロマン派の詩人ワーズワースWilliam Wordswaorth 1770-1850の生まれ故郷でもある。幼くして、相次いで両親を失った詩人は、山や湖を父や母に見立てて成長したという。一旦ロンドンに出たが、本格的な詩作活動のため、一時故郷の湖水地方に帰った。

The loneliest place we have among the clouds, / And She who dwells with me, whom I have loved / With such communion, that no place on earth / Can ever be a solitude to me, / Hath to this lonely Summit given my Name.

(あたりは雲に包まれ、そこにいるのは私と妹だけ。私が心から愛してやまない妹と一緒なら、地上のいかなる場所でも寂しいとは思わない。それなのに、彼女は、この孤独な嶺に私の名前をつけたのだった。)

 一八世紀までの詩人たちは額縁にはめ込まれた風景を詩にしたに過ぎないが、ワーズワースは直接土や草、木々や岩肌に触れ、自らの体の一部として詩に詠み込んだ。その結果、イギリス人は新しい風景感覚を身に付けることができた。

 ある初秋の一日、私たちはウィンダーミア湖周辺の徒歩旅行を楽しんだ。湖岸沿いに北上していくと、やがて湖の北部にドーヴ・コテージというワーズワースが暮らした住まいが、当時のままに残っている。記念館に入ると、詩人の「質素な暮らしと高尚な思索」の世界に、しばし、ひたることが出来る。

 ワーズワースのコテージからさらに北上し、アンブルサイドという町でバスに乗り、ウィンダーミア湖西岸の農村地帯に分け入った。途中道幅が狭くなり、ミニバスに乗り換えて、さらに丘を登っていくと、生け垣の間から「ヒル・トップ」という、両手のひらで被えるくらいの小さな案内板がのぞいていた。運転手に確認し、急いでミニバスを降りた。生け垣の間の狭い入り口を入ると、右手に、作家ベアトリックス・ポターが住んでいた一〇〇年前のコテージがある。作家は、彼女のデビュー作『』ピーターラビット物語』をはじめ、ベストセラーの収入を周辺の牧場の購入につぎ込んだ。現在、この見渡す限りの牧草地を、慈善団体のナショナルトラストが所有し、当時のままの姿で管理している。いまにも、生け垣の隙間からあわてたピーターが飛び出してきそうだ。

 帰りは、ウィンダーミア湖を見下ろす森の道を徒歩で下った。そして、湖岸に出てフェリーに乗り、東岸の港からバスでウィンダーミアの町中の宿に戻った。一日歩き疲れた夜は、簡単にFish & Tipsで飢えをしのいで、早々にベッドにもぐり込んだのだった。

3 湖水地方の表と裏

湖水地方は国立公園に指定されている。詳細な観光地図を見ると、フットパスあり、見晴らし台あり、歴史的建造物あり、ナショナルトラストの所有であることを示すNTマークあり、フェリーあり、蒸気機関車が走る鉄道あり … 国立公園一帯が、いわば、自然と歴史と文化のテーマパークになっている。とても短期間の滞在でまわりきれるものではない。

 ウィンダーミア側は、いわば表の湖水地方。あとの半分は、そのさらに北西方向の奥、岩でごつごつしたカンブリア山脈の中にも湖水が分布している。とくに岩山を好んだワーズワースは、きっと、こちらの方まで足を伸ばしていたに違いない。この、もう一方の湖水地方には、イングランドも北端に近いケズウィックから入る。

 レンタカーで、ダーウェント湖畔の宿に、早めに着いた私たちは、夕食まで、もうひと走りしてこようと地図をひろげ、地方道(B級)で、岩山をぐるりと回る手頃なコースを見つけた。宿の受付で「この道路なら暗くなる前に帰ってこられるだろう。Enjoy your drive!」と励まされ、ハンドルを握ったのだったが … 。

4 急傾斜のドライブ

走り出してみると、この一周コースは一方通行だった。幅員は乗用車一台がやっと通れる程度、両側から大きな石がごろごろはみだし、舗装もところどころで切れていた。イギリスで初めて経験する、ハードな山岳コースだった。

 まもなく、急な上り坂にさしかかった。「勾配二〇l」の標識。5bいって1b上ることを頭に入れ、用心にギアをサードの落としてアクセルを踏み込む … これが甘かった。馬力が出ない。あわててセカンド・ギアに落としたが間に合わない。とうとうエンジンが止まってしまった。はじめからロー・ギアに入れておかなければならなかったのだ。前の車が落っこちてきそうだし、自分の車が後ろにのけぞりそうだ。前の車との間隔が開き始め、後ろに車が数珠繋ぎになり始めた。まずサイドブレーキをいっぱいに引き、ロー・ギアに入れ替えた後、エンジンをかけなおし、サイドブレーキを緩めながらアクセルを踏み込む。途端にエンジンが止まる。上品な坂道発進ではだめだ。脇に「落石注意」の標識があり、石を撥ねて、後ろの車に当ててしまったらどうしよう … と、緊張感が走る。バックミラーをのぞくと、後ろの車の老夫婦が、にやにやしている。やっとのことで再発進し、ロー・ギアのまま、坂を上りきった。

 急な上りがあれば、当然、つぎは急な下りだ。まるで、奈落の底に突っ込んでいくようだ。標識は「ロー・ギアでエンジン・ブレーキをかけながら下れ」という。今度は忠実にそれにしたがったのは、もちろんだ。

 スピードをはじめ、その他様々な自動車の性能ぎりぎりまで運転を楽しむ ― これがイギリス流の自動車文化だ。イギリスではマニュアル車がほとんどだ。機械任せにせず、できるだけ自分の感覚で運転する ― 世界最初の自動車文化を育んだこの国の歴史が身にしみたドライブだった。

 

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