田園風景博物館 The Museum of Country Landscapes

イギリス館 The United Kingdom

1 Cottage

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1 コテージ

さまざまな形、さまざまな材料、さまざまな色、さまざまな立地、そしてさまざまな時間の経過 ― イギリスの美しい田園風景になくてはならないこのコテージについて、ある解説書は冒頭で「イギリス人にとって我が家は城かもしれない。しかし夢見るのはコテージだ」という。「イギリス人にとって我が家は城」の意味はのちにあらためて議論することにし、後半の「夢見るのはコテージ」とは、多くのイギリス人にとってコテージはいわば原風景だといいたいのだ。イギリス人の、誰にとって原風景なのだろうか。

 コテージの日本語訳は、ふつう「小屋」とか「小住宅」「田舎家」とするか、そのままカタカナ語として日本語にとりいれている。さらに丁寧な英和辞典では、日本語訳の前に「労働者や田舎に住む人の … 」という注釈をつけている。そう、前世紀までコテージといえば広大な農園を所有していた地主階級つまりジェントルマンが、雇用した労働者を住まわせるために用意した規模の小さい住宅のことだった。労働者階級にとっては借家である。コテージが集まって「ヴィレッジ(Village、村)」を構成する。したがってヴィレッジも、まるごとジェントルマンの所有だった。

 かつてのイギリス社会で労働者とは、住宅や土地といった資産を持たない無産階級だった。労働者は雇用主と労働契約を結んではじめて住宅が与えられる。もし労働契約ができないと住む家もない。そんな農業労働者のために用意されたのがコテージである。

 ジェントルマン自らの住いは「ハウス(House、邸宅)」という。いわゆるカントリーハウスである。彼らは広大な領地の中にハウスを構え、そこからの3次元的な展望を整えるために、あるいは領内をめぐる馬車からの4次元的な景観構成の一部として、コテージないしヴィレッジを配置した。

 したがってコテージとハウスは、同じ田園地帯の中でも建物の規模や材料、形態を異にし、まさに社会的な階級そのものを象徴していた。もちろんハウスはヴィレッジの中には建てない。いや正確には、ハウスから離れたところにヴレッジが建設されたのである。

 その当時、ハウスはもちろん、コテージを含む田園風景の美学は、まさにジェントルマンのものであった。

2 コテージャー

コテージに関連し、「コテージャー(Cottager)」という言葉がある。「サッチャーはコテージャーらしい」と、人びとはささやく。

 コテージャーの語源はもちろんコテージである。「名詞+-er」という単語構成もめずらしい。もちろん形容詞の比較級ではない。したがってコテージャーは「小屋に住む人」または「小住宅に住む人」ということになる。そのように直訳した小説もあるようだが、これだけでは意味がよく分らない。コテージの住人とは借家人、つまり資産をもたない農業労働者のことを指す。もともとは中世にさかのぼる法律用語で、労働者という階級表現を回避しようとした言い回しなのだ。

 ささやかれているのが出身階級であるということになると、ますます日本語に訳しにくくなる。思い切って「作男」と訳す人もいるが、コテージャーには家族がいたこと、人口の大半を占めていたことを考えると、注釈が必要なことに変わりない。平等主義の日本人にとって多少抵抗を感じる奇妙な言葉だ。

 イギリス首相をつとめたサッチャー女史の祖父は靴造りの職人だったという。つまり労働者階級の出身であり、言い換えるとコテージャーだった。靴造りの職人は目がいのちだ。ところが彼女の父親はあまり目がよくなく、親の職業を継ぐことができなかった。そのかわり食料品店を経営し、大成功した。また彼は敬虔なメソジスト系のクリスチャンでもあった。メソジスト系のクリスチャンには職人が多い。靴造り職人にはなれなかったが、職人としての気風をしっかり受け継いだというわけだ。サッチャー女史は、のちに市長まで勤めた父親から強い影響を受けたという。

 彼女の結婚相手の名字「サッチャー」は、これまた屋根葺き職人という意味だ。藁葺き屋根の民家は「サッチド・コテージ(Hhatched cottage)」だ。

 一方、「サッチャーの息子」といわれたメージャー元首相の父親は、もちろんサッチャー氏でもなければ、屋根葺き職人ではない。サーカス団の団長だったという。サーカス団は各地を回る。だからジェントルマンが用意するコテージを必要としない。階級でいえば … というより、階級に入らない存在だったということもできる。そんな人びとがイギリスの、それも保守党の党首になり、さらに首相になった。サッチャー女史やメージャー氏は、もちろん政治家として優秀だったのだろう。しかし、階級意識があいまいな日本人が想像もできないほどの社会的な大転換を象徴していたのである。

 1980年代、90年代のイギリスの顔といえば、かたや1997年に事故死したダイアナ皇太子妃、かたや17年間も政権についていたサッチャーさんであった。二人はそれぞれハウスに住んだ人、かつてコテージに住んだ人として、人々に愛された。

 そしていま政権を握っているのは若いブレアさん、いうまでもなく労働党つまりコテージャーの代表である。ブレア氏が政界に登場したとき、イギリスでは「労働党員ならコテージャーだろう」「いや彼はパブリック・スクール出身だからジェントルマンかもしれない … 」と、うわさになった。20世紀末に至って、イギリス人はようやく階級をこえた社会の代表を選ぶようになったのかもしれない。

3 文学の中のコテージ

前世紀まで、コテージャーとしての契約期間は短ければ1年、最長でも3代までだったといわれる。土地も家も持たない労働者の身分は不安定で、契約期間が過ぎ農園を解雇されれば、あらたな雇用主を探してコテージから、つまりはヴィレッジから出て行かなくてはならなかった。コテージに住む勤勉な家族は富を蓄え、優秀な子どもには都会で教育を受けさせた。それは、いずれヴィレッジをあとにしなくてはならないコテージャーの、新しい時代を生きる知恵だったのかもしれない。しかしその一方で、わずかながら資産を蓄え、教養を身につけた3代目は、ジェントルマンからも、ヴィレッジの仲間からも、しだいに疎まれる存在になっていったという。

 ヴィクトリア時代文学の最高峰、トマス・ハーディは、時代に翻弄される、ヴィレッジの人々の運命を愛情深く見守った。ハーディの祖先は森を切り開いて農業を営む開拓民だったという。その後イギリスでは産業革命に先行する農業革命ともいうべき大土地所有制度の嵐が吹き荒れた。広大な農地がジェントルマンのもとへ囲いこまれ、大土地所有者と労働者に階級が分れていったのだ。

 ハーディ家は、作家の祖父の代になって石工の仕事のかたわら建設請負業をはじめ、父親がそれを継承した。このような職人家族も基本的にはヴィレッジの、つまりはコテージの住人であったはずだ。トマス・ハーディは3代目だ。母親の愛情を一身に受けたハーディは最初建築家を目指して都会で教育を受けたが、のちに作家、詩人に転向し、時代に翻弄されるヴィレッジの住人たち、つまりコテージャーの日々を描き続けたのだった。

 上流階級から見れば、階級は自分たちと労働者階級の二つ、しかし、中世以来の自由農(フリー・ペザント)の末裔も健在だっただろうし、ハウスやコテージの建築ラッシュを迎えて建設請負業が経済的に自立するなど、コテージャーの階層分解が進み、かなり早くから中流階級が存在していたとみるべきだろう。

4 コテージはなぜ美しいか

イギリス人の「美」の規準は、案外単純なものらしい。ある文学者の言葉を借りれば「時を経たものだけが美しい」というのだ。つまり、古ければ古いほど、美しいというわけだ。これなら階級制度にひっかかることもなく、わかりやすい。

 現存するコテージの歴史をさかのぼると、旧いものは13世紀くらいまでさかのぼることができるという。

 この古い住宅は、当時はまだイギリス全土で豊富だった木材を使ったもので、軸組構造の間を藁や鳥の毛を混ぜた土壁で埋めていく工法で、黒ずんだ木部と白い土壁部分が縞模様になった特色ある外観をしている。イギリスの古い町や村でよく見かけることができるが、長い年月の間に、壁が斜めに倒れ、床が傾き、屋根が落ち込み … ところが、イギリス人にとって、これが魅力で、たまらないらしい。歴史的建造物とかで解体修理され、柱の傾きが修正された建物を見学すると、いかにも作り物臭い。そこに住んだ人々の魂が抜けてしまったような気がするから、不思議だ。

 その後、17世紀ころから、上流階級の「カントリーハウス」を真似て石造りや煉瓦造が普及していく。実際にはあれほど豊富だった木材資源が枯渇しだしたことが影響していたのだろう。

 18世紀、19世紀までがコテージ建造の最盛期、現在からさかのぼると、150年、200年前の建物ということになる。30年そこそこで建て替える日本人の感覚が怪しまれる。

 イギリス人たちは手頃なコテージを見つけると、権利を取得し、週末を利用して改装を始める。外観は、できるだけ古い形を大切にする。そして室内は、太陽の光が降り注ぐ窓辺、家族が団らんする炉端、来訪者と話を弾ませる玄関脇 … 祖先が大切にした小さなスペース、スモールスペースの記憶を蘇らせていく。

 しかし問題は、いまや、コテージに住みたいと思っても、人気が高いから空き家はなかなか見つからない。だから、田園地帯ををドライブしていてお気に入りのコテージを見つけたら、最寄りの不動産屋で、それとなく住人の健康状態を聞き出すしかない。もし自分の寿命が間に合いそうだったら、そっと不動産屋に予約を入れ、そのときが来たら情報提供してくれるように依頼しておくしかない。

 

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