田園風景博物館 The Museum of Country Landscapes

イギリス館 The United Kingdom

13 Hill

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1 HillとMountain

わが信州出身の作家島崎藤村の表現を借りるなら「イギリスの田園風景は丘また丘である。」

「イギリスの田園風景は、どこにいったって同じじゃないか … 」

旅の途中、そういって私を揶揄したイギリス人のいう通りだが、この丘また丘の田園風景こそ、彼らの原風景なのだ。

 もちろん、イギリスで隆起した土地は丘すなわちHillばかりではない。山、Mountainもある。辞書によっては、親切に「標高2000フィート以下をHillという」と解説しているが、地図で確かめてみると、2000フィートより高い丘も少なくない。形態的になだらかなのがHillか、と推定してみても、Mountainもなだらかなことが多く、標高にしても、形態にしても、HillとMountainの境界は、じつに曖昧である。

 日本に比べると、イギリスにはあまり高い山はない。最高峰はスコットランドのベン・ネヴィス山で、その標高は一、343メートルにすぎない。ブリテン島の背骨ともいわれるペナイン山脈Pennine Mountainsにしても、せいぜい5〜600メートルか、それを若干上回る程度である。

 日本アルプスのように、同じMountainでも頂上がとがっている山あるいは山頂をPeakという。ペナイン山脈の南部にPeak Districtと呼ばれる国立公園があるが、標高は例によって5〜600メートルで、目立つほどとがった山々があるわけではない。国立公園といっても、日本と違って、風光明媚な田園風景が大半を占ている。

 ところで、「日本アルプス」の名付け親は明治期に日本を訪れた英国人ゴーランドという人物で、1881年に、雪をいただいた信州の山々を見て感動し、命名したということだ。母国の山々に比べたときの印象を率直に表現しようとしたのだろう。日本アルプスを、ご本家のヨーロッパ・アルプスと比べて、われわれ日本人がコンプレックスをいだく必要はさらさらないはずだ。

2 地球の歴史

丘また丘というイギリスの地形はどのように形成されたか。

 世界地図で見るように、イギリスは、ヨーロッパ大陸の大陸棚にのっかった島々である。もっとも大きい島が大ブリテン島である。イングランド、スコットランド、ウェールズ地方からなり、その面積は23万平方キロメートルで、ちょうど、日本の本州(22万平方キロメートル)と同じくらいだ。また、お隣のアイルランド島が8万4000平方キロメートルというから、わが北海道よりやや広い程度である。ともに形成年代が古く、もっとも古い先カンブリア紀から長期にわたって氷河や風雨の浸食によって削られ、丘また丘という老年期の地貌を呈しているのである。ここにいうカンブリアとはウェールズの古名である。このヨーロッパ大陸棚にあるブリテン諸島だけで、始原層や古生層から最近の沖積層まで、大半の地形学上の標本を観察することができる。

 地形学者は、よく大ブリテン島を南西部のエクス川河口と北東部のティーズ川河口を結ぶ「ティーズ―エクス線」で二分して、それぞれの特徴を解説する。北西部は古生層以来の古い地層で、地形的にも、さきのPeak Districtやいずれご紹介しようと思っているLake Districtなどのように、比較的変化に富んだ地形が見られる。南東部は中生層や第三紀層といった柔らかい地層で、なだらかな地形がひろがっている。

3 詩人たちの丘

最近、日本から出かける観光客の間で人気のコッツワルドThe Cotswolds, The Cotswold Hillsはイギリスを代表する丘陵地帯である。ヘッジで仕切られた牧野が延々と連なり、高台から眺めると、丘の向こうにまた丘が連なり、緑の波がうねっているように見える。そして、集落の建物はコッツワルド・カラーともいうべき黄褐色の水成岩を加工してつくられ、現地の観光案内をひろげると、ほとんどの集落に「美しい村scenic village」の表示があり、観光客を誘っている。

 もちろん、「美しい村」はコッツワルドに限らないが、たまたまこの地域が産業革命以後に形成された大都市や工業地帯から離れ、19世紀以前の面影をもっともよく残しているのだ。近年になってイギリス人の間でも人気が高く、余生をコッツワルドで送りたいと願う市民が少なくない。

 この、丘また丘の風景は、これまで、詩人たちの感性を刺激してやまなかった。たとえば、19世紀前半に活躍したイギリスを代表する詩人ワーズワースWILLIUM WORDSWORTH(1770-1850)は、こんな詩の一節を残した。

 When the earliest stars began
  To move along the edge of the hills.[The Prelude DQ424-25]

「一番星が輝きを増しながら、丘の稜線に沿って動いていく … 」(拙訳に自信がないので、ぜひ、原文で味わってください)

 あるいは20世紀の詩人ブルックRUPERT BROOKE(1887-1915)の場合はこうだ。

 Breathless, we flung us on the windy hill,
  Laughed in the sun, and kissed the lovely grass.[The Hill DQ67-5]

「私たちは、息を止めて風の吹く丘に身を投げ、太陽の光の中で大声を出して笑いこけ、柔らかい草の中に頬を埋めたものだ … 」

 この詩人は第一次世界大戦中、28歳で戦死した。この詩の情景は、きっと、戦場の若者の誰もが共有していた少年の日の想い出だったのではないだろうか。

4 ダウンDowns

かつて、ロンドン大学農学部のブリン・グリーン教授(当時)に、「イングランドのガーデンThe Garden of England」と呼ばれるロンドン南東部の代表的な田園地帯を案内してもらったことがある。あらかじめ連絡があった見学地は`Downs and Marsh' の二カ所だった。Marshの方は辞書を引いて低湿地であることを確認したが、Downsの方は奇異に思いながらも、窪地だろうと早のみこみしてしまった。ワイの研究室を訪ねたとき、それを確かめると、教授は窓の前方に見える丘を指し、「あれがダウンだ」という。ごく普通の丘のように見えたが、チョークすなわち石灰岩質の地層が隆起した丘を、とくに「ダウン」という説明だった。じっさいにダウンを歩いてみると、石灰岩質の丘のせいだろうか、所どころ浸食のされ方が普通のHillとはちがっていて、丘のすそが急勾配で落ち込んでおり、そこに雑木林が茂っている。稜線付近は乾燥して樹木は育たず、草地になっている。まるで、緑色をした砂丘を見るようだ。

 ダウンはロンドンの南東部に、東西方向に並行して二列存在し(だからDownsと複数形で表示される)、南側のダウンの東端は観光写真でよく見るようにドーヴァー海峡に白い断崖をさらしている。ダウンを西の方にたどっていくと、ともにソールズベリ平原Salisbury Plainにつながっている。

 地形呼称の区別が少々煩雑になってきたが、Plainは同じ丘陵部でも、起伏がごく緩やかで、ほとんど川らしい川がない乾燥地帯である。この平原のど真ん中に、かの先史遺跡、ストーンヘンジStonehengeがある。現在、遺跡の周辺は見渡す限り牧草地や麦畑がひろがっているが、建築当時は深い森林に囲われていたはずだ。

 

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