田園風景博物館 The Museum of Country Landscapes

イギリス館 The United Kingdom

15 River

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1 BrookそしてStream

生まれたばかりの小さな流れをBrookという。まだ、よちよち歩きの川だ。一定の方向に、一定量の水が流れるようになったらStreamに成長する。いずれも日本語に訳す場合は、「小川」だ。そしてRiver、日本語の「川」だ。英英辞典流にいえば、Riverより狭い流れをStream、Streamより狭い流れがBrookという関係だ。「大河」に当たる一単語の英語はない。日本語と同様、A Large Riverである。

 すでにふれたように、大ブリテン島は日本の本州と広さがほとんど同じだが、日本より標高差が少なく、その上、島の形も、本州が山岳部から海岸まで近く、長細い形をしているのに対して、ブリテン島は緩やかな丘陵部、平野部がひろいから、それだけ川はゆっくり流れる。明治政府に招かれた西欧の河川技術者が日本の川を見たとき、「まるで、滝のようだ」と印象を語ったそうだが、その通り、わが方は流れが急だ。

 それに、降水量の違いも大きい。年間を通じて、イギリスに比べて、わが方は、その倍。亜熱帯に近い分、降れば土砂降りで、すぐ洪水になる。イギリスにも土砂降りがないわけではないが、総じて短時間だ。そして、日本では晴天が続けば水量が極端に減少し、広大な河原が出現する。私が育った信州の梓川なんか、夏、晴天続きだと、河原だらけで、ほとんど水面が消えたものだった。対するイギリスの川は、年間を通じて、ほぼ川幅いっぱいに、とうとうと水が流れている。

 話がもどるが、傷口から血が流れるのもStream、子どもが大泣きするときの様子を`Tears streamed down the child's face.' という。大人が哀しくて、じっと涙をこらえるのは、どう表現するのだろう。

2  平和と静けさ

九〇年代、たまたま田園景観保全論の大御所、ロンドン大学のブリン・グリーン教授と知り合い、たびたびロンドンの南東、ケント州のワイにある農学部の研究室を訪ねた。春先に訪ねることが多かったが、ローカル線のワイ駅で列車を降りた後、よく約束の時間まで駅の近くにあるパブで過ごした。

 パブの前、芝生の庭の先にかなりの水量の小川が、音もなく流れていて、岸辺に黄色い水仙が咲きこぼれていた。パブを埋めた客たちが窓の外の景色を眺めている。平和と静けさPeace and Stillness … 一瞬、イギリス人がもっとも大切にしているものをかいま見た気がした。

 日本にも、かつて、美しい流れがあった。私は信濃川の上流、先にもふれた北アルプスからの梓川と、木曽山脈からの奈良井川がぶつかる岸辺で育っただけに、川には特別の思いがある。そこでは、毎年、洪水の恐ろしさをいやというほど経験させられた。二つの川は、合流後、犀川となり、さらに下流に行くと、千曲川に合流し、長野県境を出ると信濃川と名前を変える。

 子どものころ、河原でよく遊んだ。石を思いっきり投げたり、珍しい石を集めたり、土木技術者よろしく砂場に小さな水路をつくったり、もちろん、魚もつかまえた。増水した流れに巻き込まれて、溺れかかったこともある。身近に、金魚藻が生い茂った用水路が幾筋もあり、本当に水がきれいだった。

 川の異変に私が気づいたのは、六〇年代初め、年号でいうと昭和三〇年代の半ばのことだ。大学の夏休みに帰郷し、久しぶりに川で泳ごうと、ふんどし姿で水に入ったときだ。水が汚い。かつて見たこともないゴミが流れている。松本市内を流れてくる川は、もはや、泳げる水ではなくなっていた。気持ちが悪くなり、慌てて水から上がると、川で泳ぐことは二度となくなった。たった一年の間の変わり様に、ショックを受けた。

3 悲しき、日本の川の姿

イギリスで、美しい流れに出会うと、いつも子どものころを思い出す。そして、どの川も … というわけではないが、美しい水を満々と湛えて流れるイギリスの川がうらやましくなるのだ。

 イギリスの川で、日本のような、巨大堤防を見かけることはほとんどない。利根川の場合、堤防の底辺が五〇メートルから一〇〇メートルにもおよぶが、イギリス人には想像もつかないだろう。それだけ、日本の川は凶暴だということになるが、それだけだろうか。「ここから河川局の領分」とでもいいたげな、日本の官僚主義の縄張りを見せつけられるようで、川が市民から遠い存在になってしまった。ガードレールを張りめぐらして、「ここから道路局の領分」というのと同じだ。

 もちろん、イギリスにだって洪水はある。日本のような巨大堤防がないから、水位が上がると、周辺の牧草地が浸水していく。上流に大雨が降って、いざ、浸水が始まると、何日も、水が引かない。逃げ遅れた馬が、水の中に立ったまま、じっと水が引くのを待っている姿は哀れだ。

 もちろん、イギリスの川に堤防がないわけではないが、日本ほど大げさなものはない、ということだ。とくに、BrookやStreamの場合、コンクリートで固めるということはほとんどない。水辺に根を張る樹木を大切にし、あるいは木杭を打ち込んで、岸が削られるのを防いでいる。岸辺の自然な姿を護るため、伝統的な護岸工法を受け継いだボランティア団体が活動している。日本の役所が得意とする「三面張り工法」を見たら、目を丸くするに違いない

4 セヴァーン川沿いの町

旅の途中、私たちがよく出会ったのは、テームズ川と並ぶイギリスの大河セヴァーン川だ。イングランドとウェールズの境界地帯を流れる。地図で確かめると、水源は北ウェールズのカンブリア山脈奥深くまでさかのぼる。一旦北東方向に流れた後、おいしい紅茶の店があるシュリューズベリから南下し、世界最初のアイアン・ブリッジの下をくぐり、古本街があるブリッジ・ノース、ソースで有名なウースター、そして立派な教会があるグロースターを経て、ブリストル近くで海に注ぐ。時には渓谷深く、時には平野をゆったり流れ、悠久の時を刻んでいる。

 この、イングランドとウェールズの境界地帯はローマ軍の時代までさかのぼる古い町があり、平野部の支流沿いに美しいヴィレッジが点在している。

 セヴァーン川沿いの町の一つに、ビュードレイという、美しい響きの名前の町がある。たまたま、近くに、イギリス在住の友人の家があって、よく訪れた。「なぜ美しい響きか」といわれると困るが、きっとビューティフルと出だしが同じだから、そんな印象を持ったのだろう。実際に、セヴァーン川を挟んだ対岸からの眺めは「絶景かな」である。

 最近、この町の様子が変わってきた。多くの観光客が来るようになってしまったのだ。日本製のオートバイで集団を組んでやってくる、騒々しい連中もいる。川沿いにバブやレストランもできた。軽薄な土産物屋もある。かつて、三階建ての質素な骨董屋があって、私たちは顔見知りになった高齢の店主との会話を楽しみにしていたが、そっちは潰れてしまった。楽しみが減った分、町には寄らずに、通り抜けることが多くなった。

 イギリスも変わるのである。

 

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