田園風景博物館 The Museum of Country Landscapes

イギリス館 The United Kingdom

17 Lake-2

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1 ネス湖の謎

イギリスの湖は、もちろん、湖水地方だけではない。他にスコットランド北部ハイランドの湖、とりわけ、ネッシー伝説のネス湖だ。

 もう一〇年も前に伝説は解き明かされたのだから、いまさらネッシーでもあるまい … と言われるかもしれない。が、一九三四年以来、九四年に、仕掛け人自身が真実を告白するまで、世界中を半信半疑にさせ続けることが出来たということは、考えてみるに値するのではないか。

 まず、ネス湖そのものの魅力だ。ネス湖は不思議な形をしている。幅がせいぜい二キロに対して、長さが三五キロ以上、南西方向から北西方向に、一直線に伸びている。対岸は近いが、左右、長手方向を見通すのはむずかしい。ネス湖の南西延長上に、ほぼネス湖と同じ細長い形をし、反対方向に出口をもつロッキー湖、さらに、リンネ湖、リンネ湾があり、一直線に連なった三つの湖や湾が地形学上の大地溝帯をなして、ハイランドを二分している。

 地溝帯となると、当然、湖岸は切り立っている。ネス湖の西岸にこそ、湖岸沿いにA級の幹線道路が通じているものの、原生林が生い茂る東岸は、険しい傾斜で湖面に落ち込み、人を寄せ付けない。まるで、地の底まで裂けているようだ。低くたれ込め、山の稜線を隠している厚い雲が湖の神秘性をいっそう増している。

 湖自体が、じつに謎に満ちている。

2 神話世界を生んだもの

つぎに、かのネッシー伝説だが、私は、むしろスコットランド人の想像力を評価すべきだと思う。何が、彼らをして、かくも想像力豊かな民族たらしめたか … 。

 スコットランドは、歴史的に偽物に事欠かない。一八世紀、古代ケルト語の大叙情詩が発見されたというと、「これは古代ギリシャのホメロスにも匹敵する」と評判を呼び、ヨーロッパ大陸の文化人にもてはやされた。もっとも、イングランドでは早々に偽物と断定され、真贋論争がはじまった。

 怪しげなのは、ネッシーや古代ケルト語の叙情詩ばかりではない。キルトやタータン、バグパイプ、ハイランドゲーム(丸太投げなど)、それにウィスキーなど、民族的伝統のシンボルまでも、出自が怪しまれる。

 つまり、スコットランドの中でも、とくにハイランド地方には、一八世紀はじめにイングランドに併合されて以来、つねに、民族的アイデンティティを求める土壌があった。そして、それらが民族の中だけに閉じこもらず、直接ヨーロッパ大陸や地球の隅々までその存在を知らしめる演出力をともなっていたのだ。

さらに、スコットランド出身の人材も綺羅星のごとく並ぶ。哲学者のデイヴィッド・ヒューム、『国富論』のアダム・スミス、画家のアラン・ラムゼイ、近代地質学のジェムズ・ハットン、社会学の祖ジョン・ミラー、産業革命の父ジェームズ・ワット、功利主義を唱えた経済学者で哲学者のジョン・スチュアート・ミル … (高橋哲雄『スコットランド 歴史を歩く』)。

 建築家では、一八世紀に名声を博したロバート・アダムや、一九世紀から二〇世紀にかけてアールヌーヴォーの旗手だったチャールズ・マッキントッシュがいる。

 このノートで、以前、一八世紀イングランド文壇の大御所、ジョンソン博士の「からす麦とは、イングランドでは馬が食うものだが、スコットランドでは人が食う」と言う定義をご紹介したが、これに対して、とうのスコットランド人は「だからイングランドでは名馬が育ち、スコットランドでは人材が育った」とやり返した。

3 タンメル湖幻影

スコットランドでは湖のことを`Loch' という。発音は「ロッホ」または「ロック」、末尾は口腔の奥で呼気を振動させる摩擦音で、一般英語にはない子音だ。ネス湖は`Loch Ness' だ。ハイランドの地形は、氷河に削り取られて出来上がったと言われ、谷あいがU字形をしており、湖のほとんどは川に添って細長い形をしている。大小集めると湖水の数でも、分布範囲の広さでも、イングランドの湖水地方よりハイランドの方が、はるかに勝る。

 ハイランド西部は海岸線がいりくんでフィヨルドを形成しており、この深い入り江も`Loch' という。景観的に、湖も、入り江も、変わらないと言うことだ。

 エディンバラから北に向かって出発した私たちが、最初に出会った湖がタンメル湖。文豪夏目漱石が静養のため、英国留学の最後の日々を過ごした町、ピトロッホリの近くにある。その日は、早めの到着だったので、町の西方、タンメル湖を目指して夕方のドライブを楽しんだ。二、三〇分のドライブで、目指す湖に到着。細長い湖面は青空を反射し、湖に沿って緩やかに傾斜する、淡い緑の牧草地は陽の光に眩しく輝いている。暗闇が迫っているのを知ってか、遠く、じっとして動かない羊や馬の姿があった。湖の向かいの山岳部の中腹までが牧草地で、その上は紫色のヘザーが生い茂り、頂上は褐色の岩山になっている。全くの静寂 ― 私たちの他に人影はない。たった二人で、見渡す限りの景色を独占しているのを実感した。

 「これがスコットランドの湖か … 」

 地図を見ると、タンメル湖の上流に、さらに湖が連なっている。「もっと奥まで行ってみようか … 」

 私たちは、その誘惑からようやく逃れて帰路についた。このまま上流に進むと、風景に吸い込まれてこの世に帰れなくなるような気がしたのだ。

4 黒い水、フィヨルド

タンメル湖からの帰り道、橋のたもとに車を止めて休憩した。暗闇が漂う流れを見下ろすと、流れが黒く濁っている。いま、見てきたばかりの美しい風景の中に汚染源があるとは、とうてい思えなかった。

 水が黒く染まっているのは厚いピート層を透過してきたため … そんな理由を知ったのは、ずいぶん後のことだった。イングランドに戻ったとき、スコットランドの黒い水の話しをしたら、ある人は「水の汚れをごまかすため、彼らはウィスキーづくりを思いついたのだ」ともっともらしく説明してみせた。ベルギーでは「イングランドのビールは着色料入りだから本物ではない」と批判しているのだが … 。

 ネス湖の河口インバーネスから西へ、アクセルを踏めるだけ踏んでハイランドを横断し、フィヨルド海岸へ出た。フィヨルドの道路は、海に突きだした岬から湾(ロッホ)の奥まで戻り、またつぎの岬を迂回するという、大回りの連続である。フィヨルドの町ウラプールで一泊、その夜は、海の幸をふんだんに盛りつけた夕食を楽しむことが出来た。

 西海岸から一旦インバーネスに戻り、ネス湖岸を南下、ネッシーが現れないかと、途中二度ほど車を止めて湖岸から目を凝らしてみた。一緒に車を止めている他の旅行者たちも真剣に湖面を見つめていたのだから、いまから考えると、何ともほほえましい限りだった。それからロッキー湖を経て、もう一つのフィヨルドの町オーバンで一泊、翌日は内陸部のローモンド湖へ。こちらは大ブリテン島最大の湖で、民謡の美しい調べにたがわず、じつに穏やかだった。

 スコットランドの湖水巡りは、夢のような旅だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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