田園風景博物館 The Museum of Country Landscapes

イギリス館 The United Kingdom

4 Wall

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1 石を積む文化、ウォール

生け垣をヘッジHedgeというのに対して、石垣はウォールWallという。ヘッジと同様、ガーデンを取り囲んだり、圃場区切ったりしている。日本語で石垣といえば石積みにきまっているが、ウォールの場合は、煉瓦や木を使ったりする。厚みに対して高さがあり、かつ上部からの荷重に耐え得るがっしりした構造をなしていることが条件である。柵状にほとんど厚みがないものはフェンスFenceという。

 ヘッジを仕立てるか、ウォールでいくかは、地形的条件によるところが大きい。かつて、イギリス全土が森林に覆われていたというが、中世以来の開墾によってほとんどの森が切り払われ、地表がむき出しになってしまった。それでも、表土が厚ければヘッジを育てることができる。表土が浅ければ … 畑の岩石を取り除き、ささやかな表土を集積しなければならない。取り除いた石を畑のまわりに積めば、畑の作物を侵入者から護ることができ、放牧している家畜の逃亡を防ぐこともできる。イギリス版、一石二鳥というわけだ。

 頑丈なウォールを築くには、比較的大きな、そして平たくて据わりのいい石を一定の幅をとって両側に並べ、その間に小さな石を詰めながら、鉛直に積み上げていく。そして、大人の腰の高さか、胸の高さになったところで、頂部にもっとも据わりのいい石を並べて完成だ。

 平行するウォールとウォールの間に屋根を架ければ家になる。したがって、家の壁も、ウォールである。道路に沿っても、延々と石を積んでいく。白い塗装を施した、無粋な鋼鉄製のガードレールなんかめったに使わない。

 イギリスの田園風景を構成している境界材は、きまってヘッジか、このウォールで、まれに圃場を区切るフェンスがある。前回のテーマだったヘッジと今回のウォールのネットワークが、補い合いながらイギリス全土の村や圃場を覆っている。

 前回のヘッジに関連して金が金を生むことを信じてやまない「ヘッジファンド」を話題にしたが、そのヘッジファンドが活動する街が、ご存じ、ニューヨークはウォール街Wall Streetである。ヘッジもウォールも、19世紀のイギリス田園生活の中で農業労働者たちがガーデンや圃場の作物を護るために工夫した工作物だが、いまや、アングロサクソン文化の象徴として世界の経済界を席巻しているのである。

2 積み直されるウォール

ウォールといえば、十数年前、私がイギリスをはじめて旅したおりの鮮明な記憶がある。最初に訪ねたボランティア団体の事務所の二階から不思議な作業を見かけた。数人の男たちが裏庭のアスファルトの上に石を積んでいる。そして一定の高さになると横から押して崩してしまう。何事か言葉を交わした後、また石を積み始める。奇妙な行動に驚き、たずねると、失業中の若者への石積みの職業訓練だという。ボランティア団体は職業訓練を施すことによって、公共団体から助成金を受け取り、一方、職業訓練を受けた若者にはいくらか失業保険の割増金が給付される仕組みだった。彼は、運がよければ仕事にありつけるかもしれない。

 それにしても、しょっちゅう補修しなければならないほど、イギリスの石垣は脆いものなのか。ウォール崩壊の原因はヴァンダリズムVandalismだという。よく道路や圃場を区切っている石垣を、仕事に就けず、欲求不満をつのらせた若者たちが崩してしまうのだ。ヴァンダリズムが公共物を暴力的に破壊したり、文化財を傷つけることを指し、経済が停滞して久しいイギリス社会の悩みの種になっていることが分かったのは、かなり後になってのことだった。

 たしかに、ちょっと横から押したくらいで崩れてしまう石垣では、意味がない。

3 イギリス版「万里の長城」

私が、はじめてイギリスを訪問したのは、3年間にわたって中国大陸を横断旅行した直後だった。だから、イギリスの、どこにいっても目にするウォールに強烈な印象を受け、「万里の長城」は、何も中国の特許ではないと思ったものだ。もちろん、ここイギリスでも、ウォールは野蛮人から国土を護るのにも役立てている。

 イギリスで、もっとも大規模なウォールは、イングランドの北辺を西海岸から東海岸ま120Kmにわたって横断する「ハドリアヌスの長城Hadrian's Wall」だ(現存するのは50km程度)。かつて、ここまで侵入してきたローマ軍がスコット族を追いやるため2世紀前半に築いたもので、別名「ローマの長城the Roman Wall」ともいう。私は、まだ見たことがなく、ぜひ、行ってみたいと思い、たまたま旅先で逢った老夫婦に聞いてみた。

 「イングランドとスコットランドとの間に長城the Great Wallがあるそうですね。歴史的な遺産として … 」

 相手は、急に真顔になって、

 「その通り。我々にとって、それが大きな悩みだ」

 「えっ、ウォールが悩み … ?」

 私が話そうとしたのは歴史的な遺産といっても工作物のこと、話の相手が思い浮かべていたのは心理的な「壁」のことだった。スコットランドでは、いまでもイングランドからの独立運動が盛んだ。彼らにとって、国境は神経質な問題なのだ。

 私達外国人には明確なイギリスという地域概念を、イギリス人自身は持ち合わせていないらしい。ブリテン島はイングランドと北のスコットランド、西のウェールズに分かれ、さらに海峡を挟んで北アイルランドがある。彼らは、そもそもイギリスという国名さえもっていない。いまだに、それぞれの間の心理的な「壁」を乗り越えられないのだ。

4 心の「壁」

イングランドとウェールズの間の「壁」は、実際に写真を撮りに行った。こちらは八世紀後半に建設された「オファの土塁Offa's Dyke」で、土手状に土を突き固めてあり、さすがにウォールとはいわない。海岸から海岸まで南北約200kmにわたって続いており、土塁に沿って絶好のハイキングコースが整備されている。

 歴史的に、このような心の「壁」と向き合ってきたイギリス人は、暴力との共存もやむを得ないと覚悟をきめているようだ。さきに、ウォールを崩してやまないヴァンダリズムを紹介したが、なぜ、彼らは警備や罰則を強化して、破壊行為を封じ込めないのか。日本の優秀な警察制度を教えたくなるのだが、しかし、暴力を封じ込めるために暴力を行使すれば、相手はさらに強くなってしまう。歴史的な遺産であるウォールが崩されたら、また積めばいい。バス停が破壊されたら吹きさらしで我慢する。学校のガラスを割られたらベニヤ板を貼ればいい。もともとこの国の政府に、暴力に対抗するだけの金がない。というより、市民の日常はできるだけ政府に干渉されたくない、というのが本音なのかもしれない。北アイルランド問題でも、実に忍耐強く、暴力との共存をはかってきた。

 では、イラクの暴力に対して、共存の選択はなかったのか。フセインが気に入らないからといって、なぜ、大人気ない戦争を仕掛けてしまったのか。国際経験豊かなはずのイギリス人らしくない…と、イギリス人自身、きっと悔やんでいるに違いない。

 

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