田園風景博物館 The Museum of Country Landscapes

イギリス館 The United Kingdom

11 Footpath

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1 誰でも通行できるフットパス

ときにはフィールドを横切り、ときには森の中を行く遊歩道、フットパスFootpathの魅力は、最近、かなりの日本人に知られるようになってきた。これまで見てきたレーンやロードとちがって、自動車は入れない。人間の足で歩くのが原則だが、ときには乗馬やマウンテンバイクでの通行が許されているコースもある。

 もともと、そこに住んでいる人たちが日常的に行き来しているうちに自然にできた小径や細道を、後にも触れるようにPath, Trail あるいはTrackなどといい、フットパスといういい方は比較的新しい。このような小径は、たとえ私有地であるフィールドや森を横切っていても、誰にでも通行権があり、細かな網の目のようにイギリス全土を覆っている。そして、20世紀になって道路という道路が自動車に占拠されてしまうと、忘れ去られてしまった「道」本来のイメージを思い起こさせるPathやTrailが再評価され、少々イデオロギー的な主張を込めてフットパスといういい方が一般化してきた。

 だから、フットパスは、生活道というよりレクリエーション道のイメージが強い。

 そんな市民意識をイギリス政府が放っておくはずがない。イングランドはもとより、ウェールズ、スコットランドまで、全国のフットパスのうち、観光地や歴史遺産を巡る長距離コースをNational Trailに認定して、国内外へ宣伝に余念がない。財政難の政府にとって好都合なことに、財政負担が大きい自動車用道路の整備とちがい、フットパスなら案内標識の設置やパンフレット制作費に若干の補助金を出せば済む。

 手許のロードマップで確かめたら、海岸沿いに、あるいは野を越え、山を越えて、14コースのNational Trailを数えた。イギリス在住の友人に確認すると、最近、もう1カ所、かつてローマ帝国がブリテン島に侵入していたころ、スコットランドとの境界だった「ハドリアヌス皇帝の長城」に沿ったコースが認定されたという。

2 フットパスを支えるひとびと

これらのNational Trailのうち、部分的にとはいえ、わたくしが体験したことがあるのは、ペナイン遊歩道Pennine Way、北部ダウン遊歩道North Downs Way、コッツワルド遊歩道Cotswold Way、そして「オファ王の土塁」遊歩道Offer's Dike Pathの4カ所だ。

 National Trailともなると、自然にできた道というより、かなり、人の手が入り、戦略的な装いになる。National Trailの代表格で、ブリテン島の背骨ペナイン山脈を縦走するペナイン遊歩道の場合、整備に当たったのはグラウンドワークというボランティア・グループである。わたくしは、このグループに1ヶ月ほど居候し、ボランティア活動の実態を見学させてもらったが、グループの名を全国的に、いや日本にまで知らしめたのが、20年ほど前のペナイン遊歩道整備事業だった。資材を運ぶのに空軍のヘリコプターまで動員し、自治体や民間企業よりボランティア・グループの方が行動力があるところを実証して見せたのだった。

 グラウンドワークで話を聞いた後、じっさいに尾根道Ridgewayまで登ってみたのだが、初冬という季節のせいか、人影はまったくなかった。珍しく晴れ渡り、もったいないほどの眺望を独占しながら1マイルほど歩いてみてから、天候の急変を予感して、大急ぎで下山したものだった。

 このペナイン遊歩道は、東海道自然遊歩道など、わが国の自然遊歩道整備事業の手本にもなった。東海道五十三次にしろ、四国遍路にしろ、伊勢参りや善光寺参りにしろ、歩く文化という点では日本の方が先輩だと思うのだが、国家事業となると、外国の先例の方がありがたいらしい。

3 小径という詩的世界

19世紀的感覚にさかのぼって、ヴィレッジに住む労働者たちがフィールドとの間を行き来し、日曜日には教会に出かけたり、森の恵みや川の魚を採りに行ったりしているうちに自然にできた小径や細道がPathであり、TrailやTrackだ。このPathやTrailを英和辞典で調べてみると、ほとんど同じ訳語がなんでおり、英英辞典にさかのぼってみても説明は似たり寄ったりだ。とはいうものの、言葉が違えば、当然、使い方も微妙に違う。

 まず、人間以外の動物が行き来するけものみちの場合はPathとはいわず、あくまでTrailで、引きずるものから流れ星が光った跡もTrailだし、Trailerが派生する。車が行き来した結果の「轍」はTrackで、グランドの走路も、荷物を運ぶ自動車もTrackだ。

 語源をたどると、Pathは古英語(450年から1100年ころまで)で、三つの中では、もっとも歴史が古い。Trailは14世紀にフランス語から入ったもので、さらにラテン語にまでさかのぼり、Trackの方は、やはり15世紀にフランス語から、ただし、こちらの語源はドイツ語にさかのぼるという。あまり神経質になることはないのだろうが、イギリス文学はこれらを微妙に使い分けていて、翻訳者を悩ませる。

 わたくしが愛用している引用句辞典は、つぎのような詩を紹介している。

 So many gods, so many creeds,
  So many paths that wind and wind,
  While just the art of being kind
  Is all the sad world needs
  [ELLA WHEELER WILCOX 1855-1919: The World's Need, DQ 416-4]

 There's a long, long trail a-winding
  Into the land of my dreams.
  [STODDARD KING 1889-1933: The Long, Long Trail, DQ, 221-11]

 これらを読むと、イギリスではレーンやロードばかりか、PathやTrailまで、くねくね曲がっていなければならないらしい。

4 フットパスを行く人生

鳴り物入りのNational Trailもいいが、地方地図を拡げて、自分でコースを選ぶ旅も、また楽しい。

 バーミンガム郊外に住む友人家族と、イギリスを代表する大河、セバーン川の上流沿いに走っている汽車見物に出かけたときのことだ。

 ちょうど、川沿いにフットパスが通っていて、やがて、大きなリュックサックを背負った老夫婦がやってきた。フットパスといっても、小さなリュックで日帰りハイキングを楽しむ姿はよく見かけるが、重装備の旅行者はまれだ。駅近くにある芝生の広場には、休日を過ごすかなりの家族連れのすがたがあったが、ひとびとの視線が二人に注がれはじめた。いつも気配りを忘れない友人が老夫婦に声をかけた。それをきっかけに、近くにいた何人かが、興味津々と二人を取り囲んだ。これからどこへ行こうとしているのか ― どうやらその日の目的地は決まっているものの、最終目的地も、いつまで旅を続けるのかも決めてないらしい。

 この老夫婦が、すでに、かなりの距離を踏破してきたことは、日焼けした肌や髭の伸び方、髪の乱れ、靴の汚れ具合で一目瞭然だ。夫婦ともかなり体にこたえているのも分かる。でも、二人ともじつに目の表情が穏やかなのが印象的だった。二人は重いリュックを下ろすこともなく、集まったひとびとの祝福の声に送られて、また黙々と歩き出した。人生は、他者との共通の経験、共通の感覚、そして共通の記憶をもつことによってはじめて豊かになる ― 二人の背中は、そんなことを無言で示しているようだった。

 イギリスのフットパスならではの出会いだった。猛スピードで走り回るドライブでは、こうはいかない。

 

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