同じなのに違う空の下 edge in London '89-'90 #5 |
Part 1/ 38 St. Lowrence Terrace<5> |
目を覚ますとオレンジ色の薄いカーテンが通す光が部屋中を朱く染めていた。
何もかもが安っぽい部屋がさらにみすぼらしく見えた。
なにはともあれ、まずカーテンを取り替えなければと思った。
こんな朝を毎日迎えていたらたまらない。
きしむベッドを抜け出し、カーテンを開けた。
空は雲ったままで肌寒かった。
ポートベローに出てみる。
あちらこちらで青物市の屋台が組み立てられているところ。
活気を取り戻そうとしつつも、まだまだけだるげな月曜の朝だった。
新聞を買い、朝食をとるためにイギリス版大衆食堂、スナック・バーに入った。
もちろん初めて入る店だ。
一瞬、好奇な視線が僕に集まる。
無表情な若い白人の女の子が注文を取りに来る。
壁にかかったメニューを見ながら、トースト2枚、ベーコン・エック、そして紅茶を頼む。
店の中はあきらかにこの街で生活をしている人達ばかり。
僕がここで新顔でよそ者なのはみえみえだ。
少しでも溶け込もうとまわりの人達のように新聞を開いた。
ところがまわりの人達が読んでいるのは
”サン”とか”デイリー・ミラー”とかタブロイド版の大衆紙ばかり。
僕が開いた新聞は”ザ・タイムス”というお堅いものだった。
またまた浮いてしまった。
ヘッド・ラインをぼっと眺めていると
ジュウジュウと音をたてるベーコン・エッグが運ばれてきた。
一番最初の単語から辞書を引かなければいけないヘッド・ラインはあきらめた。
写真と見出しでなんとなく
何について書いてあるのかくらいは理解できる
スポーツ欄を眺めながら紅茶をすすった。
食事を終え、店を出て公衆電話を探す。
やっと見つけた公衆電話のボックスに入り、ヒデト君に電話した。
誰も出なかった。
鳴り続ける発信音を聞きながら、昨日電話しなかった事を少し悔いた。
それで東京に電話をかけた。
遠くでベルが鳴っている。
回線がつながると、それは留守番電話の応答テープだった。
聞こえてきたのは自分の声だ。
こんな状況で自分の声を聞くのは奇妙なものだ。
それで彼女が家に戻ったことがわかった。
僕は部屋を出てくる時に、
長く家を空けるので留守番電話をセットしなかったからだ。
すぐにもう一度ダイヤル仕直す。
彼女は予想通り隣のマンションに住む、
家族同然のつきあいをしている友達の家で食事をしていた。
華やいだ雰囲気が電話口から伝わってくる。
イギリスのカード電話はカードの追加ができないので、
10ポンド分の度数は瞬く間になくなる。
たいした事も話せなかったけれど、彼女の声を聞いたら気分が晴れた。
電話ボックスを出たらすっと雲が割れて、太陽が顔を出した。
みるみる空気の冷たさが和らぐのがわかった。
ずいぶん久しぶりに見た青空のような気がした。
なんだか作り話みたいだな、と思った。
あれから1ケ月、カーテンもベージュ色の新品に変わり、目覚めも良くなった。
テーブル・クロスもベッド・カバーも自分で選んだ布地の物に変わり、
それだけで部屋が部屋らしくなった。
まだまだ気に入らないことはたくさんあったが、あとは慣れるしかなかった。
模様替えは全部自分で勝手にやったのだが、
その変身ぶりを喜んでくれた大家のフィリスさんは、
その費用をすべて出してくれた。
僕はただ自分が住みやすいようにしたかっただけ。
お金などまったく期待してなかった。
ただ僕がきれいにしておけば、
僕の後に誰かに貸すとき彼女も困らないだろうとも思ってはいた。
だから、そんな誠意が伝わったような気がして嬉しかった。
たったこれだけのことでも、この街に何かを残せたような気がした。
部屋が落ち着いたせいか、
食事をするためにわざわざ外へ出かけることも少なくなった。
少しぬるくなった紅茶を飲み干し、そしてもう一度空を見上げた。
同じなのに違う空の下、僕はこの街の時間の中に収まっている。
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