同じ空なのに違う空の下 edge in London '89-'90 #2 |
Part 1/ 38 St. Lowrence Terrace <2> |
ロンドンの西側。
アンティークの蚤の市で知られるポートベロー・ロードの一番北の端あたり。
そこから一本西側のセント・ローレンス・テラスという小さな通り沿いに10月から住み始めたこの部屋がある。
最寄りの駅は世界最古の地下鉄であるメトロポリタン・ラインのラドブローク・グローブで、
路線バスも何本か走っていて街の中心へのアクセスは良い。
その駅から歩いて三分くらい、三階建ての建物の三階。
一階に大家の老夫婦が住んでいて、家賃は週毎で40ポンド。
日本円に換算すれば約1万円。
保証金などはなくて、毎週、アイルランド人の大家さんに家賃を支払う。
少なく見積もっても築後五十年は下らないだろう建物で、お世辞にもキレイな部屋とはいえない。
でも広さはまずまずで、通りに面したふたつの大きな窓からの眺めは悪くない。
家賃が安いからといって部屋にいるのが嫌になるのも避けたい、
そう思いながら十軒近く貸し物件を見て廻った末に見つけた部屋だった。
ベッドやテーブル、ソファ、そして流し台、冷蔵庫、電気コンロ、電気ストーブ、
さらには食器や毛布、シーツなど、生活に必要なものが揃えてある部屋は
“ベッド・シッター”と呼ばれる間貸しスタイル。
トイレとバスは共同で、一階から二階へ上がる階段の踊り場にある。
僕の他の間借り人は同じ三階の隣の部屋にいるアイルランド人の爺さんだけで、
なぜか彼はバスを使わないのでバスは僕専用になっていた。
電気は部屋に入ってすぐ脇にあるタイマーのような機械に50ペンス硬貨を入れると通じる。
時間なのか電気料なのか確かなことはわからないが、
使用量が一定量を越えるとブレーカーが落ちるという公衆電話のような仕組みだ。
ただ、あとどれくらいで電気が切れるのかを示すメーターもなく、
なんの前触れもなく突然部屋の灯りが落ちてしまったりする。
だから電気が切れた時のためにたえず50ペンス玉を用意しておかなければいけない。
もちろん部屋に電話などはついていない。
東京での生活に比べたら不便なことだらけだったが、東京以上に住宅事情の良くないロンドンで、
この値段でこの条件は上出来と言わなければいけなかった。
この家から見て裏側になるポートベロー・ロードには、通りに面して小さなギャラリーが点在している。
牛乳を買いに出たついでにちょっとギャラリーに立ち寄って若いアーティストの作品を見る、
そんなこともできたりする庶民のアートの匂いとビートがある街だ。
ひと時代前の言い方をすれば労働者階級の人たち、そして有色人種の人たちがコミュニティを作っていた
地域で、
決して治安の良い場所ではなかったらしい。
今では住宅難に苦しむ若くスノッブなビジネスマンたちが移り住むようになり、
ずいぶん生活環境としてはまともになったのだが、ほんの五年くらい前までは
車の盗難や窃盗、空き巣なんかは日常茶飯事で、かなり物騒なエリアだったという。
窓から通りを見下ろせば、通り沿いで黒人男性数人が車の修理をしている。
彼らがいじっている車は彼らの物ではなく、道路を勝手に修理工場にしてしまっているのだ。
人種的な偏見を持っているつもりはないのだが、夜遅く帰宅する時、
人通りの少ない場所で黒人の少年たちが
たむろしている脇を通り抜ける時は知らず知らずのうちに足早になってしまう。
ポートベロー・ロードで蚤の市が開かれる週末を除けば日本人などほとんど見かけない。
部屋を見るために初めてここを訪れた時、威圧されるような雰囲気に、
こんなところに住んで大丈夫か?
とたじろぎそうになったが、慣れてしまえばその生活臭に愛着さえ沸いてくる。
ここに住んで一ヶ月、やっとなんとか自分の部屋らしくなってきた。
引っ越してきた日の惨状たるや、今、思い出しても吹き出してしまいそうになる。
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