同じ空なのに違う空の下 edge in London '89-'90 #10 |
Part 5/Fog Over The Ladbroke Grove
ラドブローク・グローブの霧 |
「ゴルフなんて山歩きみたいなもんさ。」
セカンド・ショットの場所に向けて歩きながら、ベエさんは器用に手巻きタバコを作り、うまそうに一服してからそう言った。
暖冬とはいえ、さすがに朝夕は冷え込み、晴天の昼間でも日陰になっている部分の芝生は白く凍りついたままである。必要以上な手入れが感じられない芝生の上に僕達の打ったボールが転がっている。
20年近くロンドンに住んでいるベエさんの歩調はゆったりとおおらかだ。吸いかけのタバコを芝生の上にそっと置いて、ベエさんがセカンド・ショットを打つ。ベエさんのやることはすべてGENTLEだ。それがイヤミではなく、あまりに自然である。”しばらくやってないから…”と言ってたわりには、ボールはきれいなループを描いてピンに向かって飛んで行く。ボールの行方に納得したベエさんはゆっくりとタバコを拾いあげる。
ベエさんはオリジナルのハイ・ファイ・システムを作る仕事をしている。クラシック音楽のレコードを聞くためのアナログ・プレーヤーのシステムで、実際の演奏よりも良い音の再生を目指しているという。すべてオーダー.メイドで、すでに生産が中止されて世界に何個かしかないようなモーターを使ってターン・テーブルを作ったりして、聴く人の家にあった設計をしたりして、想像を絶する、とにかくマニアックな世界らしい。オーディオといえばCD全盛のこの時代でも、ヨーロッパには、そういう物を愛する酔狂者がまだまだたくさんいるんだそうだ。
ベエさんとはまだ僕が日本で仕事をしていた今年の3月、仕事の関係の方を通じて知り合った。ちょうどベエさんが用事で日本に帰っていた時だった。必要以上に人の事を詮索しない、おだやかな雰囲気の漂う人だった。
ロンドンでは9月になって初めて会い、それから彼の暇をうかがってはフラットに出入りするようになった。ベエさんは、元々僕と同じミュージシャンだったこともあるのか、僕が知りたいと思っていたイギリスのことを本当によく知っていた。昼間からビールを飲みながら、のんびり彼の話を聞く。そして、彼から聞いた話を出来る限り体験してみようとした。
「ポルシェ以外の車は、ただの物を運ぶだけの道具だよ。」
彼はそう言いきる。その車へのこだわりは、以前、F3のレースにまでオーナーとして参加してしまったというから、ただものじゃない。そのこだわりは車に限らず、食べものから生活様式に至るまで。こういうとさぞかし豪勢な生活を送っているように聞こえるかも知れないが、そういう事ではない。実にシンプルな生き方である。彼のフラットにある家具は、ジャンク・ショップ、いわゆるガラクタ屋で買ってきた中古家具を、彼自身がヴェネチア風に仕上げ直したものだ。とても、それまで二束三文でジャンク・ショップに並んでいたものとは思えない。良くない物を良いと認められないだけの事で、彼は正当な物の価値をしかっり見極める目を持っているのだと思う。ポルシェにしたって、その名前が持っているステイタスより構造美や機能美といった内容に惹かれているのは普段の彼の行動を見ていればいればすぐにわかる。馬が乗る人を選ぶように、内容のある車ほど乗る人を選ぶという。彼は車に乗られてしまうような事は決してないだろうし、そんな車には決して乗らないだろう。最近そのポルシェを売ってしまったので、今はオースチンのミニに乗っている。ところがおもちゃのようなミニに乗っている時の彼は、ポルシェに乗っている姿が想像できないくらいミニが似合っている。彼は不必要な機能がまったくついていない、物を運ぶだけの道具としてのミニの良さもよく知っている。ちょっとした故障なら全部自分で直してしまう。そんなベエさんが”山歩きに行かないか?”とゴルフに誘ってくれた。
ゴルフはイギリスが発祥の地といわれている。確かにこの気候と風土はゴルフというゲームを産み出す条件が揃っている。なだらかな丘が連なる地形。芝生の育成に適した、一日のうちに何度も晴れ間と雨を繰り返す気候。市内にあるゴルフ場は地域の人々の公共の場、公園と同じ意味合いを持った場所が多い。
ゴルフ・バックを乗せたカートをカラカラと引きながら歩く僕らを風の唄が包み込む。
僕らが目指す旗竿の突き刺さった穴は、本当だったらきれいに芝の刈り込まれたグリーンの中にあるべきものだが、今日はグリーン手前のフェア・ウエイにポツンと開いている。夜のうちに凍り付き、太陽の光でそれが溶けてグシャグシャのグリーンは春まで使用停止中だからである。そんな場所で旗がたなびいているのは、なんとも情けなくて愛らしい。ボールが穴まで残り数メートルまで近づく。したり顔でパターを取り出す。身体をかがめ、その気になってパットをしても、ボールはピョンピョンはねてままならない。子供の頃のビー玉遊びに近いものがある。僕とベエさんはそれでも真面目に穴を狙い、その姿がお互いおかしくって笑いがこぼれる。なんだか僕がゴルフを始めた頃のようだなあ。
今でこそ、たまに、それも海外に出た時くらいしかクラブを握らなくなってしまった僕であるが、子供の頃は”山”をかけめぐるゴルフ少年であった。
中学生の頃、僕の育った街のはずれで、団地を作るための大規模な宅地造成が行なわれた。山は削られ、巨大な台形の島がいくつも出来上がった。まだしばらく建築の始りそうもない宅地造成地は僕達の格好の遊び場となった。広場に線を引いて草野球をするように、僕達はそこに一本の草も生えていない草ゴルフ場を作った。石だらけの地面に穴を掘り缶詰の缶をうめてホールを作る。そのまわりを木切れなんかで書いた円で囲み、それがグリーンだ。その線の中に入らなければパターを使ってはいけないというルールを作った。どうせどこもかしこも石ころだらけの荒れ地だから、パターを使おうがなにを使おうが関係ない状況ではあったが、そこらへんにこだわるところがいかにも子供らしい。なにしろ人の気配のない広大な土地である。ドライバーだって思いっきり打てる距離が十分あった。”1番ホールは350ヤード、パー4。2番ホールは道路越え120ヤード、パー3…。”実際に距離を計った訳でもないが、子供ならではの”なりきり”でコースは設計されていく。クラブは親戚の家の納屋に転がっていたり、デパートのセールで1本980円で売られていたりする物を少しづつ集め、ボールはゴルフ練習場の網の外に転がっているのを拾ってくる。そんな荒れ地でのゴルフでも、僕は技術書などから理論を学び、マナーを学んだ。黒い線が入ったボロボロのボールが、荒涼とした白い世界を舞い上がった。
今でも僕にとってのゴルフとはそういうものだ。
二十歳過ぎてからこの歳まで、日本国内でゴルフ場へ行った回数は数えるほどしかない。自分から進んで行ったことなど一度もない。まあ、若い頃は単にゴルフなどに行く金がなかっただけの話だ。決してゴルフというスポーツが嫌いなわけではなく、昨今のゴルフを取り巻く状況がどうしてもその気にさせてくれない。
日本経済隆盛のシンボルとなってしまったゴルフ。日本の場合、ゴルフをする人の多くが”接待”という名の元にゴルフ場に出向くのだから金に糸目はつけない。バカげた料金をもろともせず金をまき散らすオッサンたち。ガンガン木を切り倒したあげく農薬をまき散らすオッサンたち。何を勘違いしているのか妙に偉そうなキャディーのオバサンたち。最近はそのバカげた世界に参入し訳わからずで芝をけずりまくる若いネエチャンたち。金さえあれば何をしてもいいと思っているやつらに支えられている日本のゴルフ。ゴルフ場の会員券は投資の対象となり、本来のカンツリー・クラブの持つ意味を大きく逸脱してしまっている。そういう日本のゴルフ事情に、子供の頃にしみついたゴルフに対する純粋な気持ちが拒否反応を起こさせるのかも知れない。もちろん日本にだって本当に心からゴルフを愛している人も大勢いるだろう。でも今はそういうところに高い金を払う気がどうしても起きない。
ロンドンの中心から車で30分の距離にあるパブリックのこのコースは、グリーンが使えないぶん割引でワン・ラウンドの料金がたったの8ポンド(約2000円)。ベエさんがいうには、ゴルフはもともと労働者の人達のためのスポーツで、たとえばタクシーの運転手さんたちがお金を賭けて楽しむそういうものなのだそうだ。もちろん、中にはメンバーしか使えない高級なコースもあるのだが、基本的には気軽なスポーツのようだ。カナダのトロントで行ったパブリック・コースでも、老人から子供までが散歩のようにゴルフを楽しみ、コースを横切る小川では近所の子供がロスト・ボールを拾い、やってくるゴルファーにそのボールを売って小遣いを稼いでいたりしていた。それはとてものどかで、変なお金の匂いのしない平和な風景だった。日本でも、ゴルフは労働者のスポーツにはちがいない。ちがいないが…。
午後4時にもなれば、どっぷりと日は暮れてしまう。夏の間は夜の10時になってもうっすら明るいこの街も、冬の午後3時は夕方である。僕達は14番ホールでやめることにした。
ベエさんのミニに乗って、郊外から市内に向かう。夕やみの中、初めて目にする街並みが流れて行く。何のことはないありふれた風景が僕の目にはすべてが新鮮にうつる。有名な場所を旅するのもいいけれど、今、自分が住んでいる街のまだ知らない場所の小さな通りを知るのもいいなと思った。そのままベエさんのフラットに立ち寄り、夕食を御馳走になることになった。メイン・ィッシュはベエさんの友達が釣ったという“にしん”のグリルだった。20年イギリスに住もうがどうしようが、ベエさんは白い御飯をこよなく愛している。白い御飯と並べばスコットランドで釣れたにしんのグリルも、いわゆる和食の焼き魚になる。うまい。やっぱり日本人に生まれてよかった。そう、彼のおもしろいところは、へたなイギリス人よりイギリス的なのに、それ以上にへたな日本人より日本的だということだ。もし彼がイタリアに住んでいたらイタリア人以上にイタリアを極めようとするだろう。そして白い御飯のうまさは決して忘れないだろう。エコノミック・アニマルといわれて久しい日本人だが、ベエさんみたいな人が海外にいると思うとなんだかホっとした気分になる。
食後、ベエさんは手巻きタバコを作る。タバコの葉っぱはオランダ産の物で、それをタバコ用の巻き紙に巻くのだが、いつもベエさんはその紙の端を少し切り落とす。どうしてそんなめんどうなことをするのか理解できなかった。でも、ベエさんのすることだから絶対に何か意味があるに違いなかった。
「このタバコの葉っぱはね、ケミカルな物がまったく含まれていない自然なものなんだ。一般的なパックしてあるタバコは、なにかしらケミカルな処置がほどこしてある。しかも、そういうタバコの紙には縦に細い線が入っているけど、あれは火が均等に燃えて行くために鉛が塗ってあるんだよ。そんなの身体によくないじゃない。この巻き紙にはそういうものは一切使ってない。しかも、この紙は市販されている物の中で一番薄いやつなんだ。タバコを吸うんであって紙を吸うんじゃないからね。紙の分量が少しでも少ない方がいいだろ。端を切り取るのも自分が吸うタバコの分量に必要なだけ紙があればいいからそうするのさ。」
そんなに身体に気を使っているのならタバコなんて吸わなければいいではないか、という考え方もあるが、そんなことを言いだしたら世の中やめなければいけない物だらけになってしまう。環境の事を考えたら、今すぐにでも自動車を止めなければいけなくなる。僕の愛するテニスためのテニス・コートはもちろん、ゴルフ場やスキー場はすべて、すぐにでも森に戻さなくてはいけなくなる。必要悪という言葉もある。どうせ人間はそんな悪や無駄から逃れることはできないのだ。今の生活でゴミを出さないなんて不可能に近い。しかし、不必要なゴミを出さないようにすることはできるだろう。生活を便利にするために知恵をしぼり努力することは善だが、そのために何かが必ず破壊されたりするのである。ベエさんは声高らかに環境問題を語るような人ではないのだけれど、ひょっとすると彼の物に対するこだわりが、今、僕達が直面している環境問題を解決してゆく鍵になるのでは、と思う。
夜中の1時過ぎにベエさんのフラットを出ると、いつの間にか濃い霧がたち込めていた。この時間ではバスも1時間に1本だけで、タクシーも来そうにない。ホーランド・パーク・アヴェニューを左に折れて、ラドブローク・グローブをとぼとぼ歩く。人影はなく、街灯の灯が深い霧の中にボワッと浮かんでいる。
その昔、ロンドンは霧の都と呼ばれた。その霧とは、実は工場の排煙や、一般家庭の暖炉からの排煙だったという。今では、環境汚染を防ぐためロンドン市内は暖炉の使用が禁止されている。映画「メリー・ポピンズ」で唄われた煙突掃除夫も今は昔で、サンタクロースも煙突から家に入ろうにも、ほとんどの暖炉は蓋がしてある。それでロンドンは霧の都ではなくなった。でも、問題はいっこうに解決されてはいない。この冬初めての濃い霧は、まぎれもなく”霧”なのだけれど、空や水がどんどん汚れてしまっている現実を覆い隠すことはできない。
”ラドブローク・グローブの霧”に包まれた僕は、ベエさんの紙巻きタバコの事を考えながら、スティングの”バーボン・ストリートの月”という唄を口ずさんだ。
僕は毎日強くなるように祈る
自分がしていることが間違っているとわかっているからさ
きっと君には僕の影も足音も聞こえないだろう
バーボン.ストリートに月が昇った夜は ?
僕のこだわりで世の中がどうなるものでもないだろう。
だからといって知らん顔してられるほど時の流れはおだやかではない。
ぺたぺたという足音とかすれた歌声が霧の中に吸い込まれて行く。
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