同じ空なのに違う空の下 edge in London '89-'90 #1 

Part 1/ 38 St. Lowrence Terrace <1>

雲の流れは低く速い。

部屋の中には,少し焦がしてしまったトーストの香りが漂っている。
なにげなしにCDプレーヤーのスイッチを入れると チェット・ベイカーの気怠げな唄声が流れてきた。
昨日の夜、といってももう明け方に近かったが、 このCDを聞いていたら心地良い眠気に襲われて、
気がつけばベッドの中だった。
でも、若き日のスターの座をドラッグで失い、
晩年はドン底を味わうことになるジャズ・ミュージシャンの声、
トランペットの音色は朝の空気には悲しすぎる。
CDを止めてラジオに切り替えると、
発売されたばかりのエリック・クラプトンの新曲が流れている。
昨日、同じFMステーションでこの曲を三度は聞いた。
僕はラジオのヴォリュームを少し下げて、
紅茶の入ったカップを持って窓際に立ち、
そして11月の空を見上げた。そう、ここはロンドン。
  1989年、31歳の僕はひとりでロンドンにいた。

  通りと通りがぶつかるT字路の付け根に僕が空を見上げているこの家があった。
住所は“38 St. Lowrence Terrace London”。
窓の外には西へと向う小さな通りが一直線に伸びている。
このあたりに一軒家は見当たらず、ほとんどの建物がマッチ箱を並べたように
隣の壁がぴったりとくっつている西洋風長屋、
テラスド・ハウスである。この建物と並木に挟まれた真っすぐな通りの、その遥か向こうに小さな丘が見える。
その丘の向こう側から飛行機が舞い上がる。
どうやら、あのあたりにロンドンの空の玄関、ヒースロー空港があるらしい。
僕を日本から運んできた巨大なジェット機も、あそこに降り立ったのだ。
斜め前の教会の屋根で羽を休める鳥たちと同じくらいに見えるジェット機が、
低い雲の間を見え隠れしながら、少し灰色がかった薄いブルーの初冬の空に吸い込まれていく。
日本にいた時になにげなしに見ていた空と、そこにある空は同じものなはずなのに、 何かが違っていた。
それがなんなのかがわからない。 同じなのに違う空。それはとても不思議な感じだ。

  東京からロンドンにやってきて4ヶ月。
なんとか空気にも慣れ、ここに来たばかりの頃のようにオドオドキョロキョロしながら歩くことも少なくなっていた。 すっかりこの街の時間の中に収まっている。
今頃、日本は夜の9時頃か。東京にいる友達や彼女は今頃何をしているのだろう。
何をしているにせよ、今、僕が見ている同じ雲を見てはいない。
同じ空を見てはいないし、同じ風を感じてもいない。
たとえば公衆電話まで行って電話をかければ声は聞けるだろう。
飛行機に乗って映画を二本見て、本を一冊も読んで時間をつぶしていれば、
明日にでもあの街に戻ることもできる。
あまりに簡単に地球の裏側まで行けるようになってしまった時代に、
だからといって、その距離が消えてしまったわけではない。
もし飛行機がなかったら、鉄道がなかったら、船がなかったら、
僕は歩いて日本まで帰れるはずもない。
自分だけの力ではなにもできないのだ。
空を見上げるたびに、生まれ育った国からとてつもなく遠くに来てしまったのだなと 思い知らされる。
この5年間、仕事やプラベートで海外のたくさんの場所を訪れたが、
そのつど感じたものと、この生活をするという時間の中から滲み出るものとではまるで違う感覚だ。
そう、大学に進学することになった18歳の時に見上げた空がこれと近い感じなのかも知れない。
生まれ育った故郷を離れて、今日から東京で生活を始めるという、
あの春の日の空だ。
10年以上を経て、あの感覚がふとよみがえる。
でもやっぱり同じようで違う空の下。
ただ少し、少しだけ世界が広がっただけのことかも知れないけれど。

 

prologue | #1 | #2 | #3 | #4 | #5 | #6 | #7| #8| #9| #10| #11|#12|#13|#14|#15|#16|