渋谷、NHKの横の坂の途中。
友達の夫婦、マーとケイちゃんがよく訪れるというコーヒー屋から見下ろせる、
最近建ったばかりのでっかいビルの角の花壇の前。
暖かくて冷たい風、すっきり晴れ渡ってはいないけれど春に霞む空。
通りの向こうのNHKの建物の脇には、空から舞い降りる電波を受け止める
でっかいパラボラアンテナ。ここから、あのアンテナに僕の唄をぶつけたら、
この 思いをどこか遠くに飛ばしてくれるだろうか。
僕の後ろにそびえ立つ、開かないガラス窓に包みこまれたビルの中に、
この唄を運んでくれるだろうか。そして すぐそばにあるマーとケイちゃんのオフィスに、
ここに僕がここにいること伝えてくれるだろうか。
僕はアンテナに向かって“ズル休み”を唄った。
巨大なアンテナにギターとハーモニカと声を武器に挑むドンキホーテ。
そんな馬鹿さ加減も、この街の片隅では、さして珍しくもない風景の一部だった。
ただ僕はそこにいた。
そこに立っていた。
“路上で唄う”この行動を誘発させたのは建築家のマーと画家のケイちゃん。
少し前、ライブハウスで唄う僕を見たふたりは、演奏しながら僕が感じていた
ジ レンマを見事に見抜いていた。ライブの数日後、僕たちは3人で食事をした。
ふたりとの会話は、自然に同じベクトルを保ちながら深まっていく。
彼個人のキャリアとしては初めて取り組む大きな公共物、
病院の建築に没頭していたマー。
彼いわく、コンクリートの建物を作る上で一番神経を使わなければ いけないのは
コンクリートを流し込む瞬間なんだそうだ。なのに、そんな若手建築家のこだわりを
理解してなかった業者が、彼の指示を待たずにコンクリート を流し込もうとした。
それでマーは広い建築現場を走り回り、どなりまくって作業を中止させた〜
〜こんなジェントルな男がなり振り構わず奮闘するエピソード を聞きながら、
なぜか、見知らぬ人が通り過ぎる路上でひとり唄っている自分の姿がリアルに
脳裏をかすめた。その時に思った、路上で唄うっきゃないって。
“ズル休み”を唄い終って、ギターを片付けようと、
花壇の縁を使ったコンクリートのベンチに座った。
すると、電動の車椅子に乗った若い男性がやって来て、通り過ぎ際、
目線の高さが同じの彼の目が一瞬,僕の姿をとらえた。
そのまま彼は振り返ることもなく過ぎ去っていったけれど、
僕はその後ろ姿に向かっ てまだ首にぶらさがっていたハーモニカを吹いてみた。
乾いた響きが、信号待ちで坂道に並んだ車の窓の隙間から車内に流れ込む。
それがなんだかわからず キョロキョロする助手席の女性。
そのまま、座ったまま,もう一度ギターを抱え、“INDIAN SUMMER”という曲を唄った。
季節はずれの秋の唄なんだけれど、その響きは不思議に空に溶け合っていた。
その夜、僕は久し振りに会った音楽プロデューサーと食事をしながら昼間の話をした。
ここんとこ仕事がイヤになってきているという彼女は、僕の馬鹿げた行 動に
興味深げに耳を傾けていた。そして、その話がマーとケイちゃんのことに及んだ時、
ホントにホントに偶然に、そこにマーとケイちゃんが現われた。
ただ それだけの、だけどホントにホントに小さな奇蹟だった