「Takumar」一族の歴史

 旭光学工業は、1950年11月に一眼レフカメラの開発に着手し、翌1951年5月に試作機を完成させました。これを翌1952年5月に「ASAHIFLEX」として発売したのですが、その時の発売商社は服部時計店だったそうです。このときに用意されていた交換レンズは、標準レンズの3群4枚構成テッサー型「Takumar 1:3.5 f=50mm」 とその倍の焦点距離を持つ中望遠の3群3枚構成トリプレット型「Takumar 1:3.5 f=100mm」だけでした。

 ところで、カメラのレンズに固有の名称を付けるのは当時広く行われていたことで、旭光学工業もカメラ名称とは別に「Takumar」という名称を付けていました。

 1953年、「ASAHIFLEX TA」が発売されると、望遠レンズが加わって行きます。4群5枚構成エルノスター型「Tele-photo-Takumar 1:3.5 f=135mm」および4群6枚構成ゾナー型「Takumar 1:1.9 f=83mm」、1954年3群5枚構成ヘリヤー型の標準レンズ「Takumar 1:2.4 f=58mm」、1955年1群2枚構成ガウス型の「Tele-photo-Takumar 1:5 f=500mm」という具合です。

 しかし、広角レンズは用意されなかったのです。

 なお、「Tele-photo-Takumar 1:5 f=500mm」は、レンズ名に「Tele-photo」と入っていますが、そのレンズ構成は「テレフォト」ではなく、単なるガウス型の長焦点レンズです。「テレフォト」というのは、凸群の後方に凹群を置くことで「主点」をレンズ群の前方に移すことによって鏡胴の長さを縮める技術を指します。「Tele-photo-Takumar 1:3.5 f=135mm」は、その名の通り「テレフォト」です。

 そもそも一眼レフカメラは、レンズとフイルムまたは撮像センサーとの間に、レンズから入った光をファインダースクリーンへと導くためのミラーを置く必要があります。そのため、フランジパック(交換レンズの取付面とフイルムまでの距離)が一定以上必要で、旭光学工業の一眼レフカメラの場合、それは「45.5mm」となっています。

 レンズには焦点距離があります。この焦点距離というのは、光軸と平行な光線が折れ曲がって光軸位置でフイルムに到達する時に、仮想的に折れ曲がる点のフィルムからの直線距離です。これの光軸上の距離を「主点」と言いますが、この 「主点」は、単凸レンズの場合はレンズの中心付近にあります。

 しかし、カメラに用いられる交換レンズは、諸収差補正のために複数の凸凹レンズを組み合わせています。そのため、「主点」の位置はレンズ群の中心付近とは限りません。でも、凸凹レンズが対称形に近いレンズ構成だと、レンズ群の中心付近になってしまいます。

 このことにより、1952年5月に発売開始された「ASAHIFLEX」シリーズには、広角レンズが用意されていません。50mmの標準レンズが最短焦点距離だったのです。それはフランジバックが45.5mmもあるのですから当然のことでしょう。この時代、競争相手の「距離計連動レンズ交換式カメラ」 には広角や超広角レンズまで用意されていたため、それが使えない一眼レフは、大きな制約を背負っていたのです。

 ところで、前群に凹レンズを置き、後群に凸レンズを置くと、「主点」がレンズ群中心より後方に移動することに関しては、1932年に特許が取られていました。これを利用して、1955年にアンジェニューによりレトロフォーカス35mmの交換レンズが実用化されます。これは前群凹と後群凸の間隔を大きく取って焦点距離35mmを実現し、なおかつ、前群凹を大口径にすることで開放F値を小さく出来たのです。

 その後、「レトロフォーカス」という言葉が、「主点」をレンズ群後方に移動させるレンズ構成の総称となっています。 別に「逆望遠」という言い方もありましたが、今日では廃れました。フランジバックが長くなる一眼レフ用広角レンズは、この「レトロフォーカス」によらなければ実現出来ないのです。旭光学工業の「Takumar」も、当然その実現に着手しています。

 一方、「主点」がレンズ群中心の前方に移動することで望遠レンズの鏡胴を短縮する効果のある、前群に凸レンズを置き、後群に凹レンズを置く「テレフォト」は、1958年「ASAHI PENTAX K」の時代に登場しています。

 なお、それ以前から用いていた「エルノスター型」も、広い意味ではテレフォトに属するのかもしれません。

 1952年から発売された「ASAHIFLEX」シリーズは、マウントが「M37・P=1」という独自なもので、当時国際標準規格となりつつあった「M42プラクチカ」の動向を見たのでしょう。1957年5月旭光学工業は、ペンタプリズムを搭載して正立正像アイレベルファインダーとした新型を「ASAHI PENTAX」とし、そのマウントを「M42プラクチカ」に準拠した「Sマウント」に変更しています。これに伴って既存レンズ群も「Sマウント」化し、新たにより明るいレンズ群をも登場させて行ったのです。

 1957年12月には、最初の広角レンズ「Takumar 1:4 f=35mm」を発売することで、交換レンズ群を充実させて行くことになります。

 ここでは、「Takumar」一族がどのような発展の仕方をしたのかを、「レンズ構成図」により見て行きたいと思います。

もくじ

「Takumar」一族における標準レンズの歴史

「Takumar」一族における広角レンズの歴史

「Takumar」一族における中望遠レンズの歴史

「Takumar」一族における望遠レンズの歴史

「Takumar」一族における超望遠レンズの歴史