Vol.67 - 08 Dec. 2006
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迷い犬の「源太」に右往左往させられているうちにすっかり冬
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になってしまっていたようなこの秋でしたが、そんな中でも先
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月末の28日には、東京ドームでビリー・ジョエルのコンサート
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彼がつぎつぎヒット曲を生み出していたのは、ボクがまだ高校
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コンサートでは、その頃にガンガン聴いていた曲が次から次へ
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と演奏され、ビリー・ジョエルのパフォーマンスを楽しみながら、
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当時のこともあれこれと思い出すひとときになりました。
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アルコール依存症や鬱病で入院したり、交通事故を2度も起こ
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したりなどとウワサに聞いていたし、当時と比べて明らかに膨
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よかになってしまった体型を見るにつけ、時の流れを感じずに
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はいられないコンサートになるものと覚悟をしていましたが、そ
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んな心配は無用であったばかりでなく、むしろ期待以上のもの
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「Prelude」のピアノ早弾きで幕を開けたコンサートは、2曲目に
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早くも「My Life」、そして「Honesty」へ。
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カセットテープが、ワカメ状態になってプレイヤーの中で切れて
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しまうほど聴き込んだアルバム、「52nd Street」からの2曲で、
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その後も名曲が続き、興奮は高まる一方だったのですが、そ
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の理由のひとつとして、ビリー・ジョエル本人の歌声が全く変
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わっていない、つまりボクたちが持っているイメージ通りの声が
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この会場で再演されているということがあると思いました。
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前述の通り、アルコール依存症や鬱病、アクシデントなどを経
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ても、とにかくあの繊細ながら力強い、伸びのある声が健在で
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あったことが、期待以上のパフォーマンスだと思えた最大の要
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ステージ両側に置かれた巨大スクリーンに映しだされる彼の
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手許は、以前から骨太ではありましたが、相変わらず繊細に
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メロディを奏で、時に力強く鍵盤の上で跳ねていました。
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また、ピアノの元を離れて歌う場面では、マイクスタンドを投げ
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上げたり、思いの外軽快な身のこなしで踊ってみせたりと、と
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にかく57歳という年齢を感じさせない動きにも感激でした。
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「Just the way you are」「Allentown」、そして本人曰く、20年
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以上もステージでは歌ったことのない「Stranger」…。
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あのイントロの口笛こそ事前に収録されたものが使われていま
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したが、ジャジーで洒脱なサウンドとちょっと粘り気のある彼の
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声は、遠い日にLPレコードで聴いていたもの、そのものでした。
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かなり大きな部分を占めるポップスグループであると書きまし
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たが、こと高校時代に限っていうと、既に活動をほとんど休止し
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ていた「ABBA」に対して、まさにヒットをつぎつぎ出しているさな
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かのビリー・ジョエルの方が大きい存在になっていました。
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映画やテレビドラマでしか見たことのないニューヨークや、当時
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のアメリカで大きな問題になっていたベトナム戦争後のこと。
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大都市、いろいろな街、さまざまな表情を持った人々。
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ビリー・ジョエルの曲から、アメリカの様子をなんとなく頭に想
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この「ノンキな通信」をVol.1から全て収録してある、ボクのホー
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“Attic”も、実は1981年発表のビリー・ジョエル初のライブアル
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バム「Songs in the Attic」で覚えた“Attic”という単語を使った
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ビリー・ジョエルは、ボクが学生の頃からホントによく聴いてい
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て、来日公演があるならばぜひとも行きたいと思っていたアー
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その夢が今年こうして叶い、今は非常に満足しています。
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イントロのピアノソロでは「さくらさくら」をフィーチャーし、ビリー
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本人がハーモニカを吹いて、会場全体で合唱したアンコール
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曲「Piano Man」まで、本当に素敵な2時間でした。
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今回もまたチケットを苦労して取ってくれたボクのカミさんに、
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ほんとうに、ありがとう。素敵な結婚記念日になりました。
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ノンキな通信 I.Z.'s Attic
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