Vol.57 - 26 Apr. 2005

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へぇ〜、牛を食べることがタブーのヒンドゥー教徒でも、水牛は
食べるんですね。
「ヒンドゥー教徒は宗教上の理由から牛を食べない」というのは、
何かの教科書に書かれていたので、ボクも覚えていました。
同じように「イスラム教では宗教上の理由から豚を食べない」と
いう決まりがあり、これもけっこう有名な事実。
ただ、両方を混同して認識している場合は、ものすごく多そう
ですけどね。

考えてみれば「宗教的な理由」の内容も判らなければ、「どう
ダメなのか」もよく分からないのが現実。
そこで、ヒンドゥー教についてちょっとネットで調べてみました。

ヒンドゥー教には多くの神が存在するのだそうですが、その中
でも3大神と呼ばれている神々がいるそうです。
生成の神ブラフマーと救済の神ヴィシュヌ、そしてもうひとりが
破壊と創造の神シヴァ。
このうち、シヴァが乗る動物が、ナンディンという聖牛なのだ
そうです。
つまり、牛は聖なる動物だから食さない。−そういうことだと
思ったのです。
しかし別のサイトには、宗教上の理由から廃用(屠殺)にでき
ないということが書かれており、さらには、故に口蹄疫などの
蔓延に歯止めがかけられないというような記述もありました。
なるほど、口にするか否かという以前の問題として、牛を傷つ
けたりすることがそもそも許されないことなのですね。牛が役
畜として利用できなくなった際にはけっこうやっかいな問題に
なってしまうようです。

一方の水牛は、同じウシ科の動物でも、ヒンドゥー教の世界
では、どうやら牛とは違う動物だと認識されているようです。
“牛じゃないから”食べられるのでしょう。宗教独特の都合の
良い解釈とも受け取れなくもないといったところですが、食用
にするにはどの動物でも“しかるべき方法で処理”したもので
なければということなので、殺生に対する感謝の気持ちは、い
かにも敬虔な人々といった感じなのでしょうか。

ところで、ヒンドゥー教徒の「牛肉」への思いというのは、どうい
うものなのでしょう。その辺りがー番興味があるところですね。
“日本人は象の肉は食べない”というくらいに、牛は食とは無
縁の存在なのか、それとも、食べたいけれども食べてはいけ
ない“禁断の食べ物”なのか…。
もし禁断の食べ物なのだとしたら、水牛は食べるという理由は、
なんとなく理解できるのですが。

どなたか、わかりやすくご説明いただけませんか?


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