Vol.36 - 29 Mar. 2004

前回の「ノンキな通信…Vol.35」で退院報告をさせていただいた
ところ、多くの方々よりお見舞いの返信メールをいただきました。
改めて御礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました。
現在の状況は、右脚のしびれはあまり変わりませんが、生活に
必要な筋肉がだいぶ戻ってきた分、ふつうの生活にはかなり支
障がなくなってきています。
ただ、元はといえば「腰」の病気なので、立ち上がったり座ったり
という動作は相変わらず不得意分野で、床に落ちているものを
拾い上げたり、ある程度の重さのあるモノを持ち上げたり、また
靴下を履くことと階段の昇り降りも、今のボクではちょっと好い
点数が採れなさそうです。

さて、そんなわけで歩くのもままならない状況ですから、ここの
ところ、“歩行を妨げるもの”がちょっと気になっています。
階段、段差、溝、開き戸…、などでしょうか。
駅前広場の意味不明な一段の段差とか、整備不良でぶかぶか
浮いたり歩くとごっとんと動いてしまうブロックタイル貼りの歩道
とか、妙に重たいビルの入口のガラス扉など、健康な皆さんで
もちょっと思い返してみると、思い当たる場所があろうかと思い
ます。
「そういえばあのビルの扉、力いっぱい引かないと開かないよ
ね〜」

今、歩行の速度がいつもの半分程度になって、ふと子供のころ、
母親に手を引かれて雑踏の中を歩いた時のことを思い出しまし
た。
人込みの中を歩く間、母親は常に段差があるとか溝があるとか
犬のうんちが落ちているとか、手前に引く開き戸だからそんなと
ころに立っていたら開閉の邪魔になるなどと細かい指示を出し
ながらボクの手を引っ張っていました。
ボクは手を引っ張られることによって、目の前に迫った障害に注
意を払いクリアして歩いて行く。そうしてもらうことによって、いろ
いろな場所、雑踏の中などを歩いて行く方法を学んだ…。そんな
ことを思い出したのです。

初めて回転ドアを通り抜けたのはいつのことだったのか、それは
ちょっと思い出せませんが、子供のころ、回転ドアは必ず親に手
を引かれて通ったものです。あまり通り抜けるような機会はあり
ませんでしたが、それでも通り抜ける時には親から扉には触ら
ないように言われ、いつか自分で扉を押してみたいものだと思っ
たりもしたものです。
六本木ヒルズの回転ドアでの事故以来、回転ドアの危険性に
ついての論議がいろいろなところでなされています。センサーが
感知しない空白のエリアがあったとか、回転速度が最速に設定
されていたなど、論点は押し並べて回転ドアの危険性とそこに
意図的な操作があったのかどうかというところに集中しています。
でも、ボクが気になる点はそういうところではありませんでした。
どうしてあのビルの入口は回転ドアでなければならなかったの
か。
それから、回転ドアの手前までは手をつないで歩いていたという
母と息子。その瞬間から事故発生までのほんの一瞬は、決して
ビルのせいにもドアメーカーのせいにもできない問題が親には
あったのではないか、ということ。

駅、デパート、地下街など、断続的に多くの人々が出入りする
場所では、回転ドアに出会うことはまずありません。六本木ヒル
ズの森タワーも、上層階こそオフィスビルですが、回転ドアのあ
る低層階は商業集積。デパートや地下街などと同じ人通りがあ
ることは充分に予想できたはずです。そこに回転ドアを設置した
ということからして間違っていたのではないでしょうか。
回転ドアはふつうの自動ドアとは違って通り抜けるのに過度の
緊張感を抱かせます。ですからできる限り設置しない方がいい
のではないかと思います。
それから、人込みの中や慣れない場所を子供を連れだって歩く
時は、親がしっかり子供の手を引いて誘導しましょう。今、突然
歩くことに神経を使わざるを得なくなったボクにとって、以上の2
点がこの痛ましい事故からの教訓です。

身体の一部が、たとえ一時的であっても不自由になったりする
と、モノの見方が変わってきたり、視野が広がったりするもので
す。
でもホントは、もともとの問題のない身体のうちにそういったこと
に気付くべきなんですよね。…やれやれ、腰のためにそろそろ
立ち上がることにいたします。
それでは、また。


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