Vol.11 - 23 Sep. 2001

今回は9年前に初めて訪れ、今回の同時多発テロ事件でワー
ルドトレードセンターと共に倒壊したニューヨーク、ワールドフィナ
ンシャルセンターの話です。


今や崩壊してなくなってしまったニューヨーク・ワールドトレード
センター(WTC)から道路一本隔てたハドソン川寄りに、ワール
ドフィナンシャルセンターという建物がありました。こちらもWTC
の崩壊と同時にその姿を消してしまったようですが、そのワー
ルドフィナンシャルセンターの顔とでもいうべき、「ウィンターガ
ーデン」と呼ばれた広大なアトリウムが好きでした。
壁や床は全て大理石が貼られ、見上げれば巨大なガラスの青
天井。
その空間の中央に大階段があって、その脇には今でこそスター
バックスなどで見慣れてしまったちょっとしたカフェ。アトリウムに
は常にコーヒーの香り。
ばっちりスーツ姿の人もいれば、意外とラフに、タンガリーにチノ
パンの人もいる。映画「ワーキングガール」のバリバリ・キャリア
ウーマンを演じていたシガニー・ウィーバーみたいなカッコいい
キャリアOLみたいな人もいれば、ウーピー・ゴールドバーグみた
いな気の好い清掃婦が大きな台車を押していたりもします。
外はけっこう慌ただしいのに、そこだけは静寂が漂っている空間
でした。
でも、イベント開催時には大階段は観客で埋まり、ゴスペルやら
サックスやらがとても好い具合に響く、意外と立派なコンサート
ホールでもありました。
とても背の高いパームツリーが、大きなガラスの壁面にならび、
夜にはそれらが豆電球でライトアップされる…。
おそらく最初の一撃で、その巨大なガラス天井は破壊されてし
まったのでしょう。
カフェテリアも、そこでいつもシューッと音を立てていたパーコレ
ーターも。

初めてうちのカミさんと出会ったころ、あまりにいつもいっしょに
そこに行くものだから、たまには人の多いごみごみしたところに
行こうよと、よく諭されたことが、ほんの昨日のことのように思い
出されます。

1年間過ごしたイギリスからニューヨークに移って、その薄汚さと
どことなく漂う危険そうな気配、そしてさらに輪をかける湿度の
高さ、じめじめとした空気。そんなものにイギリスへのホームシッ
クのような感覚すら湧き始めていた時に、初めて好きになった
“アメリカ”がこのウィンターガーデンでした。
建物の中に入るだけでなんだかちょっと格好良くなったような感
じのする空間。
街中はどこか薄汚れていて、気ぜわしく慌ただしいのに、なぜか
ここだけ時間がゆったりと流れているように感じ、低く抑えられた
湿度と清潔な空気の中、のんびりとパームツリーを眺めていたら、
「これからの1年は、今度はこの街で生活するのだ」という活力と
までは言わないまでも、なにか踏ん切りを付けさせてくれた空間
でした。

あの周辺が壊滅状態だということです。
ボクにとってそれはある意味で阪神大震災以上の喪失感があり
ます。
アメリカを見直し、アメリカンドリームの端緒を見ることになった
原点とも言えるであろう場所が、今回こともあろうに、個人的な
遺恨で喪失してしまったのだから。
未だ行方不明者の救出活動は捗っていないようです。
事件以来、なかなか見ることのできなかった現場付近にもよう
やく報道のカメラが入れるようになって、いくつかの報道機関を
通じてその映像を目にした時、事の重大さを改めて痛感したのは
皆さんも同様のことと思います。

その時、ふとボクの眼に入ってきたものがありました。
あ! ボクは眼を疑いました。
ウィンターガーデン西側、ハドソン川に面した一大ガラス壁面と
二重になった天井の一部が、残骸の中に凜として立っていたの
です。
くすぶる煙と建材の粉塵が漂う中、そのきれいな二重のアーチ
が画面に映し出された時、崩壊してもなお人々に夢を与えてく
れる街であるとボクは感じました。
犠牲になった人々の数は確かに尋常ではないし、これから起こ
るであろう戦争にも納得できるものは何一つないけれど、とりあ
えず街の再起に向けてなにか期待のできる光明でも見たような
気がしました。

この話をお読みになっている皆さんの知人や友人、また身の回
りの方々の知り合いなどでこの事件の犠牲になった方もいらっし
ゃると思います。
そういった方々の心情は察するにあまりあるもので、なんと申し
上げたものかと思います。明るいこれからの社会を作り上げる
ことで、報いたいと思います。


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ノンキな通信  I.Z.'s Attic




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