常磐線沿線にあった廃止路線ほか
常磐線は幹線なのでいろいろな駅から、炭鉱路線やほそぼそと私鉄が盲腸線で出ていました。そのほとんどは時代と共に消えていきました。少しばかりの写真ですが、当時を思い出してみたいと思います。 また常磐線沿線ではなく、磐西線の川桁駅から出ていた沼尻鉄道と言う軽便鉄道も併せて紹介します。 しかし場所や年代を特定できない写真が殆どです。 |
日立鉱山専用電気鉄道
終点の大雄院駅です。日立市内ですが山間部と言った感じです。ここに機関車ほか車両の基地があったようです。これは72号機と
表示されています。米国製の機関車のようですが詳細は全く不明です。
これは80号機で72号機よりも新しいです。不思議なのはこの機関車はバッファ式連結器です。助川(今の日立駅)からはどうしたのでしょうか。
これまた凄い機関車です。草軽のジェフリー社製の電機を想像します。
これはドイツ製にも思えます。2軸で銚子電鉄のデキ3に似ています。ただ
連結器が自連になっています。同じ日に撮っているのにこれまた謎です。
謎ばかりの日立鉱山電気専用鉄道でした。
日立電鉄
ゲテモノと言ってもおかしくない、日立電鉄の目玉だったスタイルです。 斜め傾斜が前面下まで付いた車両は、私は初めてです。当時私鉄の
旧相模鉄道の気動車で、戦前の生まれです(昭和10年)。戦後電車に改造され昭和22年に日立電鉄にやってきました。私の生まれた年です。
これらは終点の鮎川で撮った電車の数々です。オリジナル車両と言うのがなく、殆どが譲渡車の改造で、特段狙って行った車両ではありません。
ここも鮎川車庫ですが、お目当てのモハ13形(13~16)は4両が在籍していて、これは新しいツートンになる前のくたびれた14号です。
日立鉱山が閉鎖され専用鉄道もなくなりましたが、平電化の時点では、平区のC50が日立駅まで入れ換え用で来ていました。
関東鉄道の車両たち
この当時は関東鉄道と言う会社は4線を持っていました。これは石岡から出ていた鉾田線です。石岡機関区に並ぶ当時の車両たちです。
鉾田線も1979年に関東鉄道から分離され「鹿島鉄道」となりましたが、これも経営不振に陥り2007年に廃線となりました。この後の
関東鉄道の様子は下記でご覧ください。 鹿島鉄道-鉄道撮るあるき (itscom.net)
これは土浦から出ていた関東鉄道筑波線です。この線の車庫は次駅真鍋にありました。4線のうち真っ先に廃線になりました。
これは関東鉄道竜ケ崎線で、まだ廃線にはなっていませんが、当時は国鉄の04形をワンマン化して使用していました。竜ケ崎駅です。
常磐沿線ではないですが、沼尻鉄道を紹介します
磐越西線の川桁駅から可愛いナローの軽便鉄道が出ていました。まるでワンダーランドの世界でしたが昭和44年に廃線となりました。
これはDC12形の小型DLです。DC121とDC122の2両が在籍し、上の写真はDC121で、これはDC122だったと思います。2はスリムな感じでした。
終点の沼尻駅です。しっかりした駅です。駅前で子供も遊んでいます。こういう楽しい鉄道が亡くなるのはさみしいですね。
おまけ・最近廃車の写真
日立電鉄はその後、営団銀座線2000形を導入・改造して2両編成、一形式で統一しました。しかし客足は戻らず2005年廃線となりました。
これは今は「ひたちなか海浜鉄道」と会社は変わりましたが、茨城交通時代に走っていた唯一の元国鉄のキハ11のありし日の姿です。