その2

驚きと懐かしい写真が続きます



加悦鉄道のバケットカー



 
大正時代に開通した加悦鉄道。その歴史は古いのですが、これもニッケル鉱運搬が目的でこんな田舎に乗客輸送で路線など造るはずはなく全国的にも
物流のための路線が多かったのです。従ってここの車両も前後に荷台を設けたいわばバケットカーが主流でした。丹後山田駅に到着のキハ51(前身は
芸備鉄道のキハユニ18です) 早春の晴れ間ですね。腕木信号機がいい味を出しています。      昭和45年3月 丹後山田駅  神奈川 TS氏撮影 


 

 
 



 
丹後山田駅に到着のキハ51です。この日は雨で、さらに乗客も少なかったせいか、客室内から駅職員が荷物を運び出しています。   神奈川 TS氏撮影
 
 
 
 
 
 
 


加悦駅です。バケットカー・キハ101と、貨物のトラが留置されています。鉱石や荷物輸送の役を終えた後、昭和60年に廃止されました。 神奈川 TS氏撮影





まだポール時代の鞍馬駅



京福電鉄鞍馬駅は1960年代の後にも行っています。この洛北の山奥の駅は健在でした。こういう風格のある駅が少なくなりました。  C6244撮影








夕刻で既に駅には灯りが燈っていますが、デオ200形がポール集電姿で到着しました。   以下 千葉  HJ氏撮影








ノーシルノーヘッダーのポール電車も珍しいです。行先板は出町柳に替えられています。早春の夕刻。雰囲気のある佇まいです。








春の夕暮れは早く、しかも奥深いところで、トライX使用と思いますが、更に黄昏が迫っています。静けさだけが伝わっててくるようです。








このHPに60年代のポール時代をまとめてありますが、この写真は貼っていませんので参考までに。
http://home.a00.itscom.net/yosan/densya/eiden-randen-keifuku/eiden-randen-keihan.html

まだ、周囲の樹木が少なく、燐駅の貴船口ホーム下から撮った1枚です。     C6244撮影





加悦鉄道 その2





加悦鉄道はバケットカーとばかり思っていましたが、これがいたんですね。元国鉄のキハ08形です。客車のオハ60系を改造して運転台とディーゼル
機関を取り付けた、大型の車両でした。そもそも、これは試作車扱いで正式には国鉄には08形は存在しなかったという曰く因縁のある車両でした。
なお、やはり荷運搬は必要とみえて、国鉄ではトイレだった部分を荷物室に改造しました。1971年に北海道から来ましたので短い走行期間でした。
こんな重量級がここを走れたというのも、もともと鉱石運搬で線路が強靭に造られていたからでしょう。加悦駅です。      東京 FT氏 撮影








この異端児は、エンジン1基搭載だったため、国鉄時代は北海道・道東の非勾配区間で使用されていました。ここは丹後山田駅で、国鉄宮津線と
接続していた駅です。ちょうど宮津線のキハ17と並んでいます。今思うと、それほど古くはないのにとても貴重な写真ですね。私は丹後山田駅の
並びは見たのはこれが初めてです。たぶん、この08-3と宮津線の並び、更には宮津線も交換の写真は誰も持っていないのではないかと思います。








丹後山田駅に停車中の、キハ51とキハ101の2連です。丹後山田駅って、どんな線路配置になっていたんでしょうか。興味ありますね。 だいたい
ここで降りて撮る人はいたんでしょうか。この2連も珍しいですね。総括制御ではないので、先頭が引っ張ったんでしょうか。ローカル線の面白
さは一体どうやって走らせたんだろうと不思議に思うことが多い事です。これは撮影者によると、夏休なので学生が乗っていないとのことですが
そうであれば、わざわざ2両にする必要がない訳で、こういうところも興味深いところです。しかし、運用では休みも2連だったんでしょうね。







これも2両連結ですが、学生がたくさん乗っていたんでしょうね。鉱石列車が右側に見えます。加悦駅です。 以上昭和49年 写真は東京 FT氏 撮影







しかも氏の驚くべきところは、加悦鉄道に行くかどうかもわからない時点で、国鉄時代の08-3号機を撮っていることです。私(C6244)も釧路は
同時代に行っているのに、目的が違ったもので気動車、C58 等一切撮っていません。奇しくも加悦に来た3号機です。 昭和42年 釧路 FT氏撮影





 
骨休みの1枚

 

これはなんと、静岡鉄道駿遠線で藤枝付近だそうです。東海道線下り列車から撮った写真です。静鉄は最盛期には120両以上のDL、DC、客車や貨車を抱えていた、静岡県では一大私鉄鉄道で、
車両メーカーに発注せず、自前で製造した車両も多い技術を持った鉄道会社だったようです。しかしながら、余りに多すぎて、これが何型のDLで、客車も一体どんなものか全くわかりません。
駿遠線の名物機関車DB609でもなさそうですし。手前には上り線の線路がありトリミングしていますので写真は少し荒れていますが、昭和の長閑な光景で癒されてください。  神奈川 TS氏撮影





北陸鉄道から関東鉄道に来たバケットカー





昭和32年、北陸鉄道は能登線用客車として小型のコハフ5301を新製しました。 これが当時では珍しい、車体の前後に荷台を付けた バケットカーでした。
昭和38年にはエンジンを搭載してキハ5301として動力車になりました。ところが昭和47年、北陸鉄道能登線廃止に伴い5301は関東鉄道筑波線に譲渡され
キハ541となり再び活躍の場が与えられましたが、小型で荷台付きは余り汎用性はなく、筑波線廃止前の昭和60年には引退しました。  東京 FT氏 撮影







もともと、エンジンを取り付けて気動車にする予定だったらしいのですが、なぜ最初からキハにしなかったのか不思議です。以上の2枚はまだ北陸鉄道
能登線の時代で、廃止1年前の写真です。能登線羽昨駅です。能登線では単行で走っていたのでサマになります。           東京 FT氏 撮影







ここは土浦の(次駅)真鍋信号所で、昭和49年はまだ駅ではありませんでした。隣接して広い真鍋機関区があり、日中は寄せ集めDCが停泊して
いました。 奥の母屋は信号所でしたが、布団も干してあるように、宿泊所でもあったようです。 ご覧のように、北陸鉄道時代と形態は変わって
いません。ただ私の見た限りでは、これが1両で走ることはなかったようです。この写真も大型DCとコンビを組んでいます。朝はここで4両編成
が組成され、2両ずつが回送で、朝の土浦に向かって行きました。これは残された2両です。昭和49年。筑波線時代です。     C6244 撮影




江若鉄道5123→竜ヶ崎線531



これは竜ヶ崎線が関東鉄道に吸収されたあと、江若鉄道から来た531です。この車両は特徴があって馴染みの車両です。大型で長尺でした。江若鉄道が
昭和44年に廃止された後、これは元の番号の5123のまま竜ヶ崎線で使用されていましたが、昭和47年に写真の531に改番されました。   C6244撮影
なお、江若鉄道からの関東鉄道への移籍の経緯は次のURLをコピペして参考にすると理解できます。  https://satoyama.in/auto/sharyo/auto684.html





井川線千頭駅のDB1形




昭和51年に国鉄標津線のC11が大井川鉄道に復活してから千頭駅まで行くことが多くなり、井川線も千頭ではよく撮りました。当時は加藤製作所のDB1形が
牽引で、普通に混合列車で走っていたことに驚きです。ナローではなく狭軌で、加藤製作所製ロコというのがいいですね、      昭和51年 C6244 撮影








この2両編成のオープンデッキ客車が最高です。 KATO WORKS のロゴがとても光っていましたが、残念なのは、何号機か分かる位置に表示されていないので
DB1形の何番かがわかりません。明らかに前面ボンネット部が違っているのと、窓配置・形状も違っています。同じDB1でも詳細不明です。   C6244 撮影





FT氏の撮った大井川鉄道

昭和43年前後はいわばヨンサントオの国鉄大合理化時代で、私は蒸気機関車ばかり追いかけていましたが
FT氏はまるで戦前のような写真を撮っています。団塊の世代の写真とは思えません。畏敬と驚きだけです。




ここが金谷駅とは思えません。4両編成で、「快速」(赤石号だそうです)が走っていたんですね。先頭は クハ506で、元三信鉄道の買収国電です。三信鉄道とは
今の飯田線の前身でもある「天竜峡~三河川合(約70km)」区間で、難工事の末、1937(昭和12)年に全線開通した鉄道です。 その後、1943年(昭和18年)に
他の鉄道と合わせて鉄道省 飯田線となりました。そんな経緯を持つ国電が、何故か7両が大井川鉄道に来ていました。 この先頭車は三信鉄道のクハ5804です。
廃車時期は1978年といいますから、結構遅くまで残っていましたが、私がC11復活で訪れたときは、どこにも見当たりませんでした。  以下、 東京 FT氏撮影





これもすごい車両ですね。宮城電気鉄道(戦中に国鉄に買収され仙石線となった)から来ました。昭和43年の撮影とは思えないどころか、こんな車両が大井川鉄道
に走っていたこと自体が驚きです。2両目は電動車?でしょうか、なんとダブルルーフです。宮電時代はクハ2310でしたが、譲渡と共にクハ502に改番されました。






やはりダブルルーフの電動車でした。ただただ驚くしかないですね。昭和43年だったら、楽勝で撮れたのに、前に書いたように私の方向が偏りすぎていました。
これも三信鉄道から省電に買収されましたが、オリジナルのスタイルに復元され(この形が昭和43年に見られたことは奇跡に近いです)後に木造・ダブルルーフ
で大井川鉄道に来ましたが、大井川でもそのままのスタイルで使用されました。元クデハ307で、大井川ではモハ301に改番されました。貴重な1枚と言えます。




以下は「千頭森林鉄道」です



これは井川線とは別線路でナローの「千頭森林鉄道」です。途中沢間駅で井川線と合流しましたが、ゲージが違うので千頭までは3線軌条だったようです。
DLは入れ替えや工事専用だったのですが、一時は観光客を客車で運んだこともあったため、専用の客車もありました。 
ただ、一般的にDBと称されている
ので森林鉄道と井川線は同形DLと思われがちですが、形態は全く違っていました。このDB5は森林鉄道用でエンジンむき出しです。ここは
その森林鉄道
の車庫で、当時は井川線のホームの奥で現在は公園になっているそうです。この千頭森林鉄道は昭和44年、その役目を終えたあと全線廃止となりました。
★参考に寸又峡に保存されている森林鉄道のサイトです
   http://c5557.kiteki.jp/html/senzu-sinrin.htm






その森林鉄道用の客車です。まず驚くのが台車です。これはボギー車というのでしょうか? コイルバネすら見えませんが。唯一の現物が寸又峡にあります。

以上 東京 FT氏撮影






江若鉄道C9形気動車

江若鉄道C9形気動車は日本車両と川崎車両が製造した、旅客・荷物合造で独創的
な大型車の流線形気動車です。戦前の1935年に キニ9とキニ10を新造しました。
その後、本格的にキニ11~13を増備して流線形の魅力的な気動車を走らせる私鉄
として一躍有名になりました。関東から新幹線で行けばそう遠くなく、その存在
は知っていて、何度も書いているようにとても気にはなっていたのですが、私の
撮影対象が異っていたので、わざわざ琵琶湖のほとりまではいきませんでした。
それが今になって、京阪の「びわこ号」と共に 私の大きな後悔となっています。


それを FT氏はしっかり撮っていたんですね


試作車的意味を持ったキニ9です。古い初期車なのでライトが変えられているのは少々残念ですが、撮影は昭和44年なので仕方ないですね。
しかし江若鉄道は同年11月に廃止され、キニ9は廃線後すぐ解体されたので、逆にほんの短い期間の奇異な姿でむしろ貴重かもしれません。







これは非の打ちどころのないキニ11です。






見事というしかないスタイルです。






キニ12は昭和35年に車体更新が行われ、荷物室を撤去してキハ12に改番されました。スタイル的にはHゴムを多用しバス窓になりました。
正面はご覧のような小窓で奇異な顔になっています。わざわざ撮りに行ってこれが来たら、泣くことでしょう。北海道にいそうなDCです。







そういう意味では11と13はよく最後まで、流麗なスタイルで残ってくれました。ただ13はこの時点ではライトは埋め込み式になっています。
また反対側(浜大津側)の正面には、太い排気管が屋根上まで設置され、これも原形を壊していました。古い車両の改造は仕方ないですね。







これは古い写真で昭和39年の浜大津駅です。トレーラーとの2連ではなく13の単行です。こういう時に行きたかったですね。素晴らしいです。屋根が灰色か
銀色か、わかりませんが白くて汚れていないので工場出たてなのでしょうか、とてもノーマルなトーンにするのが難しい写真です。しかも駅のホームは暗く
車両は明るく、空の雲も濃い灰色で、自然の濃淡で出すにはとても難しい1枚なので、早めにこのくらいのトーンでデジタル化された方がいいと思います。







上に書いたように、もうこのころは単行は少なかったのですね。13の先頭のこちら側に太い排気管が見えます。正面ではなく、この角度で良かったと思います。







11は一番絵になりますね。単行だったらなお良かった。いずれにしてもC9タイプは今や残っていません。なぜ保存しなかったのでしょうね。








琵琶湖を背景に13の2連がのどかに走ります。この写真の空は、原画ではとても黒くてまだらだったので、せっかくの琵琶湖風景が異様に見えるので、あえて空だけ
濃淡や 雲の切れ目の白い部分の極端なギャップをフラットに修正してあります。 それでもまだ少し空に違和感があります。 素晴らしい写真なので大きくしたいため
空のみ手を加えてありますことをご承知おきください。他は、全くいじっていません。                  以上写真は全て 東京 FT氏の撮影です。 





まだ続きます