Vol.64 - 23 Nov. 2005
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先月、10月27日に「QUEEN+ Paul Rodgers」のコンサートに
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新しく迎えたヴォーカルのポール・ロジャースは、故フレディ・
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マーキュリーを真似ることなく各曲を自分のものとして、しかし
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自分の色を強く押し出すこともない、力強いベテランの歌唱で
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またオリジナルメンバーであるブライアン・メイやロジャー・テイ
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ラーのソロがあり、ポール・ロジャースがかつて組んでいたバ
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ンド、バッド・カンパニーの曲もあり、QUEENが初来日した際の
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オフステージのビデオが流され、名曲「Bohemian Rhapsody」
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では、生前のフレディが映像でヴォーカル参加するなど、とて
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会場に集まってきた観客の年齢層は思っていた以上に高めで、
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ひとりで来場した女性が、隣合わせになったこれまたひとりで
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来場の女性とすっかり友達になっている様子を目にしました。
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QUEENがつぎつぎヒット曲を生み出していたのは、多分ボクが
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中学生から高校生だったころでしょう。でもそのころは QUEEN
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の名前こそ聞いて知っていたものの、意識して聴いていたわ
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ボクにQUEENの名前が最も印象づけられたのは、1991年11
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月24日のこと。フレディ・マーキュリーの訃報によってでした。
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当時ボクは留学生として英国ロンドンにホームステイしていま
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した。11月のロンドンは冬至に向けて日没の時刻が日に日に
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早くなっているころで、午後になるとすぐに陽が沈んでしまうよ
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うな気がする上に、連日の曇り空のせいもあって、なんとなく
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ステイ先では、部屋にテレビがなかったので、あまりテレビで
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ニュースなどは見ておらず、その知らせに接したのもたまたま
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そのニュースは一面に大きく取り上げられていました。
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ブライアン・メイやロジャー・テイラーと3人で写っている若いこ
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このニュースが英国内を走った日こそ、ボクがQUEENの凄さ
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を知った日となりました。国中が悲しみに沈み、今思い返すと、
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あの日は一日中夜だったのではないかと思えるくらい、街中
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フレディは老若男女から愛されていたようです。友人のステイ
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先では年老いたランドレディが悲しみにくれてしまい、夕食が
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その、国全体での悲しみ様は日本ではちょっと例えるものが
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「Bohemian Rhapsody」の中で、苦しく絞り出すような声で
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「I don't want to die」と叫び、また別の曲の中では「The show
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must go on」と訴えていた男がこの日、45歳で逝ってしまった
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聞けば、もともとQUEENが世界的なグループに成長していった
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その日本では、今年の春からロンドンでも大好評と聞いていた
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「We Will Rock You」というミュージカルが上演され、 10月の
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毎年この月にフレディ・マーキュリーの命日がやって来ます。
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今から4年後のこの月に、ボクもついにフレディがこの世を去っ
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ミュージカル「We Will Rock You」の劇場内に
飾られたフレディ・マーキュリーのブロンズ像
(2005年7月9日 新宿コマ劇場にて)
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ノンキな通信 I.Z.'s Attic
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