~ 12才 ・ 冬 ~4
「ン ッ!ンン ッ!」
暗い道から、更に光の届かない場所へと引きずられる。小次郎が全身を使って抵抗しても、男は屈強で力が弛むことは無かった。
「ンンッ、 ハッ、ハアッ・・!」
口を押さえられたままで暴れているのだから、段々と酸欠状態になってくる。恐怖でどうにかなりそうなのに、それすらも麻痺してくる。徐々に視界が狭くなり、身体に力が入らなくなった。
気が付いたら小次郎は冷たい地面の上に横たわっていた。雑木林まではいかない、その手前の草むらに仰向けに寝かされ、抑えつけられている。
口は未だに塞がれたままだ。男は手の平が唾液でべとべとになろうとも、獲物を離そうとはしなかった。小次郎の目に涙が浮かぶ。
(畜生・・・!こんな、奴に、こんな奴になんか・・・っ!)
「・・・はあ・・っ!」
このまま気を失うのかと思った時、口元を覆っていた手が離れた。冷たく新鮮な空気を小次郎は貪るように吸う。顔を上げて喉を晒して、胸を喘がせながら身体いっぱいに酸素を取り込んだ。
「・・・ひ!」
未だ落ち着かない小次郎の、まだ子供らしいほっそりとした首を男は濡れた手で掴んだ。
『殺されるかもしれない』 初めて実感した。身体が震えだして、止めることができない。歯の根が合わずにカチカチと音を立てた。助けを呼ぼうにも、声を出すことが出来なかった。
「・・・そう。いい子だ。静かにね。酷いことはしないからね」
「・・・・ア、・・や、やだ・・・っ」
男が顔を寄せてくる。首筋に生温い息がかかって、すぐに濡れて滑ったものが張り付く感触があった。
男が小次郎の首に吸い付いたのだった。
( な、に・・・?)
気持ちが悪かった。小次郎は必死で頭を振って逃れようとする。
男の手が小次郎の服の裾から潜り込んできて、滑らかな肌を撫で上げた。冷たくてかさついた指の感触に、小次郎は背筋を怖気に震わせた。
(きもちわるい。・・・たすけて。かあちゃん・・・!)
もはや小次郎には、心の中で母を呼ぶことくらいしか出来ない。家に帰りたかった。涙がどうしようもなく溢れていく。
男は小次郎の左手を取り、自分の股間へと導いた。長いコートの下で、男はスラックスの前をくつろげていた。中心にあるものを小次郎に触らせようとする。
「・・・や!やだ!・・いやだっ!」
「ほら、君のと全く違うだろう?触ってみてもいいよ」
「やだあ・・・っ」
(母ちゃん・・・・父ちゃん! 誰か、助けて !)
小次郎が幼子のようにしゃくり上げて泣き出す。
脅え切った子供は、卑劣で理不尽な暴力の前に、これ以上抗う術を持たなかった 。
****
健は空手の夜の稽古を終えて、自分の部屋に引き上げようとしていた。
同じ年頃の子供では相手にならず、最近はもっぱら自分よりも上の段をもつ門下生たちと稽古をしている。自然と一緒に鍛錬するのは、中学生や高校生といった年上ばかりになっていた。中には姉の志乃と同じくらいの歳の大学生もいた。
「あれ。今日は迎えに行かなくていいんすか」
一人の門下生に他の門下生が問うのを、健は耳にした。
「何が」
「例の、坊ちゃんの友達。今日は他の誰かが行ってるんですかね」
「今日はアルバイトの無い日だろ。あの子のバイトは毎週日曜だから」
「そうなんですか?でも俺、こっち来るときにあの子を見かけたんだけどなあ」
( 『あの子』?もしかして、日向のことか?)
健は足を止め、道場の方へと戻る。立ち話をしていた彼らに確認するように尋ねた。
「何の話?」
「坊。小次郎って、今日はアルバイト無いよな?」
「無い筈だけど・・・どうして?」
小次郎を見掛けたという門下生がもう一度その話を健にすると、健の目つきが変わった。真剣な光を帯びる。
「どこで?いつ?本当に日向で間違いない?」
「あの子のバイト先、東町にあるおでん屋だよな?裏から入っていくの見たから、間違いないと思う。暗くなる前だったし、顔も見えたから」
「・・・・そんなの聞いてない」
健は踵を返して、道場を後にする。ここで走ってはいけないのだと幼い頃から教え込まれてきたが。今は礼儀も作法も関係なかった。
こんなところで本当に日向だったのか、人違いじゃないのかと問答したところで始まらない。日向の家に電話してみればすぐに分かることだった。健は急いで母屋に戻った。
「バイト!?今日は土曜日なのに!?」
電話の向こうで、日向の母が『年末だから、お店の人手が足りないらしくて。少しでもいいからって、頼まれたんだって』と話している。『小次郎が戻ってきたら、電話させようか?』とも言ってくれた。
(・・・ということは、まだ戻っていないんだ・・・)
健は電話を切って時計を見た。21時を回っている。外は真っ暗だし、今夜は夜が更けるにしたがって気温が下がり続けるのだと聞いていた。
(・・・落ち着け。必ずしも何かがあるって訳じゃ、無いじゃないか)
そう自分に言い聞かせても、何故だか胸騒ぎがする。
健の様子から何かがあったらしいと察した母と姉が、「健?どうかしたの?こーちゃんのこと?何かあったの?」と寄ってくる。
その母と姉を押しやり、健は部屋に戻って手早く着替えてくると、「俺、ちょっと日向んとこ行ってくるから。あいつから家の方に連絡があったら電話して」とだけ早口に告げた。
iPhoneをダウンジャケットのポケットに突っ込み、自転車の鍵を掴んで、健は家族が止めるのも聞かずに家を飛び出した。
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