~ 12才 ・ 冬 ~2
「あ?何だって?」
銜えタバコでスポーツ新聞を捲るおでん屋の主人に、配達されたお酒を冷蔵庫に次々にしまいながら小次郎は繰り返した。
「バイト、今度の土曜日と、その次の土曜日も来ちゃ駄目かな、って」
夕刊の配達は毎日しているが、おでん屋でのアルバイトは週に1回だけだった。日曜日の夕方からの1回だけ。それ以上はさせられないとの、店主との最初からの約束だった。
「何だよ。どうした、何かあったか」
「んー。もうすぐクリスマスだし、色々とさ。・・・土曜日の方が忙しいって、言ってたじゃないスか」
「まあな。・・・だけどお前、サッカーの練習があって、新聞配達もあるんだろうが。無理だろ。止めときな」
「遅くなってもいいなら、来れるんだけど」
明和FCの練習を終えて一度家に帰って、夕飯を食べてから そう答えると、店主は嫌そうに顔を歪めた。
「お前はガキのくせに何でも一人で背負い込み過ぎなんだよ。ちゃんと母ちゃんに相談したか?お前、あんまり親を舐めてんじゃねえぞ」
「舐めてなんか無いってば。・・・ただ今年は家を出る前の、最後のクリスマスだし・・・それに、友達の誕生日も近いから」
「お前ん家のちっこい弟たちはともかくな、友達の方は喜ばねえよ。お前が無理して何かやったところで。大人しく諦めろ」
「ちぇー。駄目かあ・・・」
一通りチェックを終えて業務用冷蔵庫の扉をバタンと閉めた小次郎は、肩を落としてため息をついた。店主の言うことも、もっともだった。小次郎が無茶したところで健が喜ぶ筈もなく、むしろネチネチと怒られるのが関の山だった。
それが分かっていても、何かをしてやりたかった。小次郎自身は認めていなくても、もしかしたら来春からは一緒にいられないのでは そんな恐れがあったのかもしれない。
「・・・その2回だけか」
「え?」
「その2日だけでいいんだな、って言ってんだよ」
「・・・いいんスか?」
もう駄目なのだと思って諦めかけていた小次郎は、店主の言葉に驚いて顔を上げた。
「ただし、上がる時間には誰かに迎えに来て貰え。それが条件だ。ほら、お前の友達んとこの怖え兄ちゃんたち。いつも誰かしら来てくれてんだろ。同じように迎えに来て貰えよ。それか母ちゃんにな」
「母ちゃんは無理だけど・・・それに『怖え兄ちゃんたち』じゃなくて、空手道場の人たちだし」
「どっちでもいいから、来て貰え。俺がお前を家まで送る訳にはいかねえんだからよ」
「・・・はい。じゃあ、そうします。・・・ありがとうございます!」
話は決まった。
*****
(けど・・・あんまり言いたくねえんだよなあ・・・)
小次郎は悩んでいた。
おでん屋のバイトは週に1回、去年の夏から始めている。たまたま店の前を通りかかった小次郎が『バイト募集』の貼り紙を見て申し込んだのだ。だが『馬鹿言ってんじゃねえ。お前みたいなガキを雇える訳ねえだろ』と、最初は当然取り合って貰えなかった。
それでも、どうしても家計を助けたかった小次郎は諦めなかった。『何でもやるから』と何度かしつこく通っているうちに、どこからか日向家の事情を聞き及んだらしき店主が、『週に1回だけだぞ。裏で働け。店の方には絶対に出るな』と許してくれた。
始めは仕込みの時間だけで帰された。だが慣れていくにしたがって任せて貰える仕事も増え、忙しい日には少しばかり延長させて貰うこともあった。
日が長くて明るいうちは良かったが、日が暮れるのが早い季節になると、店主が言い出したのだった。『お前、誰かに迎えに来て貰えないのか』と。自転車も無く、ランニングがてら走ってやってくる小次郎を心配してのことだった。
『そんなの、いる訳ねえじゃんか。なあ?』 父親や兄がいる訳でもない自分に何を言っているのかと、そんな相手がいるならバイトなんかする必要があるかと、学校の帰り道に若島津に笑い話として伝えたのがいけなかった。今にして思えば。
その週から、若堂流の空手道場の猛者たちのいずれかが、小次郎の上がる時間に合わせておでん屋に迎えに来るようになったのだ。
(あの時だって、余計なことはしなくていい、って言ったけど・・・・あいつ、全然聞きやしねえし)
それが若島津の差し金と知って、『次からはもういいですから』と恐縮して断る小次郎に、皆が『坊ちゃんに叱られるから』と冗談めかして笑った。その言葉をどこまで信じるかは微妙だが、その『坊ちゃん』自身は、『いいんだよ。どうせ日向の家の方に帰る誰かが送るんだし。ついでだろ』と言い放っていた。こいつも結局はお坊ちゃまなんだよな・・・と、小次郎がしみじみと実感した出来事だった。
小学生の身で働いてはいるものの、小次郎は自分が『働いている』のではなく、周りの大人たちの助けを借りて『働かせて貰っている』面もあるのだということを、ちゃんと理解している。何かあれば、窮地に立たされるのは子供の自分なのではなく、大人たちの方であるということも。
迷惑をかけたい訳じゃ無かった。だがそれでも、今は甘えるしかない。どうしたって生活してくためにお金は必要なのだ。いつか自分が大人になった時、何らかの形で恩返しが出来ればいい。
(だけど、やっぱり なるべくなら面倒は掛けたくないよなあ・・・)
感謝しているからこそ、今以上に世話になるのは忍びなかった。ましてや空手道場の人たちは自分の知り合いじゃない。健の知り合いでしかないのだから。
たった2回のことだし、別に言わなくてもいいか 結局小次郎は、そう結論づけた。
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