~ 俺のわんこ ~お熱編 2
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その前の年の梅雨の時期、雨が降り続けたある日の朝に、父ちゃんは亡くなった。
ずっと病と闘っていたけれども、どこかで俺は父ちゃんが死ぬなんてことは無いと思っていたような気がする。
それくらい、俺の中で父親というのは大きくて強い存在だった。
だけど父ちゃんはいなくなってしまった。残されたのは母ちゃんと俺、それからまだ小さくてか弱い尊と直子、赤ん坊の勝。
それからは生活が一変した。家も引っ越さなくちゃならなくなったし、母ちゃんも仕事に出るようになった。俺たちは小さくて狭い家のなかで、身を寄せ合って暮らしていた。その時期は家族のみんなから笑顔が消えていた。
働き始めてから半年が経った頃、どうしてだか理由は話してくれなかったけれど、母ちゃんは仕事を変える、住む町も変えるといって、学区外のアパートに引っ越した。転校もすることになった。それが明和の町だった。
新しく引っ越した先は、長屋といった風情で更にボロい感じのアパートだった。
今にして思えば、色々なことが重なって俺はすっかり荒んでいたのだろう。可愛げも愛想も無いような子供になっていた。
だからか、明和小に転校してもすぐには友達が出来なかった。それはそうだ。自分から慣れようともしない、笑顔の一つも見せずにムスっとしているだけの子供など、周りの子供たちだって放っておくしかなかった。
男子の一部とは仲良くできないどころか、因縁をつけられることも多かった。彼らに何をした訳ではなかった筈だが、よほど俺の普段の態度が腹に据えかねたのだろう。若島津と初めて会ったその日も、そんな理由で諍いが起こったのだ。
学校の帰り道で、男子のクラスメイト4人が俺に声を掛けてきた。そのうち一人が俺のランドセルに体重をかけて、後ろから首を腕で絞めてくる。勿論すぐに振り払って胸ぐらをつかんで殴りかかったが、「ここじゃ何だから、公園に来いよ」と言われて、俺もいい加減にストレスが溜まっていたから丁度いいとばかりに着いて行った。
その公園で待っていたのが若島津だった。
若島津と俺とは別のクラスで、それまで面識が無く、初対面だった。だが俺は一目見て、こいつは強いだろうと直感で分かった。その辺の奴らとは全然違って見えた。
そもそも体格がいい。俺自身も決して背は低くなかったが、若島津は上級生と言われても疑わないくらいに大きかった。それに身長だけではなく、体全体がガッシリとして厚みもあって、とにかく小学4年生にしては規格外に育っていた子供だった。
これはちょっと、ヤバいかもな そう思ったのを覚えている。だからといって戦わずして尻尾を巻くつもりも無かったけれど。
「・・・ンだよ。お前らだけじゃ俺に勝てねえからって、助っ人かよ」
「うるせえよ!お前なんかじゃ、こいつは絶対に勝てねえんだからな!こいつは空手やってて強いんだからな」
空手か なるほど、と思った。確かに姿勢がよく、立ち姿も一本芯が通っているかのようにスっとしていて、全体的に隙が無い。
俺は若島津 その時点ではまだ名前も知らない、空手をしているという少年の顏を見上げた。さぞ余裕の表情をしているのかと思いきや 。
髪を少し長く伸ばしたその少年は、頬を朱く染めて瞳をキラッキラさせながら、俺のことを食い入るように見つめていた。
「あ、あの・・っ!」
「・・・なんだよ」
「あの、名前は何ていうの?俺はね、若島津健・・・!」
「・・・・・」
「あっちの丘の上に空手道場があってね、そこの息子なんだ。・・・ね、もしよかったら、空手やってみない?ウチの道場に通わない?」
「は?」
見た目の印象と、その口調が全く一致しない奴だった。加えてその内容も。
何というか、小学生にしてはデカいしゴツいし、顏は整っていて大人びた印象なのに・・・どことなく可愛らしかった。
「ね?初めてでも俺が教えてあげるから、心配ないよ?一緒にやろう?きっとすぐに強くなるよ。毎日稽古においでよ!」
「悪いけど俺んち、習い事するような金なんか無えから」
ニコニコと機嫌よく誘ってくれるが、残念ながらウチには金銭的な余裕が無い。正直にそう答えると、今度は「じゃあ稽古代は要らないから!俺が個人的に教えてあげるから、遊びにおいでよ!」とまで言われた。
(何だ、コイツ。道場に勧誘したくて、あんなにジロジロ見てたのかよ。変なヤツ・・・)
その時は俺も子供だったから、空手道場の門下生を増やしたくて言っているのだろうと単純に思っていた。
「なに言ってんだよ!若島津!」
「そうだよ、何でこんな奴誘ってんだよ!そうじゃなくて、コイツをフルボッコにしてくれって言っただろ?」
「え?ヤダよ」
「はあ!?」
俺だって『ハア?』だ。こいつらの関係性も、『若島津』と呼ばれているコイツが何を考えているかも分からない。
「はあ?じゃないよ。そんなの、駄目に決まってるよ。こんなに可愛い子に、どうしてそんなこと出来るの。なんでそんな酷いことを考えてるんだよ。信じられないよ、俺」
俺のクラスメイト4人は『信じられないのはお前だ!!!』というような顔をして、ぽかんと口を開けて若島津を見ている。まるで豆鉄砲を食らった鳩みたいに。
俺のことを『可愛い』などと言い出すのだから、この頃から若島津は相当に頭がおかしかったのだろう。乱闘を覚悟していた俺も予想外の状況に対応できず、まじまじと若島津を見ることしかできなかった。
だが4人組の間抜け面が段々とおかしくなってきて、ついには笑いが込み上げた。
「あは、ははっ!」
馬鹿々々しい。
遠慮せずに大きな笑い声を上げると、今度は若島津の方がびっくりしたような顔をする。俺に向かって頬を朱く染めながら、「うわあ・・・。笑うと、ますます可愛いんだね」とか何とか、馬鹿なことを言って。
若島津健という男は、子供の頃から全く妙な男だった。
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