~ 幼き春の、薄紅の ~5
「ごめんなさいね。うちは猫も飼っているし、犬はちょっと飼えないのよ。・・・飼い主、早く見つかるといいね」
健の幼稚園の頃からの友人宅で、二人はがっくりと肩を落とす。
これで何軒目だろうか。「知り合いは沢山いる」と豪語したとおり、結構な数の家を回ってきたが、飼ってもいいという家はなかなか現れない。
「結構、見つからないものなんだなあ・・・・」
「お前、あんだけ自信たっぷりに言ったじゃねえかよ」
「うーん・・・。まあ、何とかするよ。・・・お前がどれくらい大きくなるのか分からないのが、ネックだよなあ」
健は小次郎の腕の中にちょこんと納まっている仔犬の鼻をチョン、と指で突いた。
幾つか健の知人宅を訪ねているうちに、二人とも分かったことがある。皆が『成犬になったら、どれくらい大きくなる?』と知りたがるのだ。
だが拾った犬なのだから、血統どころか犬種も正確には分からない。というより、雑種なんじゃないだろうかと健は踏んでいる。
「・・・こいつ、デカくなるかな」
「どうだろ。でもまあ、小型犬って感じじゃないもんな」
大きくなる犬種だったなら、確かにおいそれとは飼えないだろう。室内犬にするなら広い家が必要だし、そうでないなら庭が必要だ。
「んー・・・・そろそろ帰らなくちゃだしな」
「・・・・・・」
日も暮れてきた。これから夕餉の食卓を囲む家も多いだろう。突然に捨て犬を連れて押しかけるのもどうかと思われた。
「・・・仕方がないか」
小さな犬を抱いて黙りこくってしまった小次郎を振り向き、健は告げた。
「もう一軒だけ、付き合ってくれよ」
「ここ・・?」
「うん。この家」
健に連れられていった場所は、古くからこの地にある神社の近く、小高い丘の上だった。そこに大きくて立派な日本家屋の屋敷が建っている。
「ついてきて」
「あ。・・まてよっ」
立派な門構えに腰の引けていた小次郎を置いて、健はスタスタと門の中へと入っていく。慌てて追いかけた小次郎は、敷地の広さと、剪定された樹木の立ち並ぶ美しい庭に驚いた。
それに庭と反対方向の奥には何やら武道場のようなものも見えて、勇ましい声が聞こえてくる。
(・・・・ここ、どこなんだ?)
石畳の敷かれたアプローチを進むと、これもまた立派な玄関が目に飛び込んでくる。「なあ・・・」と小次郎が呼びかけた時、健はガラガラと引き戸を開けて「ただいまー」と元気よく家の中へと向かって声をかけた。
「・・は!?ここ、お前んち!?」
「そ。俺んち」
すげー!、でけー!と小次郎が子供らしく驚いていると、奥からパタパタと足音がして、大人の女性が現れた。小次郎は表情を引き締めて、ぎゅっと仔犬を抱いて姿勢を正す。
「健!あなたって子は!走りに行ったまま連絡もしないで!何かあったのかと心配するでしょう!?」
「ごめんなさい」
「ゆうくんママが『健ちゃんが犬を貰ってって、やってきたよ』って教えてくれたけど、そんなこと聞いても、ますます訳が分からないし!」
「そう!それ!その犬なんだけどさ、母さん」
健は斜め後方に立っていた小次郎の後ろに回り込んで、前へと押し出す。腕の中の犬ごと。
「こいつ、うちで飼っちゃダメ?」
「・・・あら。可愛らしい」
健の母は突っかけを掃いて三和土に降りると、小次郎に近づいた。
「はじめまして」
「・・は、じめまして!こんばんは!」
「健の母です。お名前は?」
「日向小次郎です」
「ほんとに可愛い。うちの子になってくれるの?」
「・・・え」
言われていることの意味が分からず戸惑う小次郎に、「母さん、俺の友達相手にふざけないでよ」と健が助け舟を出した。
「あ、じょうだん・・・」
「だって健が友達を家に連れてくるなんて、珍しいんだもの。だから、つい。ごめんなさいね。・・・・どれ?この子?ちょっと抱かせて貰えるかしら?」
「あ、はい」
小次郎が仔犬を手渡すと、意外にも嫌がらずに大人しく健の母に抱かれた。自分を抱き上げる新しい人間の匂いをふんふん嗅いで、甘えるようにペロペロとその手を舐める。
「人なつっこい子ねえ」
「ねえ、どうなの。飼ってもいいの?」
「あなたが自分で散歩に連れていくっていうのなら、いいわよ」
「お、俺!俺が散歩させます!」
健とその母親は、いきなり大きな声を出した小次郎を驚いて見返した。
「俺、毎日散歩させに来ますから・・・!」
「・・・あら。どうしたらいいかしら」
健の母はにっこりと笑って、必死に『どうかこの犬を見捨てないで』と目で訴えている少年を優しく見降ろした。
「ねえ、日向くん。この子をこの家で飼うとしたら、あくまでもこの子に対する責任はうちにあるの。この子にご飯をあげるのも、散歩に連れていくのも、病院へ連れていくのも、ぜんぶうちの責任。あなたが気にする必要は何もないの」
「・・・でも!」
「ねえ、健。どうする?ご飯と病院はお母さんが責任もって受け持つ。あなたはどうする?」
「・・・分かったよ。毎日、連れてく」
「よし、決まり。今日からこの子はうちの子ね」
そうと決まったら、お風呂に入りましょうねー。いい子ねー。怖くないですよー・・・と、まるで幼子をあやすように話し掛ける健の母を、小次郎は呆気にとられた顔で見つめる。
「任せてだいじょうぶ。本当はうちの母親、すげえ動物好きなんだよ」
「・・・だけど、お前、本当に散歩って」
「行くよ。・・・たまにはお前も手伝いに来る?」
「くる」
即答した小次郎に、健はニっと笑ってみせた。
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