~ 幼き春の、薄紅の ~6
陽も落ちてすっかり暗くなってしまったので、健が自転車を押しながら小次郎を自宅まで送っていくことになった。帰りは一人になるが、自転車だから歩きに比べれば早い。なるべく人通りのある道を選びながら、二人は肩を並べて夜道を進む。
「・・・ほんと、助かった」
「うん」
「・・・ありがとう」
「どういたしまして」
昼間の学校では愛想がなく、そっぽを向いてばかりの小次郎だが、夜だからだろうか。随分と素直に礼を告げてくる。
それがこそばゆくもあり、心が浮き立つようでもあり、健の表情も自然に緩んだ。
(人慣れない猫を手懐ける感じ・・・かな)
健はふふっと笑うと、小次郎に向き直った。
「沈丁花さー。学校でもそうやって普通に喋ればいいじゃん」
「・・・その、『沈丁花』って何だ」
「沈丁花さー。教室で浮いてるの、分かってる?」
「だから、その沈丁花って」
「だってお前、名前を呼ぶなっていったじゃん。俺、『好きに呼ぶからな』って言ったろ?」
「だからって・・・!お前、それ、花の名前だって言っただろ!?」
「だって、名前を呼ぶなって言うから」
「・・・・呼べよ!」
「いいの?」
健は小次郎を揶揄いながら、『勿体ないよなあ』と思う。
せっかく、人としての魅力を存分に持ち合わせているのだ。あんな風に教室の奥で一人で居ることなんてない。
きっとこいつには 日向小次郎には、仲間や友達に囲まれて笑っている方が似合う。
「なんて呼べばいい?」
「何でもいい」
「じゃあ沈・・」
「日向でいいから!」
「日向」
ようやく名前を呼ぶ許しを与えられた健の方が、晴れやかに笑っている。許可を与えた小次郎の方が、口をへの字にして複雑な表情をしているというのに。
変なの と、健も小次郎も思う。
だが二人ともに予感があった。
きっとこいつとは、これからも長い付き合いになる。これから先、小学校を卒業しても、中学生になっても、もっと先まで そんな予感が。
月がおぼろな影を投げかける、春の宵。何処かから最近馴染みになった、清らかな花の香りが漂う。
健は香しい風に吹かれて、肺を膨らませて深呼吸をする。
「日向」
「ん」
「これからよろしく」
「・・・おう」
唇を尖らせて頷く小次郎と、終始ニコニコと笑顔を絶やさない健と。
若干さっきよりもお互いの距離を縮めて、同じ速さで歩く。
しばらくそのまま無言で歩みを進めていたが、「そういえば」と思い出したように健が口を開いた。
「日向。あの犬、名前をつけた?」
「チビ」
「・・・あ、そう」
チビねえ・・・まったくもってセンス無えなぁ、というボソリとした呟きが聞こえ、そのあと間髪いれずに『ボス』っという、ボディに軽いパンチの決まる音が続いた。
END
2018.08.17
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