~ 幼き春の、薄紅の ~4
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健は学校から帰宅した後、毎日ランニングをしている。体力増強のためでもあるし、毎日同じ鍛錬をすることの重要さを知っているからだ。
その日も学校を終えてからジョギング用のウェアに着替えて走りに行った。
家を出てから近くの神社をぐるっと回り、丘を下る。大きな通りに出たら左折して直進。小さな川にぶつかったら、それに沿って走る。やがて小さな築山を有する公園に出た。
この公園を3周回って帰る。それがいつもの健のコースだった。
「・・・・駄目だってば・・・!」
だがこの日はいつもと同じという訳には行かなかった。
外周を回り始めてすぐ、公園の中の樹々の奥から、切羽詰ったような声が聞えた。空耳かと思って立ち止まると、また「駄目なんだよ・・!」と聞こえてくる。大人の声ではなかった。せいぜい自分と同じくらいだろう、子供の声だ。
そう認識したなら、何を考える間もなかった。健は公園の中へと走り、声の主を探す。
「・・・おい!」
誰かと揉めているのか。
もしかしたら、何か危ないことにでもなっているのでは 。
そんな危惧に追い立てられるように探した先、低木の枝をかき分けて入っていくと
「おい、何かあった・・・」
「・・・・!?」
太い木の根元にダンボールが置かれ、水の入った皿と空の皿が一つずつ転がっていた。
健は拍子抜けしたような顔で、それらの物体を見降ろす。
その傍らには小さな犬を抱いて、どうしていいか分からず途方に暮れている小次郎がいた。
突然の闖入者に驚いたのは、小次郎の方だった。誰が来るとも思っていなかったのに、物音がして振り返ってみると、見知った顔がそこにあったのだから。
「・・・お前、何で・・・?」
「何してんの?こんなところで」
問われて、小次郎は腕の中にいる犬を隠すように抱え込んだ。
「いや、それ隠せてねえから」
「・・・・・」
「ここで飼ってるの?」
「・・・・飼ってない」
「でも、面倒見てるんだろ?」
「・・・・・・」
たまたま今見つけただけというには、犬が慣れ過ぎているし、何よりダンボールの中に敷かれたタオルや水の入った皿の説明がつかない。
小次郎は押し黙った。
「捨て犬を拾ったのか?・・・でも無理だろ。こんなところで飼い続けるなんて」
「・・・分かってる・・っ」
「保健所に連絡すれば?運が良ければ誰かに飼って貰える」
「・・・・・・」
「ここにいたって、可哀想だぞ。他の人間に見つかって、酷い目に合わされないとも限らないし」
「・・・・・・」
小次郎は健の指摘には答えず、抱いていた犬をダンボールの中に降ろそうとした。だが仔犬は離れるのを嫌がってキャンキャンと鳴く。やっとの思いでダンボールに入れても、すぐに飛び出して小次郎の脚にまとわりつく。
「・・・何でお前は出てきちゃうんだよ・・・!」
困り果てた小次郎が半ば叫ぶような声を出すと、「お前が好きだからだろ」とのんびりとした声がかかる。
「・・・分かってるよっ!だけど俺んちじゃあ、飼えねえんだから仕方がないだろっ!」
「じゃあ、探せよ。飼ってくれる家。こんなところに隠してないでさあ。それくらい頭使わなくても分かるだろ」
「うるさいっ!お前はあっち行けよ!」
まとわりつく子犬をどうすることもできず、小次郎は再び腕に抱き上げた。小さくてとても軽い。だけどちゃんと温かくて、抱き締めると手に返ってくる質感がある。この世に生まれたばかりでも、しっかりとした一つの命だった。
「・・・保健所なんか・・・」
小次郎はそう呟いて、仔犬をぎゅっと抱き締めた。
「じゃあ、探すしかないじゃん。貰ってくれる家」
「・・・してる」
「ん?」
「探してる。貰ってくれる人。・・・だけど俺が知ってる家って、お店やってて駄目だったり・・・あとは他のペットがいるからって・・・」
「・・・まあ、簡単には見つからないだろうな」
「でも絶対、何とかする」
健はその返事に、お、と思った。
悪くない。簡単に諦めず、『何とかする』と言い切る人間は好きだ。強い眼差しで睨みつけてくるのも、単に気の強さの表れと思うと腹も立たない。
「じゃあ、どうする?」
「・・・一人で探す」
(・・・こいつ、本当に他人が苦手・・というか、人に甘えるのが苦手なんだな)
会話しながら、健は小次郎をつぶさに観察していた。
犬を抱き上げる手付きは、思いのほか優しい。汚れているだろう捨て犬を、こんな風に抱き締めることも出来る。潔癖症のきらいのある健には、到底考えられない。
素は優しいところもある少年なのに違いない。だけど素直じゃないとも思う。
困った事態に陥っているのに、既に顔見知りとなった同級生にも頼ろうとしない。
健は内心で嘆息した。
「・・・なあ。沈丁花」
「じん・・・?」
「お前は転校してきたばっかで、友達も知り合いもあまりいないだろ?だけど俺は生まれた時からこの町にいるし、幼稚園からの友達も多いし、家は空手道場をしているから大人の知り合いも多いし」
「・・・・・・」
「お前が抱えているその犬。もしかたら、俺なら貰い先を見つけてやれるかもしれないけど?」
腕組みをして樹に凭れながら「どうする?」と尋ねてくる健を、小次郎は胡乱気な眼差しで見返した。
「貰い先を一緒に探して欲しければ、『探して欲しい』って一言いえばいいだけなんだけどなー。そうしたら、もしかしたら今日から、その犬は温かい家の中で美味しいゴハンを食べられるんじゃないかなー」
「・・・・・」
「俺なら、そいつを可愛がってくれる家を見つけられると思うんだけど。・・・でも、お前にその気が無いならいいいや。俺、帰るな」
「・・・・待てよ!」
踵を返した健のウェアの裾を、小次郎は咄嗟に掴んだ。
「ん?何?」
「・・・・・っ」
楽しそうにニタニタとした笑みを浮かべている健と、ギリギリと悔しそうに睨みつける小次郎と。
ふたりでそのまま暫く無言で向かい合い、時間だけが過ぎていく。
だが最終的に、仔犬の『クゥン・・』という愛らしい鳴き声に折れたのは、小次郎の方だった。
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