~ 幼き春の、薄紅の ~3




「こら!何をしてるんだ、お前たちは!」

駆け寄ってきた教師に捕まった健と小次郎は、その場で叱責された。
叱られながらも、隣の小次郎がいかにも『お前のせいだからな』といった表情で睨んでくるのが、健には面白くて仕方がない。笑うのを堪えて神妙な顔を作るのに苦労した。

散々怒られて解放された後、健と小次郎は昇降口に急ぐ。

「なあ、日向」
「勝手に人の名前を呼ぶな」
「じゃあ何て呼べばいいんだよ」
「呼ぶな」
「好きに呼ぶぞー」
「呼ぶな」
「恥かしい名前で呼んじゃうぞー」
「呼ぶなっつってんだろッ!」

上履きに履き替えて階段を登る。それ以降は健がどんなに話しかけても、小次郎は応えようとしなかった。
だが「あ、」と健が小次郎の頭に手を伸ばすと、その動きに驚いたように振り返る。

「・・・何だよッ!」
「いや、これが頭についてたから」

ほら、と小次郎の髪に絡まっていたものを手のひらに乗せて見せる。

「・・・花?」
「沈丁花」

小さな可愛らしい薄桃色の花が一つ、健の手の上で揺れていた。

「ほら、いい匂いがするだろ」

健は屈託なく笑って、指先でつまんだ小さな花を小次郎の鼻先に近づけた。

「な?沈丁花」
「・・・・・・」

小次郎は訳が分からないといった顔をして、可憐な花弁と、今日初めて会ったばかりの同級生とを見比べた。







***




初対面で全力疾走の駆けっこまでした仲なのに、そのあと廊下で顔を合わせても、小次郎は健に対して親し気な態度をとることは無かった。むしろ健が手をあげて挨拶をしても、ぷいと横を向いて無視をする。

(あいつ、人と話さないとかいうレベルじゃないじゃん・・・)

そっちがそのつもりなら、こっちだって・・・・と思わなくもない。いつもの健であれば、そうそう自分から他人に寄っていくこともないし、たまたま気まぐれに声を掛けたとしても、その相手から素っ気なくされれば、そこで付き合いは終わる。おそらくはそこから先、長きに亘って縁は切れる。

だが、あの転校生のことは気になるのだ。
見た目は申し分なく整っているのだから、愛想の一つでも振り撒けばクラスの人気者になるだろうに       余計なお世話だと分かっているが、そんなことまで考えてしまうくらいに。

だが実際の彼は、健がたまにクラスを覗きに行くといつも一人だった。誰のことも寄せ付けず、交わろうともせず、一人。頑なに自分の周りに壁を張り巡らせている。

日向小次郎は、そんな少年だった。







「寝てるな・・・」
「あー?・・・うん、寝てるな」

その日も健は昼休みを使って、4組の教室に来ていた。一応は望月に用事があって来ているのだが、本当のところは、望月とはどうせ後で道場で会うのだから、そっちはその時でも構わなかった。

要は転校生       日向小次郎が気になって見に来ているのだ。

(このところ、いつ見に来ても寝てるんだもんなあ・・・)

以前から休み時間を一人で過ごしていた小次郎は、ここのところは寝ていることが多いようだった。そういえば・・・と健は思う。廊下で見掛けたりする時も、あまり顔色がよくないようだった。夜、眠れていないのだろうか。

「若島津。あのさ、日向のことだけどさ」
「何?」
「・・・・いや、やっぱいいわ。また今度話す」
「何だよ。途中まで言いかけて」
「・・・んー。じゃあ道場で」

望月がチラリと小次郎の方を振り向いて、声を潜めた。

普段、こんな風に勿体つけた話し方はしない友人だった。気にはなったが、丁度昼休みの終わりを知らせるチャイムが鳴ったため、追求する時間もない。健が視線を向けた先では、小次郎がゆっくりと体を起こしていた。

「分かった。じゃあ、後でな」

約束をして、健は自分の教室へと戻った。




夜になって空手の稽古が終わった後、望月を捕まえて健は話を聞くことが出来た。
道場を出て門に向かって歩きながら、昼間に学校で話しかけていたことを促す。

「んー・・・。あのさ、これ、あんまり他のヤツに言って欲しくないんだけど」
「何。嫌な話?」
「嫌なっていうか・・・。日向さ、最近教室で寝てばっかいるんだけど」

少し言いにくそうにしている友人に、昼間もコイツはこんな態度だったなと訝しむ。

「なんかさ、あいつ。アルバイトして働いてるって噂」
「・・・アルバイト!?嘘だろ?」

俄かには信じがたい話だった。
もうすぐ進級するとはいえ、自分たちはまだ小学4年生なのだ。アルバイトをする状況というのが想像できないし、そもそもしようと思っても、雇ってくれる場所があるとは思えない。

「見た奴がいるらしいんだよ。5組に佐伯っているだろ?あいつ、本当は学区が違うんだけど、明和小に来ているんだよ。でさ、あいつの家の方で日向が新聞配達をしてたって」
「新聞、配達」
「夕刊と、それから朝もたまに見たことあるって言ってた」
「・・・・・」

どうしてまた、と健は思う。
健自身は何の不自由もない暮らしを当たり前のように送っていて、そうではない暮らし       小学生の子供が外で働かなくてはいけないような生活       そういったものについては馴染みが無かった。

「今は知っている奴、あまりいないけど・・・そのうち、みんなに知られるかもな」
「・・・そう、か。・・だよな。あ、望月。お前はそれ、他の奴に話すなよ」

健が釘を刺すと、「分かってるよー」と友人は唇を尖らせた。






       back              top              next