~ 幼き春の、薄紅の ~2
明和小学校では集団登校制をとっていない。児童たちは各々近所の仲の良い子と誘い合って登校してくる。
健も毎朝、登校は一人だった。ただ途中で友達に会えば、そこから先を何となく一緒に歩くこともあるし、そうでない場合もある。
「若島津、おはよー」
「おはよ」
その朝も同級生の一人から声を掛けられたので、健は挨拶を返した。若堂流の空手道場に通っている友人だった。そのまま彼が足早に過ぎていこうとするのを、健は思い出したことがあって呼び留めた。
「なあ、望月。そういえばさ。お前のクラスにこの間、転校生が来たよな?」
「日向のこと?」
「あー・・。そんな名前だったかな。サッカーが上手いって、うちのクラスの女子が騒いでた」
「ああ、そうそう。すっげえ上手いんだよ。体育でサッカーやった時に一人で点取ってた。走るのも速いし、誰も止められないんだよ。すげえ強いの」
「へえ・・・。どんな奴か見てみたいな」
「見に来ればいいじゃん。普段はあんまり話す奴じゃないけど」
望月が言うには、転校生はどうやら寡黙な少年で、あまりクラスメイトと交わろうともせず、一人でいることを好むタイプらしかった。だが健はむしろその点を好ましいと思った。おしゃべりな男はあまり得意ではない。
それを望月に告げると、友人は首を捻った。
「うーん・・。おしゃべりじゃないとかって感じじゃなくて、ほんとに喋らないんだよ。最初はみんな日向に話し掛けたりしてたんだけど、反応が無いからさ。だから今は誰も話し掛けなくなったし、放っておいてる感じ?でもあいつ、何もしてなくても目立つんだよな。不思議に」
「お前もそいつのこと、苦手なの?」
「そんなことはないけど。とりあえず運動は得意そうだから、道場に誘ってみれば?」
「いや、別に勧誘したい訳じゃ無いから」
そう答えながらも、『そうか、そういう手もあるか』と健は思う。特に空手教室の生徒が足りないとは父親からも母親からも聞いた覚えはないが、運動神経がいいのなら、空手をやってみれば面白いかもしれない。それに初めて会う相手に話しかけるのに、話題としても便利だった。
その時、脇をタタタっと駆け抜けていく少年がいた。
背中に黒いランドセルを背負って、足取りも軽く走り去っていく。少し長めの前髪が後ろに靡いて揺れる。まだ三月だというのに半袖の服を着ていて、日に焼けた長い手足が印象的な少年だった。
「あ、あれだよ。日向」
「え?今、走ってった?」
「そう」
一瞬で追い抜かれたから、顔も何も分からなった。
(ふうん・・・)
健は「悪い。先に行く」と隣を歩いていた望月に一声かけると、走り出す。先ほど自分を抜いて颯爽と走っていった転校生を追って。
相手も本気で走っている訳ではないので、すぐに追いついた。健は隣に並ぶと彼に合わせて速度を落とす。
ちらりと転校生の顔を見ると、前をまっすぐに見据えて、唇を引き結んだ横顔が目に入った。鼻梁が綺麗な線を描いていて、意思の強そうな瞳が目を引く。
(なるほど。確かにイケメンってヤツだな)
だがこうして近くに並ぶと、意外なことに気がついた。遠くから背中を追いかけていた時は自分よりも身長があるように見えたけれど、こうして近寄るとそうでもない。むしろ健の方が少し大きいくらいだった。
(頭が小さくて、手足が長くて、頭身のバランスが外国人みたいなんだ)
そのまま駆けながらも器用に転校生を観察し続けていると、不機嫌そうな声で「・・・見てんじゃねえよ」と聞こえた。
「おはよう」
「・・・お前、誰?」
「若島津、健。4年2組。よろしく。そっちは?」
「・・・日向小次郎」
それだけ告げると、ぷいと顔を逸らして、スピードを上げる。健のことを面倒に思って置いていきたがっていることが見え見えだった。
だが健だって普段から身体を作り込むためにランニングをしている。走り負ける気はしない。すぐにスピードを上げて隣に並んだ。
チッという舌打ちが聞えた。『行儀が悪いな』とは思ったものの、不思議と嫌な感じはしなかった。寧ろ一見クールな印象の彼を真剣にさせたことに、してやったりとほくそ笑む。
(こいつ、楽しい)
『不愛想だし、他人に興味がないんだろうな』と、健の友人は彼のことをそう評した。
駆けっこをしながら、果たして本当にそうだろうかと健は思う。だって本当に他人に興味が無かったり苦手にしているなら、こうして勝負に乗ってくることもないだろう。勝手に走ってればいいと、冷めた反応を返してくるに違いない。
健も転校生も、いつの間にか本気で走り出していた。
ゴールは何処と設定した訳ではないが、健は相手も自分も、同じ場所をイメージしていると感じていた。校門まであと50メートル。教科書やノートをいっぱいに詰め込んだ重いランドセルを背負って、ここまで走ってきてからの更に50メートルだ。全力疾走するのは決して楽なものではない。
それでも健は速度を上げる。肺を膨らませ、酸素を取り込み、足の回転を速める。
校門前で「こらー!走らないで歩いてきなさい!」と大声をあげている挨拶当番の教師の顏が見える。周りの生徒たちも何事かと振り返っている。巻き込まれたら危ないと、道を開けている。
ラストスパートをかけたのはほぼ同時だった。
だが校門を抜けて小学校の敷地に先に入ったのは 。
「はあっ、はあっ、はあ・・・っ」
「・・・ばっか、じゃ、ねえの・・・っ!?」
転校生 日向小次郎の方が、先だった。
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