~ 幼き春の、薄紅の ~




「4組に転校生が来たって!」

教室に駆けこんできた女子生徒のその言葉に、クラスの一部が騒めく。

「へー。男子?女子?どんな子?見た?」
「男子!見た!すっごいカッコよかったー!背が高くてイケメン!」
「うそ!なら見たい!」
「見にいく!?行こうよ!先生、まだ来ないかな」

そう言ってパタパタと数人の女子が教室を走り出ていくのを、同じクラスの若島津健は半分呆れたように、半分『すげえな』という目で眺めていた。

(女子は朝から、元気だよな・・・)

いつもと変わらない日常。窓際の机にランドセルを置いた健は、中身を取りだして机の中の箱に移す。それを終えるとロッカーにランドセルをしまい、席についた。
窓からは校庭       まさに自分が今いる明和小学校の校庭と、その向こうには明和の住宅街、さらにその奥に健の家と道場の建っている、こんもりとした丘が見える。

健にとっては何も変わらない、いつもの一日の始まりだった。

「ー~~~~!」

(・・・?)

さきほど教室を出ていった女子たちだろうか。何と言っているかは分からないが、廊下の向こう側から、一種悲鳴のような甲高い声が聞こえてきた。

(転校生なんか、別に珍しいものでもないだろうに)

健自身はどんな生徒が転校してこようと、さほど興味は無い。元々、他人への関心が希薄な性質だった。
それに実際、転校生がやってくるのは珍しくもない。学区内に次から次へと新しい住宅地を開発していることもあって、年に数人は同じ学年に転校生がやってくるのだ。



そうこうしているうちに教室に担任が入ってくる。さきほど抜け出していった女子たちも教師に続いて、慌ててドアから滑りこんでいた。

「見れた?」
「見たよ」
「どんな感じ?」
「顏がイイ!」

急いで席についた女子が他の子から尋ねられ、早口で答える。ひそひそとした話し声にもかかわらず、興奮が抑えられないような様子だった。

 (へえ・・・。珍しいな。川田が褒めるなんて)

顏がイイ!と断言したのは、男子の顔面偏差値に厳しく、辛口の批評で知られる女子だった。健も小2に同じクラスになって以来の仲だが、彼女がこれまでに男子の容姿を褒めるなど滅多に無かったことだ。

(・・・少し、見てみたい気もするかな)

健にしては珍しく、そんなことを思った。

別に見た目がいい人間が好きだとか、そういうことではない。そもそも健は、自身が空手をやっていることもあるからか、基本的に強い人間でなければ興味も持たないし、認めない。

だがその男子のことを話している同級生が、普段とは全く違ってキラキラとした目をしていて、小二以来初めてといっていいくらいに『女の子』に見えるのだ。彼女は根は悪い子ではないと健も思っているが、どちらかというと皮肉屋で、他人に対して否定的な見方をすることが多い。これまで、今のような可愛げのある表情など見たことがなかった。

要は、他人に       しかも遠くから少し眺めただけだろう人間に、そこまでの影響を与える人物というものを健は見てみたかったのだ。




授業が始まる。号令がかかると、声を潜めて話していた女子たちも黒板の方を向く。1時間目は国語の授業だった。
クラスメイトが指されて教科書を読みあげる中、健は窓の外へと視線を向けた。

(いい天気だな・・・・)

本来ならまだ肌寒い時期ではあるけれど、今朝は窓を開けてもぽかぽかとした日差しが降り注ぎ、暖かかった。
早春の穏やかでうららかな朝のひと時に、健は馥郁とした甘い香りがふわりと鼻腔をくすぐるのを感じた。

(いい匂いがする。窓から・・・・?)

何の香りだろう。
花の匂いだ。芳香剤とかじゃなくて、たぶん本物の花の香り。

(沈丁花・・・?)

健の知っている中では、その香りが一番近いように思う。きっとそうなのだろう、春なのだし、確か学校の近所の家でも咲き始めていた       健はそう推測した。





***




「ヤバイ!ほんとヤバイって!日向くん、すごいんだよ」
「それ知ってる!今日の体育の話でしょ?一人で6点も入れて、ゴールキーパーやっても全部止めたって」
「私、7点入れたって聞いたよ」

『すごくカッコイイ転校生がやってきた』とクラスの女子が騒いでから3~4日経っても、彼女たちの話題は未だに2つ隣のクラスの新しい男子のことだった。

「はー、4組に入りたい」
「つぐみちゃん、ハマってるね」
「ねー」

盛り上がってる女子とは対照的に、冷めた目で見ているのが一部の男子だった。

「俺、あいつ知ってる。俺が入ってるクラブに一回来たもん」
「転校生?」
「そー。あいつ、メチャクチャなんだよ。ラフプレイばっかで危ねえし、最後は『こんなチームでちんたらやってられない』とか暴言吐いて帰ってった」
「最低だな!」

明和には近隣合わせて、幾つかサッカークラブがある。サッカーが盛んな地域でもあるから、熱心に指導されているチームもあれば、楽しく身体を動かしながらチーム競技を学んでいくといったレベルのチームもある。

(そいつのレベルに、お前らが達していなかったってだけの話だろ)

聞こうと思わなくても聞こえてしまう。健は別に転校生に肩入れをするつもりは無いが、話を聞く限りでは相当サッカーが上手いのだろう。前の学校にいる時にもやっていたのに違いない。

一人突出して才能のある人間がいるとすれば、それを下から見上げる一方の人間もいる。その中においても、上を目指して自らに努力を課す人間もいれば、ただ羨むだけで、時に呪詛の言葉を並べ立てる輩もいる。

どれだけが味方になって、どれだけが敵になり得るか。健の感覚からしても、断然味方になる人間よりも敵の方が多い。
要はここに、多数派のうちの一人がいるということだった。

(・・・くだらねえの)

これまで何とも思わずに一緒に過ごしてきた仲間たちと、教室の中の景色が急に色褪せて見えた。
そんなことは初めてで、健は自分でも少し驚いていた。







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