~ promise  ~ <5>



三杉の部屋は今回合宿を行っている建物の2階、廊下の一番奥にある。
人数の問題なのか、何か裏で工作したのか、何故か三杉だけ一人で部屋を使っている。
日向は別の部屋で若島津と同室で、反町は他の学校の生徒と一緒だった。


階段を登って2階に上がると、他のメンバーは既に全員が食堂に向かったのか、廊下は静かだった。
三杉の部屋の扉を日向が軽くノックするが、返事がない。
もう一度ノック。だがやはり反応はない。

ただ、何となく誰かが部屋の中にいるような気がした。もしかしたら少し休むつもりが、寝てしまったのかもしれない。
食事も取らずに寝入るほどの練習量では無かった筈だが、三杉の体は他の人間とは違う。
疲れているのならば休ませてやりたいけれど・・・と思いながら、日向はドアノブを引いてみた。
部屋の鍵はかかっていなかった。


「三杉。開けるぞー。入るからな」

もう一度ノックをして、一方的ではあるが、一応部屋の主に断りを入れて日向は入室した。
部屋の中は照明をつけていないせいで暗く、明るい場所から入った日向は目が慣れるまでしばらく時間がかかった。

が、視界が利くようになると、真っ先に目に入ったのはベッドに突っ伏した三杉の姿だった。

「・・・・三杉?寝ているのか?」

やはり眠ってしまったのかと思い、「起きろよ・・・。メシ、食いっぱぐれるぞ」と口にしかけて、ようやく三杉の様子がおかしいことに気がついた。
体が小刻みに震えて、呼吸が荒い。胸を押さえて体を丸めている。顔色までは分からないが、相当苦しそうだった。日向が入ってきたのにも気づいていないのか、顔も上げなかった。

「・・・三杉ッ!!」

三杉の身に何が起きたのかを瞬時に悟り、日向の頭が真っ白になる。
駆け寄って体を起こそうとしたが、急に動かさない方がいいのかと気がついて、慌てて手を引いた。
三杉の呼吸は荒かったが意識ははっきりしているらしく、日向と目を合わせた。が、すぐにそれは苦しそうに伏せられてしまう。

「三杉、大丈夫か!?すぐに誰か呼んでくるから!このまま、少しの間だけ待てるな・・・!?」

非常事態に日向の心拍数は跳ね上がり、心臓の音が耳の側で聞こえてきそうなほどだった。
三杉の発作なんて、この数年間見たことなかったし、本人から聞いたこともなかった。
だが、助けを呼びに部屋を出ようとした日向の腕を、三杉が手を伸ばして止めた。ひんやりとした冷たい手だったが、意外に力が強かった。

「・・・もう、大丈夫、だから・・・。薬、飲んだし・・・少し、休めば・・・」
「でも、お前そんなで・・。全然大丈夫じゃないだろ!やっぱり誰か呼んでくるよ、な?」
「自分の体は、自分が、一番よく・・・知っているから・・・頼む」
「みすぎ・・・」

三杉が日向の腕を離そうとしないので、仕方なく日向もベッドに腰を下ろし、三杉の容体を見守った。
少しでも様子がおかしくなるようならすぐに誰かを呼びに行くつもりだったが、時間が経つにつれて本人が言うように落ち着いてきたようだった。

「少し、動かすぞ・・・」

日向はゆっくりと三杉を仰向けにし、シャツのボタンをはずして首のあたりを楽にしてやった。
今でも誰か大人を呼んできた方がいいのではないかと、そう思わない訳ではなかったが、
三杉が弱みを見せたがらない、プライドの高い男なのを日向も知っているから、できるだけ三杉の望むようにしてやりたかった。

「すまないね、日向・・・。迷惑をかけてしまって・・・」
「何言ってんだよ、バカ。・・・迷惑だなんて、思うわけないだろ・・。」
「・・・そうだね、ごめん。」
「謝んなよ」
「ありがとう。・・・君さえよければ、もう少し・・・こうしていてくれないか」

三杉は腰かける日向の腿に額を押し付けた。ピッチの中を自由に駆け回る日向の足は綺麗に筋肉がついて決して柔らかくはないが、温かかった。
その温かさに安心して、三杉は目を閉じる。

日向は汗でべとついた三杉の額とこめかみを近くにあったタオルで拭いてやり、薄茶色の髪を指ですいた。
三杉はようやく体の力を抜いて、息を細く吐いた。




「最近、調子が悪くてね・・・」
月明かりだけがほのかに照らす部屋の中で、ポツリと呟くように三杉が話し始める。

「中学の頃はとても調子良かったから、自分でも随分とよくなったと思っていたんだけど・・・。」
「あんまり話すなよ」
「もう大丈夫だよ。夏以降、何度か繰り返してね。・・・・いよいよ、手術を受けることにしたんだ。」
「・・・・・」
「手術を受けてリハビリをして・・・もしかしたら高校でのサッカーは棒に振ることになるかもしれないけれど・・・。でも、それしか道はないから」

日向には三杉に掛けるべき言葉が見つからなかった。
一年も二年もサッカーが出来なくなるかもしれないなど、自分ならば考えられない。想像もできない。
今日この日、ボールを追いかけてグラウンドを縦横無尽に駆けるライバルたちを、三杉はどんな気持ちで見ていたのか。


「でもね。やるからには、必ず乗り越えてみせる。」
「・・・・・」
「時間がかかっても、どんな苦労をしても、僕は必ずフィールドに戻る。・・・君に、約束する」

一言一言、自らの心に刻むように紡がれていく三杉の強い言葉を、日向は黙って聞いた。


「このままで聞いてくれ、日向」
「・・・・うん」

日向には自分の足に顔を伏せている三杉の表情は見えない。
でも、三杉が今、何を言わんとしているのかは分かるような気がした。

「僕は、君が好きだ。・・・どうしてかなんて理由を挙げたらキリが無いくらい、君が好きだ」
「・・・・」

「こんなところで言うつもりじゃなかったんだけど・・・。次に言える機会があるのかどうか、誰にも分からないから」

暗に、手術で何かあった時のことを言っているのだと、日向にも分かった。

「さっき、必ず戻ってくるって言ったじゃんかよ・・・」
「リスクシナリオはやっぱり必要なんだよ。・・・ただ、本当にもう少し待つつもりだったんだ・・・。時期を待つのは慣れているから・・・。」
「もう、いいよ。もう話すなよ。・・・・分かったから」
「気持ち悪いとは、思わないかい?」
「思わないよ」
「僕は男で、君も男だよ」
「変なのかもしれないけど・・・思わねえよ」
「返事は、無事に手術が終わったら聞かせて欲しい」
「だからっ・・・!」

その時、扉をノックする音がした。

「三杉?いるのか?日向さん来ていないか?」

日向がいつまでも戻らないのを、心配して見に来た若島津の声だった。
三杉が目で、日向に返事をするように促し、日向は「ここにいる。・・・今すぐ行くから」と答える。

「食堂は片付けられたからもう、あそこでは食べられないよ。・・・なんで、適当に皿に盛って持ってきた。
あんた、食事の途中だったでしょう?ついでに三杉の分も」


日向はそっと三杉の頭を下ろして立ち上がり、扉を開けて若島津を迎え入れた。
最初、若島津は部屋の暗さに驚いたようだったが、ベッドに横になったままの三杉に目を止めると、何が起きたのかをすぐに理解した。

「誰か呼んだ?日向さん」
「いや、落ち着いてきたから」
「そう。・・・大丈夫か、三杉」
「ああ、悪い。日向を少し借りたよ。・・・・これから打ち上げだろう?僕に構わず、行ってくれ」

「お前、そういう訳には・・・」
いかない・・・と言いかけた日向を制して、若島津が答えた。

「じゃあ、日向さんは連れて行くから、何かあったらすぐに連絡しろ。携帯でもいいから。」
「ああ、ありがとう」
「他の奴には適当に言っておくから。ちゃんと休めよ」

日向は三杉一人を部屋に残して行くのは不安だったが、若島津が日向を促して退室し、さっさと扉を閉めてしまった。



廊下を歩く日向の足取りは重かった。
後ろ髪を引かれるような様子の日向に、若島津が軽く顎をしゃくって言葉を促す。

「・・・若島津。俺、誰かついていた方がいいんじゃないかと思うんだけど。なんだったら俺が・・・」
残ってもいいし、という言葉はまたも若島津に遮られた。

「あんた、分かってないね。あいつが一番カッコつけたいのは、あんたの前なんだよ。
 ・・・大丈夫、俺が見たときには、そんなに普段と変わらなかったよ」

若島津は日向の手を取り、階下に向かって歩き出す。

日向には、それは嘘だということが、若島津が日向を安心させようとして言ってくれているのだということが分かっていた。
だが、どんな言葉を貰っても日向の心の中の不安は消えず、それはまた若島津と分かち合えるようなものでもなかった。

それができるとしたら、ただ一人、今部屋に置いてきたばかりの三杉だけの筈だった・・・。




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