~ 溶けて消えて、このカラダごと。 ~ 4








東邦大学に進学した俺は、その後、部活だけでなくそれなりに授業も真面目にこなし、普通に大学生をしていた。

種を偽っての生活がどうなるかいう不安は常にあるが、とりあえずは無事にαとして認識されたまま大学生活を送っている。今は進級して2年生だ。下級生も入ってきた。サッカー部では4月に、この春に入学してきた新入生対象のセレクションを終えたばかりだ。

セレクションでは新入生の実力を見て、入部させるかさせないか、させるならどのチームに振り分けるか、を決める。
東邦大学サッカー部は毎年入部希望者が多いので、全員を受け入れる訳にはいかなかった。
そのセレクションで目を引くほどに上手ければ・・・というより、上手い奴など入部してくる前から皆、顔も名前も既に知っているのだけれど、そういった奴はAチームに入れて、俺たちと一緒にインカレや関東大学リーグ、天皇杯を戦うことになる。そこまででなければ、Bチーム、Cチームに入れて、下位リーグの試合に出させる。

今年も東邦の高等部から、知った顔が何人かAチームにやってきた。一年ぶりに会う後輩たちは皆、俺や反町に笑顔で寄って来て、「またよろしくお願いします!」と嬉しそうに挨拶をしていった。

反町は後輩たちの背中をバンバン叩き、歓迎の意を表した。

俺はどんな顔をしていただろう。

可愛がってきた後輩だ。再会が嬉しくない訳ではない。
だけど、単純に喜べもしなかった。


気が付かなければよかったんだ。そうすれば、可愛い後輩だと思ったままでいられたのに。


高等部の制服を着ていた頃には見下ろしていた筈の目線が、この1年の間に変わらない高さになっているなんてこと、気が付きさえしなければ              。






分かっていたことではあった。αからΩへと変化した日から、俺の身体の成長は止まっていた。身長や体重、骨格や筋肉量、という意味で、だ。
あの日から、どれだけ運動をしても食事を摂っても、身長は殆ど伸びなかった。筋肉も増えるどころか、少しでもトレーニングの手を抜けばたちまち落ちてしまう。努力して18歳当時までの体格、身体能力は何とか維持しているものの、どれだけ頑張って自分を追い込んでも、それ以上にウェイトが上がることは決して無かった。

身体の大きさは、サッカー選手にとって武器の一つだ。
俺は子供の頃から中学高校と、ずっとその年代では大柄で力もあったから、自然とパワーストライカーになっていた。 邪魔だと思えばマンマーカーを蹴散らしてきたし、チャージされても負けることは無かった。

だがこれから先は、どうだろう。

このまま俺が変わらないとなれば、寧ろ衰えていくのだとすれば、すぐにでも周りに追い付かれ、後輩にも追い抜かれるだろう。
そうなったら、プロになるという目標は     


Ωに変わったばかりの頃は、よく夢を見た。
俺の身に起こったことは間違いで、検査の結果だってちゃんとαで、何一つそれまでと変わらないんだ・・・って夢。
「なんだ、俺、一人で焦って馬鹿みたいじゃん」って夢の中で笑っていた。目が覚めてしまえば、その幸福な気分も泡がはじけるように消えたのだけれど。


最近は夢なんてみない。見たくない。

身体が生まれ変わるなら、いっそのこと脳みそも全部取り替えてくれればよかった。過去の自分など覚えてなければいい。まっさらな状態でΩになったのなら、何も思い悩むことなくαの庇護下に入ることが出来ただろう。

そして俺を更に絶望へと追いやるのは、身体の外側の成長は止まったくせに、内側では着々と準備が進んでいるということだ。
1年半前に身体の中に突然できた生殖器官が、徐々に成長していく。αの種を受け入れる準備を整えていく。俺の意思とはうらはらに。

それに伴い、ヒートの時期に覚える欲求も初めの頃と比べて強くなっている。外にいる時には気が張っているからか、薬で抑えれば何とかなったが、家に一人でいる時は身体が熱をもって苦しかった。本来ならαに鎮めて貰わなければ治まらない欲求だ。それを薬の力に頼りながら、毎晩ベッドの上で一人で処理をしてやり過ごす。
俺はαを受け入れる訳にはいかないのだから、それしか方法が無い。
生殖できる年齢が過ぎるまでの期間・・・20年なのか30年なのか分からないが、その間、俺はそうやって一人で耐えるしかないのだろう。




神様なんて信じてはいないけれど。
もし似たようなものがこの世にあるのだとすれば、それは物凄く残酷なんだろう、と思う。
















その日、俺はサッカー部のグラウンドに急いで向かっていた。もうすぐ練習の始まる時間だったが、庶務課に寄っていたので少し遅れたのだ。
サークルは上下関係など緩いが、体育会系の部ではそうはいかない。高校までとそれほど変わらない力関係が存続しているので、最下級生ではないにせよ、練習に遅刻するのは痛かった。


東邦学園大学部の敷地は広大だ。各球技の専用グラウンドに体育館が2つ、屋内プールも2つ。武道場に弓道場、はては馬場まである。
正直、こんな時には自転車が欲しいと思う。実際、職員は自転車で移動しているが、学生には許されていなかった。まあ確かに、構内は歩きスマホなんかも多いし、危険だとは思う。

俺が駆け足で中央棟からグラウンドに向かう道を移動していた時だった。「・・・君!」と声を掛けられ、いきなり腕を掴まれた。

ガクン、と後ろに引かれる衝撃に、危うく転ぶかと思い、肝を冷やした。
高校時代に足を怪我して暫く試合に出られないこともあった俺は、人一倍怪我には慎重になっている。どのスポーツであっても、故障は選手にとって一番の敵だ。

「・・・んだよッ!危ねえだろッ!」

腕を掴まれたそのことよりも、怪我をさせられる可能性があったことに激高し、俺はまだ自分を繋ぎ止めたままの男を振り返って怒鳴りつけた。

そこにいたのは知らない男だった。部活でも学部でも、研究棟でも見たことの無い顔。造作は整ってはいるが、華やかというよりは落ち着いた印象の男。身長は俺より少し高く、細身だけれど決して貧相ではなく、服の下にしなやかな筋肉を想像させる体つきをしていた。

俺にも分かる。この男はαだ。

どこかで知り合った奴なのかと訝しむ。
だが名前を思い出せなかった反町の友人・・・紅葉ですら顔は覚えていたのに、この男には微塵も見覚えが無い。





「あ、ごめん。悪かった。乱暴にするつもりはなかったんだ。ただ・・・君のこと、前から気になっていて、ちょうど今は一人みたいだったから」

だからちょっと強引だったけど、声をかけたんだ・・・と、その男はどこか人好きのする顔をして笑った。

「君、金曜の5限に契約総論をとっているだろう?大体いつも、教室の後ろ、すみっこに座っている」
「・・・・」

こっちは相手を知らないのに、向こうは俺を知っているらしい。俺の頭の中で警鐘が鳴る。こいつは危険だ、今すぐここを去れ       と。
その一方でこの男が何を言い出すのか、確かめずにここを去ってはいけないような気もした。俺はこの一年半もの間、ずっと逃げ続けている。これからも一生、逃げ続けなければならない。
だがだからこそ、危険がどこにあるのか、どこまで迫っているのかを正確に知っておく必要があった。

できれば知らない人間には近寄りたくないが、仕方がない     。俺は腕を掴ませたままで、男の正面に向き直った。

「俺がどこに座っていようが勝手だろ。気に食わなきゃ見なけりゃいい」
「気に食わないとか、そんなことじゃないよ。・・・君、目立つからね。つい見てしまうんだ。でも講義でない時は大抵、他のαと一緒にいるよね。だから、もう決まっているのかな・・・と思って」
「・・・・何の話だか分かんねえんだけど。悪いけど、俺急いでるから、離して貰えねえかな」

いざ聞いてみれば、男の話している内容は俺にはちっとも理解できなかった。

俺が目立つ?高校3年のあの日まではそうだったかもしれない。同年代の中では、俺は最も強く、優秀なαの一人だったから。 だけど今の俺は、大勢の学生がいるキャンパスでは埋もれてしまう、偽物のαに過ぎない。
そもそも何でこの男に呼び止められたのかがますます分からなくなった。どうやら知り合いでも何でもなく、たまたま同じ授業をとっているだけらしい。

      俺のノートが欲しい、とか?

そんなことは無いだろう、と自分で出したその考えを否定する。ノートならもっと上手くまとめている奴がいるだろうし、そもそも俺は欠席も多い。
そんなことを考えていると、男がさらに意味不明なことを言い出した。

「そっか。じゃあ、今度時間作ってもらえる?」
「はあ!?何で俺が?」
「だって今は時間が無いんだろう?だけど僕は君とゆっくり話がしたい。だから、改めて時間をくれないかな?」

冗談じゃない。

どちらかというと、今後一切近づきたくないような人種だ。
昔の俺を知らないα。大学に入ってから初めて俺の存在に気付いたαは、男であっても女であっても、俺にとっては一番厄介な相手だ。

反町みたいな、昔からの知り合いはいい。俺がαであった頃を知っている人間は、まだ一緒にいても安心できる。
中等部と高等部で一緒だった人間は、俺がαであると信じ切っているからだ。
そいつら自身も、検査を受けてαかβであることを証明してから東邦に入った人間だ。そいつらにとっては「日向小次郎はαの男」であって、それ以外の何者でもない。そして初めて会う大学からの編入組にも、俺をαとして紹介してくれる。「中高からの持ち上がり組だ」と言えば、疑う奴などいなかった。

そんなことでも無ければ、大学に入ってからこれまでの間に、Ωであることを見破られても不思議じゃなかった。
先入観というのは、それほどまでに人の目を曇らせることができる。自分の経験として、俺はそのことを実感していた。


先入観の無い人間。それが一番恐ろしい。
新しい友人を作らないようにしていたのは、そういう理由からだ。面識の無いαに近づきたくなかった。

とにかく、今は一刻も早くこの男から離れて、グラウンドに向かう必要がある。
だがその男はなおさら強く俺の腕を引いて、身体を寄せてきた。

「君、今αのパートナーは?いる?」
「・・・は?」

男は俺の頭に顔を近づけ、クン、と髪の匂いを嗅ぐ。

「君、ヒートが近いだろう?すごく・・・いい香りがする。君、あまりΩらしく見えないけれど、ちゃんと準備のできているΩだね。僕には分かる」

αだからね。実際今、君は僕のことを誘っているよ           

そう言って、αの男は茫然とする俺の肩を抱き込み、今度は鼻先を髪の生え際、俺の耳の後ろにうずめた。


ドクン、と鼓動が跳ね上がった。
体中の血液がドクドクと音を立てて、ものすごい勢いで巡っているように感じた。

なに、こいつ、何、なにを言ってる                










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