~ 溶けて消えて、このカラダごと。 ~ 3








αであるのか、βであるのか、Ωであるのか。


それは十代前半の第二次性徴期にならないと判明しない。その時期に検査を行って、初めて確定する。
東邦学園では中等部への入学または進学前の検査を必須としていて、その結果がΩであれば外部からの入学はもちろん、初等部からの内部進学もできない。

俺は中等部からの編入組だが、確かにその検査を受けた時はαだった。だからこの学園に入学できたのだ。

なのに、今はΩ。一年半前、高校3年の秋にΩであることが判明した。





最初は違和感だった。
ある時、2~3日続けて微熱を出し、身体が重くなった。軽く風邪でも引いたのだろうと思い、気にしないようにして放っておいたら、1週間ほどで元に戻った。

やっぱり風邪だったのだろうと思い、そんな事などすっかり忘れた頃、また微熱が続いた。前に熱を出してから3か月ほどが経っていた。今度は呼吸が苦しく、めまいもした。身体が火照って、頭が回らなかった。
原因が分からないことに恐怖を覚え、混乱した頭のまま実家に連絡を取った。母親に相談したら、すぐに迎えに来てくれて、父親の知り合いの医者に連れていかれた。その時は何故か分からなかったが、どれも秘密裡に行われた事だった。

行った先のクリニックで受けた検査で、俺がαではなく、Ωだということが判明した。


最初、何を言われているのか理解できなかった。

だってそうだろう。俺はαだ。小学生の時にサッカーの才能を見込まれ、東邦のスカウトを受けた。そしてαとして東邦に入った。
俺にはプロのフットボーラーになって、海外のリーグでプレイするという夢がある。日本代表としてオリンピックにも出るし、ワールドカップの優勝も目指す。翼や岬、三杉といった、黄金世代と言われるだけの飛び抜けた才能をもつ仲間もいる。


いつかじゃない。遠くない未来に、俺たちはワールドカップで優勝するよ            。


ぼんやりとした頭の中に甦ったのは、翼の言葉。ワールドカップで優勝する。俺たちはそう誓い合っていた。


でも。
ごめん、翼。岬。
約束はきっと守れない。願いは叶えられそうにない。

俺には無理だ。ごめん。だって、もうαじゃない。俺はもう、αじゃ無くなってしまったんだ     。



種が変わったのだと理解した後にやってきたのは、暗くて深い絶望だった。落ちてしまえば二度とは這いあがれないような、底なし沼にも似た絶望。

その光も届かないような暗闇の中で、俺は自分の未来だけでなく、共に闘ってきた仲間をも失ったのだということを知った。












稀なケースではあるが、第二次性徴期に種が確定した後も、後天的にそれが変化することがある。
αからβ、またはΩに。βからΩに。

俺を検査した医者はそう説明した。
父親と同じくらいの年齢のその医者によると、逆の例は今まで起きたことが無いそうだ。つまり、Ωやβがαに変化したことは、かつて無い。これからも無いかもしれない。
だが、αがβやΩになることは、希少ではあるが見られるのだという。


なぜ、俺なのだろう。


βに比べれば圧倒的に数が少ないとはいえ、世の中全体を見れば、多くのαがいる。
なのに、その中でどうして俺だったのだろう。俺でなくてはいけなかったのだろう。


間違いなく、俺は18の歳になるまではαだった。

それまでは順調にαとして育ってきたので、身長もある。αの中でも高い方だ。サッカーをやっているのだから、同年代に比べれば身体もガッシリしていると思う。
先天性のΩはみな一様に背が低く、手も足も細くてふわりと軽いのが特徴だ。大半のΩは、αの庇護欲をそそるような華奢で可愛らしい容姿をしている。性格的にも穏やかで優しい人間が多く、男であっても女であっても、どこかか弱い小動物を彷彿とさせる。

俺のように逞しいΩなど、どこを見てもいない。

αではない。だけど俺はΩにも成りきれない。Ωとするならあまりにも異形だ。
この年になって種が変わったと宣告され、どうしろというのか。

後で調べてみて、後天的に種が変わった場合、特にαからΩに変化してしまった場合には絶望のあまりに死を選ぶ者もいるのだと知った。自分がαだった頃なら、それを聞いても『何も死ななくても・・・』と思っただろう。
だが自分がその立場になるとよく分かる。



生きる望みなんて、何もない       。










学校には親から連絡をして貰い、1週間休むことになった。親戚に不幸があって急遽実家に戻り、その間に季節外れのインフルエンザに罹患したことにした。
その1週間の猶予に、俺は家族とこれからのことを決めた。親だって俺と同じように、混乱し、悲しみ、落胆していた。でも、事実はもう変わらなかった。

俺はΩとして生きることは受け入れがたい、と家族に話した。このままαとして生きていきたい、と。

幸い、今は発情を抑えるいい薬もある。Ωであることを隠し続けるのは難しいことかもしれないが、もう他の道が考えられなかった。

俺はプロのサッカー選手になりたかった。

Ωであると知られれば、その門戸は永遠に俺の前では閉じられる。そうなれば、もう本当に生きている意味など無いと思った。

「小次郎。Ωであることを隠して生きていくというのは、番に出会うこともなく、一人でずっと生きていくということだよ」

αである父さんは反対した。Ωになったからには、この世は一人で生きていくには厳し過ぎると、心配してくれた。
Ωである母さんは、賛成も反対もしなかった。よく考えたうえで俺の好きなようにしたらいい、と言ってくれた。サポートはできるだけのことをする、と。
兄弟では、すぐ下の弟にだけは親の判断で事情を話した。自分たちに何かあった場合には兄弟で助け合うしかない、との理由だった。俺は嫌がったけれど、Ωの息子のことが心配なのだと言われれば頷くしかなかった。
既に検査を受けてαであることが判明していた尊も、信じられないというような顔をしてじっと俺を見ていた。







結果的に、俺はαとして、以前と何一つ変わらない素振りで学校に戻った。何人かの友人が心配してくれたが、ただのインフルエンザだと信じていた彼らは、そんなに深刻ではなかった。俺も「油断したんだ」と笑顔を浮かべていた。

高等部を卒業した後はプロになるつもりだったが、それは予定を変えざるを得なかった。俺は東邦大学に進学した。
Ωに変わったばかりの身体をどう扱えばいいのか、まだ自分でも把握できていなかった。だから一旦、諦めるしかなかった。プロになればどうしたって遠征も増えるし、それに契約して金を受け取るのだから、それだけの働きをしないといけない。
普段はまだいい。だがヒートの時はどうすればいいのか。3か月に1回やってくるヒートをどうすれば上手くやり過ごせるのか、俺にはまだ自信が無かった。

大学卒業後にプロになる、と各チームのスカウトには返事をした。当然のごとく、理解し難いという顔をされた。

仕方がなかった。子供の頃からの夢だったけれど、それが叶うのだと思って、数か月前までは浮かれていたのだけれど。


全てのチームの誘いを断った夜、俺は自分のマンションの部屋で一人で泣いた。みっともなく、声を上げて泣いた。
どうにもならないことを泣き喚くなんて情けなかったけれど、涙は後から後から出てきたし、我慢しようとしても、どうしたって嗚咽が漏れた。
多分、自分がΩだと知ったその時よりも、俺は泣いた。

そしてそんなことでも、俺はもう自分がαではないのだということを思い知った。αなら、感情のコントロールができる筈だったから。

       仕方がないんだ。俺だってプロになりたかった。でも、仕方がないんだ。仕方がないんだよ・・・。

何度も何度も、自分に言い聞かせた。
これが最善だったと、これで終わりじゃないんだと、信じたかった。



その晩は馬鹿みたいに、壊れたみたいに、俺は泣き続けた            。







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