~ 溶けて消えて、このカラダごと。 ~ 36









俺の目から、ぽたりと涙が零れた。
泣くつもりなんかないのに、泣きたくなんかないのに、涙はあとからあとから溢れてくる。Ωになってからは涙腺が弱くなってしまって、本当に困る。

「・・・すごく、いいヤツなんだ。友達なんだよ」
「うん」
「あいつと寝たいとか、どうにかなりたいなんて、思ったことも無かったんだ。・・・本当に、最初はそうで・・」
「ああ、そうなんだね」
「だけど、傍にいてくれたら安心するんだ。何があっても俺のことを一番に考えるような奴だから、俺、すごく困るのに・・・・でもそれが嬉しいんだよ」

涙混じりの俺の言葉を、先生はたまに相槌を打ちながら聞いてくれている。
この人なら何を言っても受け止めてくれると知っている。だから、つい甘えてしまう。

「だけど、俺はこんなだし・・・。そいつと一緒にいる資格なんか無いって・・・ずっと、そう思ってて」
「そう。でも君は、本当はその彼と一緒にいたいんだよね。彼のことをとても大事に思っている。君が傍にいることで彼の不利益になるようなことがあるんじゃないかと、そう案じて、尻ごみするくらいに」

そうだ。一緒にいたい。俺だけのαにしたい      そんな望みを抱きそうになるたびに、打ち消してきた。そうはならないし、そう望んでもならないと。
それが正しいのだと思っていた。

だって俺は不完全なΩで、見た目だって中身だってΩらしいところなど何一つなく、こんなのが一緒に居る訳にはいかなかった。あいつがいいと言ったって、周りが許さないだろうと知っていた。
それらを無視してあのαを手に入れたところで、恥をかかせるだけだろうし、いつかは離れなければならない日がくるかもしれないと      俺はあいつを信じ切ることが出来なかった。
それはΩとしての俺の自信の無さの表れかもしれない。俺はαで居たいと願いつつ、真っ当なΩになれない自分を恥じてもいた。

俺が懸念していたそれらは、全て『もしかしたら』の話だ。
だけど俺には、可能性があるというだけで十分だった。怖かった。だからあれこれと理由をつけて、自分から逃げ出した。

(ほんと、俺はどうしようもない      。でも、そうするしか無いと思ったんだ)

自分が何を望んでいたのか、何を欲しているのか。
そんなことを今更自覚しても、もうどうしようもない。あのαを手に入れる機会を、俺は自分から捨てた。

「・・・っ、・・ふ・・っ」

我慢しようと思っても、どうしても嗚咽が漏れる。

夕暮れの柔らかな光が差し込む部屋で、俺はみっともなく泣き続けた。
先生はそのまま傍にいてくれて、ただ優しく放っておいてくれた。






泣いたお蔭で少しスッキリすると、先生が「小次郎。しつこいようだけれどね」と、人を落ち着かせる、いつもの声音で話し始めた。

「君には何度も言わないと通じないみたいだから」
「・・・なに?」
「僕にはね、君がどうして自分に対してこうも低評価なのか、正直いって理解が出来ないんだよ。だって君はこんなにもスラリとして格好いい青年なのに、何が不満なんだろうって」
「・・・え?見た目の話なの?」

俺はグズグズとした鼻声で応えながらも、小さく吹き出した。
ここに至ってどうして外見の話なのかと思うと、単純に可笑しかった。

先生も俺に合わせて悪戯っぽく笑うが、すぐに真面目な顔になって続ける。

「そうは言うけれど、見た目は大事だよ?そう思わないかい?だって人の中身は外見にちゃんと反映されるだろう?その人が重ねてきた経験や努力、人生に対する姿勢や考え方といったもの。生きる上での覚悟のようなもの・・・そういうものが全て、誤魔化しようがなく見た目に現れると僕は思っている」
「・・・・」
「生まれついての美醜はあるにせよ、それとは別の次元の話だよ。・・・君も例外じゃない。君はこれまで、どう生きてきただろうか。思い返してごらん?」
「先生」
「君は自分の運命を知った時、どうしたか。嘆きはしたけれど、諦めなかった。親ですら『止めた方がいい』と言ったにも関わらずだ」

自分がどう生きてきたか      。勿論、分かっている。色んな人を巻きこんで、困らせて、中には傷つけてしまった人もいる。

「君は自分の人生を賭けてきたし、今だって闘い続けている。自分の夢を叶えるために。      そうして積み上げてきたものが、現在の君を形作っている。君の強さ、まっすぐさが君の表情、姿勢、立ち居振る舞い、全てに表れている」
「・・・せんせい」
「小次郎、君は本当に美しくて強くて、素敵な青年だよ。αとかΩである前に、人を惹きつけるだけの魅力のある、素晴らしい人間だ」
「・・・俺なんかに、そんなお世辞言ったって」
「お世辞じゃないよ。僕は本気で言っている。ちゃんと聞いて」


思いのほか強い口調だった。

「Ωになったからといって、一体、君のどこが損なっていると言うんだい?君はサッカー選手になる夢を諦めたりせず、Ω性になる前と変わらず挑戦し続けている」
「・・・・」
「その結果、強豪で知られる大学のチームに入り、実力でレギュラーの座を勝ち取った。3か月に一度やってくる不調の時期を堪えながら、リーグ戦でも活躍している。大勢のαたちをライバルとしているけれど、決して彼らに退けを取っていない」

先生の言葉はちゃんと聞こえている。俺の耳に届いている。
なのに      困る。先生の顏が見えなくなってきている。

「αじゃなくて、他のΩと比べたらどうかだって?それだって、君が彼らより劣っているとは僕には思えない。何かあるだろうか?18歳までαだったから、身長が彼らより高いこと?そりゃあ君はモデル並みにスタイルがいいんだから、その辺のΩじゃ到底太刀打ちできないよ。αでさえ君の隣に立つのは怖気づくだろうね。現に僕もごめんだ。君と比べられたら、僕が可哀想すぎる」

最後の一言はおどけたように話す。俺の目から涙がポタポタと零れ落ちていく。

「じゃあ、他にどういう点で彼らの方が優れている?身体能力?比べるまでもなく、君に軍配が上がる。何と言っても、君は将来有望なアスリートなんだからね。なら学力は?それだって、もっと上の大学を狙えたくらいだと聞いているよ。Ω特有の愛嬌?そんなもの、君のように生命力あふれる魅力的な若者には必要ないだろう。       ねえ、小次郎。本当に、他に何があるんだろうね」
「・・・・・」
「君がとても賢くて忍耐強い子だということを、僕は知っている。与えられた条件の中でより良く生きようと頑張ってきたことも、ちゃんと知っている。人を思いやれる優しい子だということは、僕は親でもないのに自慢に思っているくらいだ。      どうかな、小次郎。こんな子がいたら、それはもうαもΩも関係なく、惹かれずにはいられないと思わないかい?違う?」

もう耐えられなかった。限界だった。俺はその場で背中を丸めて両手で顔を覆った。抑えきれない嗚咽と涙の滴が、指の隙間から漏れ出していく。

さっきだってあんなに泣いたのに、どうしてまだ泣けてくるんだろう。ほんとにΩは涙もろくて嫌になる。

「君は何も損なわれてなんかいない。絶対に、だ。僕が保証する」
「・・・先生」
「胸を張りなさい。君は鍛えられた身体と、困難に立ち向かうことの出来る強い精神力を持っている。誰もがこうなりたいと羨むような青年だよ。君が他の人間より劣っている点があるというのなら、逆に教えて欲しい‎くらいだ。僕には一つだって思い浮かばないんだから」

ますます泣けてきてしまうのに、なのに先生の言い方が可笑しくて笑ってしまう。

傍にこんな大人がいてくれたことが、何よりも有り難いことだった。先生にも、最初にここに連れてきてくれた両親にも、感謝しなければならない。

「・・・先生は狡いよ。そんな風に言われたら、俺、何て返せばいいのか分からない。・・・もしかしたら本当にそうなのかな、って思えてきちゃうし」
「僕は大人だからね。そりゃあ狡いさ」
「俺だって、もう大人だよ。二十歳になったんだ」
「ああ、前にもそう言っていたね。子供扱いしちゃいけないね。・・・でも君はまだ大人としてはビギナーだからね。ここはやっぱり素直に、ベテランの意見を聞き入れておくべきじゃないかな?」


到底、先生に口で勝てる筈なんか無いのだ。

もう一人の父親のような存在の彼に甘えて、俺はまた暫くの間、彼の前で泣かせて貰った。









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