~ 溶けて消えて、このカラダごと。 ~ 31








「俺だって毎日、心配してた。同じ大学にいたって、ずっと俺が見張っていられる訳じゃない。目を離している隙に、他の誰かに日向さんを掻っ攫われたらどうしよう・・・って、毎日心配だった」

そう言うと反町はドサリと音を立てて、一人掛けのソファに乱暴に身を預けた。背もたれに寄りかかって天上を仰ぎ、「あ~~・・・・・。何でこうなるかなあ・・。こんなカッコ悪いこと、言いたくなかったのになあ・・・」と小さく漏らす。その声はいかにも情けなさそうに響いた。

「・・・俺さあ。日向さんからはどう見えてたか知らないけど、ほんっと、余裕なくて。できることなら日向さんを閉じ込めて囲ってしまいたいくらいだったけれど、だけどそんなの出来る訳ないし・・・いや、マジでそうしたいと思ったことは何度もあったけれどね。番にしたい子がいるαって、そんなもんだろうし」
「俺は」
「うん。日向さんはΩの子として生きてくつもり、無いからね。それは分かってるから、勿論しないけどさ・・・。でもそうすると、不安になることも多くて。日向さんが外に出てると、どうしても『誰と一緒にいるんだろう』とか、『危ない目に遭っていないだろうか』とか、気になっちゃって」
「・・・・・」
「この部屋に帰ってきて、日向さんと一緒にご飯を食べたりテレビを見たりして・・・そうなってようやく安心できたんだよ、俺」

反町は投げ出していた手足を戻して、ソファに深く座りなおした。俺の方を見てはにかむように微笑んで、だけどすぐに真顔になって続ける。

「今日は日向さんに何も無かった。一緒に帰ってこられた。この人は他の誰のものでもないし、今は俺の傍に居てくれている。仮でもいい。俺の番だ      そんな風に自分に確認させて、それでやっと落ち着けるんだ。日向さんは、俺がこの部屋に上がりこむ理由を、俺が日向さんの面倒を見るため・・・って思っていたみたいだけど、そうじゃないよ。俺の方が、日向さんを必要としてた。俺が怖かったんだ。日向さんがいないと、俺の方が駄目になってた」

俺に何を答えることが出来ただろう。
そんなことをαの男に告げられて、俺に一体何が。

この男は要領がいいくせに、どうして俺に関することはこうなんだろう。
本当なら好きなようにしたって良かったんだ。俺のことを、こいつなら好きにしたって許された。だってこいつはαなんだから。俺の望まないことを強要したところで、誰もこいつを責めたりなんかしない。俺はΩで、最下層の人間だから。種別によるカーストとは、そういうものだから。

なのに反町は、そうしなかった。手のかかる俺を甘やかして世話を焼いて、甲斐甲斐しく面倒を見てくれた。俺に何を押し付けることもせず、これまでどおりに過ごしたいという俺の願いを叶えようとしてくれた。

そのくせ、そんな状況を怖がっていたのだという。自分が見張っていないところで、俺が他の誰かとどうにかなるのではないかと、恐れていたのだという。

「・・・知らなかった」

思わず口をついて、そんな言葉が漏れていた。

俺は本当に知らなかった。そんなこと、思いもしなかった。
俺が俺自身を受け入れようとしないことで、周りの人たちに迷惑を掛けているという自覚はあった。だけどそのことでこの男に不安を与えていただなんて、全く気づきもしなかった。俺はいつも自分のことばかりで手一杯で、他の人のことを顧みる余裕なんて無かったから。

俺の呟きを聞きとめて、反町はさらりとした前髪を揺らして微笑んだ。

「知らなかった?・・・それとも、知ろうと思うほどの興味は俺に無かった?」

反町がソファから立ち上がって近づいてくる。俺の隣に腰をかけると、手を伸ばしてそっと俺の頬に触れた。合わせた視線は、柔らかかった。

「じゃあ知って。何度でも言うから。・・・俺を安心させてよ。俺の傍にいて、日向さん。番になってよ、俺の本当の番に。日向さんがこの先もαとして生きていきたいっていうなら、二人の間の秘密でもいい。子供だって作らなくてもいいんだ。俺は日向さんがいれば、それでいいんだから」
「・・・こどもって・・・だって、お前はそんな訳には」
「俺は本気だよ、日向さん」

だから、日向さんも本気で考えて       反町はそう言って、俺の唇に触れるだけのキスをした。







啄むようなキスを何度も与えられる。

顔を離した反町は、俺の頬を両手で挟んだ。透明な色の瞳が、まっすぐに俺の目を見つめている。綺麗だと思った。この男の中身が綺麗だから、こんなにも澄んだ色をしているのだろうと思った。


俺は一体どうしたいのだろう      自分でも分からない。

昔は単純で良かった。プロのサッカー選手になって、海外のクラブでプレイして、代表に選ばれて、ワールドカップで優勝して・・・そんな夢を持っていた。それらを叶えた暁には、やがては自分の家庭をもつのだろうとも、そんな将来を漠然と思い描いていた。

だが、今は       

この男との未来を、全く想像したこともない      そう言ってしまえば、嘘になる。
それはそれで、幸せな未来なのかもしれなかった。だがそれは、プロになるという俺の夢とはどうしたって重ならないものだ。到底、受け入れられる訳がなかった。

ならば、一体俺はどうしたいというのか。
これからもこのままで、何も変わらずに一人で生きていく      どのみちそうなるしかないだろう。誰と交わることもなく、たった一人で生きていく。その覚悟はしている筈だった。

ただ、最近思うことがある。
俺はきっと大丈夫だ。俺自身が一人でやっていくのは、これまでと変わらないのだから、大丈夫。ヒートの時は多少苦しむかもしれないが、薬だってどんどん改良されている。何とかなるだろう。
だがその場合、この男はどうするのか・・・?

俺のことなど、いつかは忘れるだろう。忘れて、そのうち他に可愛らしいΩの子を見つけるだろう。こいつのことを最優先に考えてくれるような、そんな子を。

そうなった時に、俺はどう感じるのだろうか。
それが現実になった時に、俺は本当に祝福できるのだろうか。友人として、ちゃんと喜んでやることができるのだろうか。

「・・・・・っ」

反町には幸せになって欲しいと思っているのに、本当にそう願っている筈なのに・・・・・何故こんなにも苦しいのかが分からない。
この男が他のΩの子に語り掛けたり笑いかけたりするのを想像すると、胸の中にもやもやしたものが広がる。今もそうだった。思わず反町から目を逸らすが、すかさず両の手で顔を引き戻された。

「・・・反町」

俺が名前を呼ぶと、反町はまたキスをしてくる。今度は顔中に、くまなく。頬や額、瞼、鼻の頭といったところに、次々と反町の唇が優しく触れていった。

「・・・んっ」

最後に唇に降りてきた戯れのようなキスは、すぐに深いものになった。反町は俺の歯列をこじ開け、熱い舌を潜りこませる。俺の中を思うさま探って、舐めて、食んだ。俺の方も夢中になって返した。

「・・・ふ、ン・・っ」
「・・っは、・・・日向さん、あま・・」

俺を甘いという男の方こそ、甘くていい香りがした。その匂いに包まれているだけで頭の芯が蕩けるような、煩わしいことなど忘れてしまいそうな、そんな危うさをもつ芳香だった。

上顎を舐められて、舌を絡めて、頭の中がこの男のことでいっぱいになっていく。キスだけで気持ちがよくなって、訳が分からなくなりそうだった。
こんなのは、ヒートの時以来だ。もっとして欲しい。もっと触れて、もっと撫でて欲しい。もっと      俺はαの男を自分の出来る限りで煽った。

「も、ほんと・・日向さんは、すぐにそうやって・・っ」
「・・・あ・・反町、待・・っ」
「お願いだから、もう、待てって言わないでよ・・・。日向さん、好き。大好き」

このまま何も考えずに流されてしまえば      今日は最後まで行き着くことになるのだろうか。
頭では駄目だと分かっていても、この男が欲しくない訳が無かった。ヒートじゃないにしろ、αに触れられたΩの身体は、嫌になるくらい正直だ。今すぐにでも、服を脱いでこの男の熱を直に感じたい。

「いつもみたいに気持ちよくしてあげる。だから触らせて・・・。今日は最後までしてもいい?日向さんがいいって言うなら、したい」
「・・・嫌だ」

だけど、やっぱり俺には無理だった。
「嫌だ」と俺が拒めば、反町は不満そうな顔一つせずに「分かった」と答えた。

再び反町が柔らかく口づけてくる。

俺は本当にずるいな      そう思った。

今となっては、このαの男を失うのも辛い。俺の元から去っていくのを見たくは無い。だけど、人生を共にしていくことは無い。
こいつにはこいつで期待されている生き方がある。それは俺の都合で歪めていいものじゃなかった。

いつまでこのままでいられるだろう        そんなことを考える。

いつか離れなくてはならないのは分かっている。それならば、せめて大学にいる間くらいは      その間くらいは、傍にいることを許されたかった。
在学中は、キャンパスでも部活でも顔を合わせなければならないのだ。ならば卒業するまでの間くらいは、このまま番の真似事みたいなことをしていても、許されないだろうか      俺はそんな甘えたことを考えていた。


「・・・ねえ、日向さん。一つ、聞いてもいい?。本当にヒートじゃないんだよね?・・・何なんだろう、この香り」


反町の、そんな言葉を聞くまでは。









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