~ 溶けて消えて、このカラダごと。 ~ 27
繋がるのなら、
お前じゃなきゃ、
そりまち、
お前じゃなくちゃ 。
それはストン、と俺の中に落ちてきた。
俺は呆然としたまま、俺を捕まえている男を見上げる。
(な、に・・・・。俺・・・何を、考えてた・・・?)
どうして、あいつじゃなきゃ、反町じゃなくちゃ駄目だなんて、そんなことを思ったのか 。
「日向?どうかした?」
呼びかけられて、俺は目の前にいるのが馴染んだαではなく、警戒の必要なαであることを思いだした。迂闊にもこの男の存在を一瞬忘れていた。
「日向?」
俺は間近にある紅葉の顔をまじまじと見つめた。自分がΩと知ってから、これほど他人の顔を近くで見たのは初めてかもしれない。あいつ以外では。
この男もまた、見目のよい人種だった。明るい髪の色も耳や首元に光るアクセサリーも、少し軽薄には見えるがこの男には似合っている。反町とはタイプが違うけれど、人付き合いも上手く要領がよさそうなところは二人に共通していた。
この男とあいつでは、何が違う ?俺は自問した。
反町は俺の秘密を知っている。だけど、この男だってもしかしたら知っているのかもしれなかった。
(あいつは、俺がΩだと分かっても最後までは無理強いしなかった・・・)
そんなαだって、たまにはいるだろう。
(俺が弱っている時、ヒートの時も、なにくれとなく面倒を見てくれた)
αというものは大概がそういうものだろう。番や、番にと望む相手に限ったことではあるけれど。
「日向、大丈夫?なんか顔色悪いんだけど」
さっきまで強引に迫ってきたくせに、俺の様子がおかしいとみたのか紅葉は気遣う素振りを見せた。男にしては細く綺麗な指先で俺の頬を撫でる。その触り方は決して嫌らしい感じではなくて、意外にも本当に俺のことを心配してくれているのだと分かるようなものだった。
「・・・や、俺、ちょっと頭が混乱して」
反町は俺のことを好きなのだと言った。
いくらだって条件のいいΩを選べるような奴なのに、こんな俺のことを本当の番に欲しいのだと言った。
『好きです』
『俺と一緒に生きていくことを、考えてくれませんか 』
ふいに耳に甦る、甘くて柔らかな声。真摯な響きの向こう側にあるのは、同じように真剣な眼差し。
あの時はどうしていいか分からなくて、心臓の音がうるさいくらいに鳴り響いていた。
急にあんなことを言われて、戸惑った。びっくりもした。それは確かだ。
だけど嬉しかったかと問われれば 嬉しいとは感じなかった。αからそんなことを言われても、求愛されても、浮かれた気持ちにはならなかった。
だって俺は許されるならαとして生きていきたいのだから。Ωになりたい訳じゃ無かった。
だから俺は、反町に何も答えなかった。いいとも悪いとも言ってやらなかった。今だって答えは保留にしたままだ。
(・・・最低だ、おれ・・)
受け入れることもせず、拒むことせず、時期が来れば解放すればいいと手元に置いて甘えておきながら、いざ他のαに好きにされかかったなら『どうせならお前がいい』だなんて、都合のいいことを考えている。
俺は『いつかは』と言いながら、実際にあいつを手放すことをしてこなかった その理由は簡単だ。偏にΩはαがいないと生きづらいからだ。
そしてもう一つ。
誰かに望まれているということ、必要とされていることを、たぶん俺は実感したかった。
その相手はきっと反町じゃなくても良かったんだろう。誰と共に生きていくことも出来ない俺の、欠けた部分を埋めてくれる誰かなら。
「…は。あは・・ははっ」
自分がどれだけ低俗な人間なのか そのことを思い知らされる。
こんな俺に、あのαを手にする資格があるものか。
お前がいい、お前を欲しいなどと、今更どの面さげて言えるものか。
知らなければよかった。こうなる前に、もっと早くに逃げればよかった。そのチャンスはいくらだってあった。あいつは俺が本気で逃げようとすれば、おそらく俺の意思を尊重してくれただろうから。
だけど俺は甘かった。こうなるなんて想像もせずに、その時々で楽な方を選んできた。まさか自分に、あいつじゃなきゃ駄目なんだ そんな風に思う相手が現れるだなんて思わなかった。
Ωになるつもりなんて無かったのに。
αに何をしてあげられるかも定かじゃないのに。
本当に、俺はどれだけ間抜けなんだろう。自己嫌悪も通り越していっそ笑えた。
「・・・ふ、はは・・・」
紅葉の腕に捕まりながら、俺は身を折って笑い続ける。
目尻に涙が滲んで、視界がぼやけた。
紅葉が「日向?お前、ほんと大丈夫?泣くほど何がおかしい?」と俺に聞いた。笑っているから涙が出ているのだと、勘違いしてくれたようだった。
「あー・・・。ごめん。・・・何でもないんだ」
「お前、ほんと大丈夫?顔色悪いかと思ったら、急に笑いだすし。情緒不安定?」
ひとしきり笑った後にようやく落ち着くと、紅葉がそう問うた。
情緒不安定。確かにそうだ。今だけでなく、Ωになってからずっと情緒が安定したことなんて無かった。
「ほんと、ごめん。単なる思いだし笑い。・・・で、何だっけ?話があるって言ってたよな?俺急ぎたいから、早く言ってくれよ」
涙を手の甲で拭いながら適当な言い訳をすると、不思議と自分でもものすごく面白いことで笑っていたような気がした。そのことが可笑しくて、今度は自然に笑みが浮かぶ。
もういい。
もう全部が、どうでもいいような気がした。
紅葉が俺の秘密をここで暴こうというのなら、それでも良かった。できる限りの抵抗はするけれど、好きにされたらされたで、それは身勝手で愚かな俺に対する罰のようなものなんじゃないかと思えた。
「んー・・・。じゃあさ、単刀直入に聞くけどさ。日向って、最近別れた?」
「・・・・なんで?」
なのに、紅葉は何を言いたのか分からないような、妙な質問を切り出してきた。てっきり俺への疑惑が投げつけられるのだろうと思っていたから、肩透かしを喰らったような気さえした。
「だって日向ってさ、ついこの間までΩの子の匂いを振りまいてたじゃん?お前から、いつも同じフェロモンの匂いがぷんぷんしてた。番のいないαには毒だってくらいに」
「・・・・・」
「例の番の子だろ?噂で聞いてた」
あれか、もしかしてあの時期のことか 俺は推測した。
部活に行く途中に面識のないαに捕まって、反町にも『その匂いは刺激が強い』と言われたあの時期のことだろう。だが最近は強い薬のお蔭でそんなことも無い筈だった。
「だけど最近のお前からは、あの子の匂いがあんまりしなくなったじゃん?だから、もしかしてその子と上手くいってないんじゃないかな・・・って思ってた」
「・・・自分じゃ、分かんねえよ・・」
Ωのフェロモンを抑制することが、まさか『番のΩの子と別れた』と捉えられるとは。これは全くの予想外だった。俺は素で驚いていた。
「いや、ほんとに全然しなくなったって」
「・・・おい!ちょ・・・っ、止めろよ、離れろって!」
紅葉は再び俺を抱え込むようにして、首筋に鼻先を近づけた。
「今なんて、こんなに近くに寄っても」
すん、と耳元で息を吸う音がする。恥かしさで顔が熱くなる。
「・・・ほら、あの子の匂いなんて全くしない。こんなに近くにいても、全然匂わない。以前はこれくらいの距離になると結構強く香ってきたけど。すごくイイ香りがさ」
それは飲んでいる抑制剤が変わったからだ。強いものにしたからだ そんなことは勿論言える筈がない。
ただ一つ分かったことは、今の俺が採っているフェロモン対策がどうやら間違ってはいないらしいということだった。そのことには、多少なりともホっとした。
「でさ、ここからが本題ね。とりあえず、日向はあのΩの子とは別れたってことでいいんだよな?・・・うん。まあ、何で別れたとかは別に聞かないけど」
ここまでの話を聞く限り、どうやら紅葉は俺のことをΩと疑っている訳ではないらしい。俺はついさっきまで生きた心地がしなかった分、気が抜けてしまった。
それと同時に、じゃあさっきまでのやり取りは何だったんだろうという疑問もわく。
俺をこの部屋に閉じ込め、逃げようとすれば脅し紛いの態度で引きとめたくせに。
(・・・大体、俺がΩと別れようが別れまいが、こいつに何の関係がある?)
もともと変わった奴だと思ってはいたけれど。
その印象が更に強くなる。
「日向はさ。その子の代わりに今、新しい相手を探してる?もうアテはある?決まりそう?」
「・・・そんなの、お前に関係ねえだろ?それ以前に俺は別れたとも別に言ってねえし。・・・なあ、そんな話なら、俺、もう帰ってもいいか?っていうか、帰る」
何だか今日はもう色々と有りすぎて、既にキャパオーバーだ。危機は去ったにしても、早くここから出たかった。それに一人になって考えなくてはいけないこともある。
「まあまあ、待って。まだ話は終わってないよ」
「だったら早く言えよ!」
疲れてもいたし、苛々して気が立っていた。思わず大声を出すが、考えてみればこの男には何の義理もないのだ。俺が話したくないのだから、切り上げて帰ったところで問題はない。
この男のことは放っておいて外にでようと、紅葉の脇を通り過ぎようとした。だが紅葉はまたしても俺の腕を掴んで邪魔をする。
「・・てめえ、いい加減に・・・っ」
今度こそ紅葉を突き飛ばしてでもここを去ろうとしていた俺は、次にこの男が口にした言葉を耳にした途端、思考も身体も停止した。
「日向ってさあ・・・。α同士で付き合うのって、どう思う?エッチはΩ相手じゃないとできない?」
その意味を俺が理解するには、暫しの時間が必要だった。
back top next