~ 溶けて消えて、このカラダごと。 ~ 25







「おー、日向じゃん!久しぶりい!」

大学の構内を歩いている時に、後ろから突然に肩を掴まれて止められた。誰かと思えば紅葉だった。

「・・・久しぶり、だったっけ?」
「なんだよ、その冷たい反応」

そのまま首に回されようとする腕を払いのけて、俺はそれほど親しくもない筈のαの男を振り返る。
こいつとは反町を経由して名前と顔をお互いに知っている程度の関係であって、それ以上でも何でもない。だから『冷たい』と言われる覚えも無かった。そのことを端的に指摘すると、紅葉は分かり易くガックリと肩を落とした。

「・・・うん。いや、日向って見た目どおりにクールだよな。まあそこがいいんだけど」

訳の分からないことをブツブツと呟いているが、結局何の用があって話しかけてきたのかハッキリしない。「もういいなら、俺は行くけど」と踵を返せば、「ちょっと待ってよ」と甘えたような声を出して再び俺の肩に手をかけてくる。

どうやらこの男は他人との距離の測り方がおかしいようだった。αが近くに寄り過ぎていることに内心で警戒する。できるだけさり気ない風を装って、俺は肩にかかった手を外させた。その上で一歩下がって距離を取るが、紅葉の馴れ馴れしい態度に変化は無かった。
相手から疎ましく思われていることを認識しつつも顔色一つ変えないのであれば、さすがはαといったところか。

これ以上こいつに付き合うのは面倒だし、何より危険でもある。俺は「じゃあ、用事があるから」と、一方的に別れを告げてその場を去ろうとした。
だが紅葉は何故か俺から離れようとせず、にこにこと愛想のよい笑みを浮かべて後ろを付いてくる。

こいつの行動の意味がさっぱり分からなかった。
これまでだって通り一遍の会話くらいしか交わしたことがなく、どこかで見掛けたとしても簡単な挨拶で済ますような相手だ。そもそも常に大勢の友人に囲まれているような奴が、どうして自分とは真逆にいつも一人でいるような俺にわざわざ声をかけてくるのか。

「・・・何か用か?」
「なあ。なんで日向って俺が誘っても遊びに来ないの?」
「俺が先に聞いてるんだから、まずはそれに答えるんじゃねえの?」
「だから、用はこの質問なんだって。何で誘っても来てくれないのって聞いてるの。そりゃあ日向が忙しいのは分かっているけどさあ。一樹なんか適当に上手くやってるでしょ」

俺は歩みを止めずに、斜め後ろをついてくる男にちらりと視線を投げた。

「忙しいのが分かってるなら、それでいいだろ」

反町の名前を出してきたこの男に、俺は若干イラついていた。声にもそれが表れていたかもしれない。
お前が反町のことをどう捉えていようと勝手だけれど、本当にちゃんとあいつのことを知ってんのかよ      そう言いたくなる。

(大体、なんかって、何だ。なんかって)

確かに調子が良くて遊ぶのも好きな奴だけれど、決していい加減でもなければ、根っから不真面目な訳でもない。
負けず嫌いで中途半端も嫌いで、必要があれば努力することを惜しまない奴だ。頑張っていると周りに思われるのが嫌だから、その姿を表に出そうとはしないけれど。
あいつのことなら、こいつなんかよりも俺の方がずっとよく知っている。

それに最近は、言うほど外で遊んでいる筈がなかった。だって時間さえあれば俺の部屋に入り浸っているのだから。


俺はもはや紅葉に話し掛ける気も失せ、無視して歩き続けた。だがαの男は、それでもまだしつこくついてくる。

「なあ、サッカー部だって全く休みが無い訳じゃないだろ?日向のスケジュールに合わせるからさ。ね?今度俺とも遊ぼうよ」
「・・・お前さあ。何なんだよ、一体」

意外にも粘着質に絡んでくる男に辟易して、俺は一旦立ち止まった。身体ごと振り返って、今度は正面からはっきりと「すげえ迷惑なんだけど」と突きつける。

こうして傍に立つと、紅葉の方が俺よりも背が高いことが分かる。ほんの少しではあるけれど。
不摂生な生活を送っているイメージがあるのに、その体つきには弛んだところは見当たらなかった。ジムででも鍛えているのだろう。顔立ちも甘くはあるけれども整っていて、品がある。少なくとも外見に関しては、俺からしても上等な男だった。

αで見目よく出自もしっかりしているのであれば、Ωにとっては理想的な相手だ。なるほど、と俺は納得した。
要はこいつは、他人からつれなくされることに慣れていないのだ。

優秀で周りから期待されて育ってきたαなど、ましてや若い男など、自尊心の塊のようなものだ。昔は俺もそうだったから、よく分かる。
どのコミュニティに身を置いても、誰を相手にしても、構われずに放っておかれることなど有り得なかった。俺は自ら愛想を振りまくタイプではないけれど、それでも他人はαの俺を目敏く見つけて寄ってきた。Ωであれβであれ。αでさえも。何かのパーティーにでも顔を出そうものなら、次から次へと俺は人に紹介された。

だからこうして自分が遊びに誘っても色よい返事をしない俺のことが、珍しいのだと思う。もしくは単に気に食わないか。
いずれにせよ、少しのあいだ相手をすれば、すぐに飽きてくれるのかもしれなかった。

とは言え実際にそうするのは、やはりリスクを伴う。

「しつこい男は嫌われるぞって、俺は前にも言ったよな?・・・悪いけど、本当に忙しいんだ。俺は反町みたいに適当に上手くやれるほど器用じゃないから。じゃあな。もう、ついてくんなよ」

紅葉の胸に人差し指を突き立ててそう言い放つと、今度こそと俺はαの男に背を向けた。だが、後ろから伸びてきた手に阻まれる。

「・・・何だよっ!しつこい・・ッ」
「ちょっと待って、日向」
「離せ!」
「気分を害したようなら謝るよ。俺の誘い方、強引だった?」
「今だってそうだろっ、いいから離せよ!」

俺の腕を掴む紅葉の握力は、思っていたよりもずっと強かった。身体ごと腕を引いて自由になろうとするけれど、そう簡単には外れない。優し気な顔立ちをした男を俺は睨み上げた。

「ごめんって。な?機嫌直して。日向が逃げないって約束するなら、離すから」
「何で俺がそんなこと、お前に強要されなきゃいけないんだよ!」
「しー・・・。少し声、落として。結構注目されてるよ」

その言葉に俺は我に返り、辺りを見回した。確かに行き交う学生たちがこちらをチラチラと振り返っていく。

「α同士で何やってるんだろう、って思われてるね。俺は別にいいけど、日向はこういう風に目立つの、嫌いでしょ?」
「・・・嫌に決まってんだろ。だから早く離せ」
「注目されたくないなら、静かにしててよ」

にっこりと笑みを浮かべて人の弱みを突いてくる男は、なかなかにいい性格をしているらしかった。

「誰にも邪魔されずに話をできるところに行こうか」
「は・・!?何、勝手に決めてんだよ!・・・マジで離せって!」

当然俺は抵抗するが、紅葉はそれをものともせず、掴んだ腕もそのままに引き摺っていこうとする。
何で俺が、こんな場所で、親しくもない人間から無理強いされなければならないのか      怒りがこみ上げてくる。

周りの目がなければ、もっと本気で抗えるのに。
ここは揉めるには目立ち過ぎる。それを避けた結果、俺はαの男の思惑通りにズルズルと引っ張って連れていかれることになった。

(・・・くそッ!)

あの時      あの見知らぬαに掴まった時とは違って、Ωであるとばれるようなヘマはしていない筈だ。今は発情期ではないし、それでも念のために抑制剤を飲んでいる。αと二人きりになったとしても、すぐにどうこうなる訳ではないだろう。そう思えることだけが救いだった。

だが首の後ろがチリチリと焼けるような激しい憤りを感じながらも、その中に脅えも混じっていることに俺は気が付いていた。

仕方のないことだとは分かっている。強いαを畏れるのは、Ωとしての本能だ。どうしようもなく抗いがたい。
だけど、情けなくもあった。俺は誰よりも強いαだった筈なのに、今はこうしてαに怯えて、警戒して、目立たないようにして生きていかなければならない。


どこに連れていかれるのか。
もしも万が一この男にΩだと知られたなら、一体俺はどうなるのか     

考えたくもないような最悪の事態が脳裏を過り、俺の背中にじっとりとした汗をかかせた。









紅葉は一番近くの棟に入ると、幾つか教室の扉を開けて回った。中に人がいれば、「お、先客がいた。ごめーん」と軽く謝って、次の教室を探す。やがて無人の部屋を見つけると「ここでいいか」と俺を押しこんだ。

「・・・なん、だよ」

俺は背中を押されて仕方なく中に入ると、素早く紅葉から距離を取った。本当はいつでも出ていけるように出口の近くにいたかったけれど、それを分かっているのかどうか、紅葉は扉近くの机に腰をかけた。

「外じゃ日向とゆっくり話せないからさ」
「だからって普通、拉致るかよ!大体俺、忙しいって言ったろ!?」
「別に今日じゃなくたって、いつも忙しいからなあ。日向は」

にやついた顔に腹が立つ。一発くらい殴ってやらなきゃ、気が済みそうになかった。

「ほら、そんな恐い顔しなーい。せっかくの美人が台無しだって」
「ふざけんな。そこどけよ」
「ちょっと待って。話があるんだってば」
「うるせえ・・・!」

どこうとしない紅葉に苛立ちを募らせ、俺は力づくでも外に出ようとした。邪魔な男を片方の手で押しのけて、もう片方の手を扉にかける。
その途端に肩を掴まれて身体を返され、背中から扉に叩きつけられた。開きかけた扉が大きな音を立てて閉まる。

何が起きたのか一瞬分からなかった。ぶつかった箇所から衝撃が走ったが、驚きのあまり痛みは感じなかった。

「・・・・・」
「人の話はちゃんと聞こうよ。ね?終わったら帰ってもいいからさ」


紅葉からはいつものふざけたような笑みは消えていた。目の前にいるのは、甘さと華のある顔立ちをして、それでいて一切の表情を消したαの男。

どうして俺はのこのこと、こんなところまで着いてきたんだろう。後悔してももう遅い。


いつの間にか身体が細かく震えていることに気がついた。
それを覚られないように、俺は自分の身体に腕を回して、震えを抑え込むように力を込めた。









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