~ 溶けて消えて、このカラダごと。 ~ 24







二人きりの時には凪のようなある意味平穏な時間を過ごす一方で、一旦他人が関わってくるとなるとαの男     反町は、俺に対する執着や独占欲のようなものを見せるようになった。


この間の部活でもそうだった。
いつものように夜になってサッカー部の練習を終えた後、ロッカールームに引き上げた俺たちは着替えていた。そこで俺に近づいてきたのが、1年生の高尾だ。

「日向さん、さっきはすいませんでした。・・・大丈夫でした?」

頭を下げて謝ってくる高尾とは、練習中に接触したのだった。

「あ?・・・ああ、さっきの?全然問題ねえよ。大丈夫だ」

練習で怪我をするほど馬鹿々々しいことは無いから普段から気を付けてはいるが、それでも本気でやっていれば多少ぶつかりあうのは仕方が無い。ゴール前での攻防だった。高尾の他にももう一人が俺についていた。空中高くに上がったボールの処理で、たまたま運悪く衝突しただけのことだ。確かに痛くはあったけれど、別に恨んでもいない。
試合になれば更に容赦なく削られるのだし、前に佐倉とぶつかった時ほどの衝撃もなかった。むしろ接触を怖がってやるべきことをしなければ、即レギュラー選考から外されてしまう。東邦大のサッカー部はそういう場所だった。

サッカーが出来なくなるような怪我さえしなきゃいい。細かい傷や痣が出来るのは日常茶飯事だし、足の爪など踏まれ過ぎて既に黒く変色している。サッカー選手で全く傷も痣もない奴なんていないだろう。
だから俺は高尾が謝ってきても「大丈夫。何でもない」と返事をした。

「いや、でも俺の肘、思いっきり入っちゃいましたよね。脇腹、痣になってませんか?」
「そりゃ、それなりに痛かったけどな。顔面じゃなくて良かったよ。顔にきたら鼻が曲がってたかもな」
「ええ~・・・。そんなに強く・・・?」

肘の入り方が悪ければ、鼻くらいおかしくなるだろう。そう思って答えると、さっきから俺に対して恐縮しきりの後輩は大きな体を更に縮こませた。
癪なことに、こいつも俺より幾らか背が高い。それは正直ムカつくけれど、でもこいつが悪い訳じゃない。高尾自身はあまり細かいことに気の付くタイプではなくて、たまに『空気を読めよ!』と周りに怒られたりもしているけれど、悪い奴ではなかった。
さっきのことだってワザとじゃないことは分かっている。だから俺はそれで済まそうとしたのだけれど。

「ほんとに大丈夫ですか。ちょっと、見せてくださいよ」
「あ?・・・バッ、ちょっと、止めろって・・!」

終わりにすりゃいいのに、高尾は俺のユニフォームに手を伸ばし、突然にその裾を捲ろうとした。単に痣になっているかどうかを確かめようとしただけだろうが、急なことだったから俺も驚いて大きな声を上げてしまう。

高尾にとっても俺にとっても、本来なら別にどうということもない行為だ。毎日のようにこの部屋で着替えているのだ。αとβの男しかいないのだから、誰もが平気で裸を見せているし、普通に上半身を脱いでウロウロと歩いていたりする。俺だってそうだ。Ωになったからといって、隠れてコソコソと着替えたりしたことは無かった。何度か反町に注意されたことはあったが、だが外での俺はαのままなのだから、それまで通りに振る舞まって何が悪いのかと思っていた。

だけどこれは状況が違う。揉めているせいで周りから注視されているし、そんな中で他人に裸を晒すのは嫌だった。慌ててユニフォームの裾を抑える俺は、傍から見れば自意識過剰で滑稽な奴だろう。
それでも嫌だった。誰に何と言われようと、嫌なものは嫌だった。

「あ、やっぱり痣になってる」

少し捲っただけで高尾には接触した箇所が見えたらしい。俺の角度では丁度その捲ったユニフォーム自体が邪魔で見えなかったが、その場所を指で軽く押されただけで強い痛みが走った。

「・・・イッ!」
「あ、すみません!・・・・うわー。やっぱ結構強くぶつかっちゃいましたね、これ・・・」
「もういいから・・っ!離せって!」
「いや、湿布しときましょうよ。応急セットの中にある筈だから・・・ちょっと待っててください」
「だから引っ張るなっつーの!」

ユニフォームの裾を引っ張ったまま振り返って取りに行こうとするものだから、余計に俺の身体が露出する。

「おー!日向、すげえ青くなってんな」
「いったそー。早く手当しとけよ」

周りにいた先輩やら同期が近づいてきて、俺の脇腹の痣を確かめていく。中には高尾のように触ろうとする奴までいたから、同期であれば容赦なくその手を叩き落とした。

苛々する。気分がささくれ立っていくのが自分でも分かる。畜生、ふざけるな       そう叫んで近くにあるものを投げつけたいくらいには、腹が立っていた。自分が望んでもいない状況に陥っているということ、そしてそれを強要されているという事実が、堪らなく不愉快だ。
怒りの感情がどんどん昂って、俺の中で凝縮されて密度を増していく。沸点は近かった。このまま何もなかったことにして飲みこむなど、到底できないだろうと思われた。
それでも、まだ俺はギリギリのところで感情をコントロールしようともしていた。だって、こんな時でもαならみっともなく取り乱したりしない筈だから。肌を見られたくらいで狼狽えたりはしない筈だから。

なのに高尾は湿布片手に「ああ。先輩の肌、すげえキレイなのにココだけ色変わっちゃって・・・すみません」などと気色の悪いことを言って触ろうとしてくるから、俺の忍耐は脆くも崩れ去る。ふざけたことを吐かす後輩を怒鳴りつけるために大きく息を吸ったところで       ガン!と金属の上げる甲高い悲鳴のような音が、部屋中に響き渡った。

途端に水を打ったような静けさがロッカールームに落ちる。
そんな中、皆が視線を向ける方向に俺も目をやれば、凹んだロッカーの扉の前で反町が「あーあ・・・」とわざとらしくため息をついていた。どうやら今の暴力的で凶悪な音は、こいつがロッカーを蹴り飛ばして破壊したことによるものらしかった。

「扉が閉まらないと思ってちょっと蹴ったら、これだもんなあ。悪いけど高尾、これ直しておいて」
「はあ!?俺?俺っすか!?」

なんで、俺ー!?と、高尾が素っ頓狂な声を上げている。

「お前、先輩相手にセクハラ働くくらいなんだから、暇だろ?」
「別に暇なんかじゃ」
「グダグダ言うんじゃねえよ。やれって言ったら黙ってやれよ」

反町の声が低くなって、高尾相手に凄む。これはまずいんじゃないかと俺も思ったし、先輩含めて昔から東邦にいたメンバーには、こいつが無茶苦茶に怒っていることが分かったようだった。それらの人間たちは薄情にも、俺と高尾を囲んでいた輪からさり気なく離れていく。

高尾は大学からの外部入学だから、反町のことは楽しくて賑やかな先輩くらいにしか認識していないのかもしれない。同期の1年生が慌てて寄ってきて、大人しく言うことを聞くように諭す。高尾もさすがに周りの雰囲気や状況を認識したのか、それ以上は抗わなかった。

部室の中が不穏な空気になってしまったのは、多分に俺のせいでもあっただろう。確かに腹は立ったけれど、高尾はどうせ何も考えていなかっただけだろうし、俺がうまく対応できていればこんな騒ぎにはならなかった。
どう収拾をつければ良かったのかと反省とともに振り返っていたら、反町が近づいてきて未だユニフォームのままの俺に着替えやらバッグやら一式を持たせる。
それから俺の腕を引っ張って「気分悪ィんで、このまま帰ります」とだけ言い置いて、去ろうとする。αならではの怪力で引き摺られる俺は、部屋の扉が閉まる前に「・・・失礼します!」と先輩たちに告げるのがやっとだった。






日も沈んで暗くなった学内の道を、反町が先に立って門に向かって歩いていく。俺の腕は未だ掴まれたままだ。歩きづらいから離して欲しくて試しに引いてみれば、αの男は立ち止まり、それからゆっくりと俺の方を振り向いた。
ようやく自由になれるかと思いきや、反町は腕を離してくれるどころか、もう片方の腕も引いて俺のことを抱き寄せた。

まだ大学の構内だというのに。誰に見られるとも限らないのに。

「・・・日向さん。どこを、どんな風に触られた?あいつに」
「・・・反町」
「あいつだけじゃないよね。あとは誰に触られた?」
「反町」
「だからもっと周りに注意して、って言ってきたのに・・・!本当は誰にも見せたくないくらいなのに、触らせるだなんて・・・!」

痛いほどに力をこめて抱き締められる。こんな道端で何するんだ・・・って、俺は怒ってもいい筈なのに、不思議と怒りは湧いてこなかった。

反町の背中にそっと手を回す。きっと今、こいつはこいつで荒れ狂う胸の内と折り合いをつけようとしている。細かく震える吐息が、それを物語っていた。

あんなに強引に俺を連れ出したくせに、ほんの数分後にはこうして縋りつくように俺の肩口に顔を埋めてくるαの男。こいつはもしかしたら俺が思っていたよりもずっと、感情を誤魔化すことのできない純粋な人間なのかもしれない。幾らでもその場に合わせて立ち振る舞う器用さを持ち合わせているのに。

それともこんなものなのだろうか。番にと望むΩのいるαというものは。


俺には分からなかった。ただ震えながら俺を抱え込む男のことを、落ち着かせてやりたかった。
どんな時でも強くて冷静であるべきαが、身のほども弁えずに好き勝手するΩのせいで傷ついている。       それが今の俺たちだった。

抱きつかせたまま、反町の背をゆっくりとさすってやる。何人かの学生が俺たちの傍を通り過ぎてギョッとしたように振り返っていくが、それももうどうでもいいような気がした。俺はただ、古くからの友人が傷ついているというなら慰めてやりたいだけだ。それが俺のせいだというなら尚更。


しばらく黙ってそうしていると気分も少しは和らいだのか、反町が静かに体を離して顏を上げる。
微かに揺れる綺麗な瞳に、俺は笑いかけた。大丈夫だというように。何も心配はいらないというように。

「帰ろう、反町。俺、腹減った。・・・簡単なものなら作ってやるからさ。俺の部屋で一緒に食おうぜ」


煉瓦敷きの道を照らす街灯の下、俺たちは肩を並べてマンションに向かって歩きだす。

途中で反町が俺の手をとって繋いできたけれど、俺は何も言わずに好きなようにさせていた。











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