~ 溶けて消えて、このカラダごと。 ~ 23







「・・・・そんな顔、しないで」

そんな顔って何だ、と思った。それを言いたいのは俺の方だ。お前にはそんな顔は似合わないのだから、止めろと言いたかった。
お前はいつだって、大勢の人間に囲まれて調子よく笑っているような奴だったじゃないか。

「ゆっくりでいいんだ。急ぐつもりはないよ。今すぐに俺のことを受け入れて、とは言わないから・・・。そりゃあそうしてくれたら嬉しいけど、日向さんだって考える時間が必要だろうし。だから、ね?」

相も変わらず押し黙ったままの俺に、反町は「少しずつでいいから、俺のことをただの友人じゃなくて、仮の番でもなくて、パートナーとして考えるようにしてみて」という。
俺は答えない。我ながらずるいと思うけれど、俺が一番に望むのは以前の関係に戻りたい、ということだ。αとΩの関係じゃなくて、普通に仲の良かった友人だった頃に。
だけど多分、それは有り得ない。今更お互いに触れ合うこともなかった昔には戻れない。

そうであるなら俺は、いつか終わりのある関係のままでいい。

「・・・別に俺は、今すぐどう変わりたい、なんて思っていない」

いずれはこの関係にも、進む道にも選択を迫られるとしても。

「どうして、今のままじゃいけないんだよ・・・」
「言ってるじゃん。好きだって。・・・急がせるつもりはない、っていうのは本当なんだけどさ。俺がいない間に誰かが日向さんに近づいたら・・・って思うだけで、おかしくなりそうなのもホント。・・・まあ日向さんが外に出ている限り、その心配は無くならないんだろうけれどね。だけど俺を選んでくれるのなら、出来ることもある」

反町は俺の前から腰を上げると、ソファの隣に腰かけた。

「日向さんだって、怖いでしょう?一歩外に出たら、この匂いに誘われて近づいてくるαがいくらでもいる。・・・知ってるだろうけれど、Ωの人権なんてお構いなしの人種だって中にはいるからね。もしそんなのに捕まったら・・・」

反町の声が低くなった。背筋に冷たいものが走って、思わず身震いする。αに捕えられ、無理矢理身体を開かれて傷ついたΩの話なんて、世の中には掃いて捨てるほどにあった。

「ごめんね。脅したい訳じゃないんだ。だけど番のいないΩが危険なのは間違いないでしょう?それに俺が傍にいれば、今日みたいに一人で苦しむこともないよ。・・・日向さんはこれまでもう、十分に頑張ってきたじゃない?守ってくれるαもいなくて、いつΩとバレるかって脅え続けて、それでも一人で頑張ってきたんだから・・・もう、いいんじゃないかな。誰かに守って貰って、甘えることを覚えても」
「・・・・」
「俺を受け入れてよ。もっと俺に甘えてくれないかな。今のところ日向さんが甘えてくれるのってヒートの時くらいしか無いけれど、俺、ものすごく幸せなんだよ?その時って」

視界が揺らいで、反町の顔がぼやけて見えた。泣きたくなんかないのに、勝手に涙が出てきて困る。
何でだよ。これ以上こいつに情けないところなんか、見せたくないんだよ。

泣いているのを知られるのが嫌で目を見開いて顔を背けたけれど、俺の悪あがきを余所に涙の滴がポタポタと腿の上に落ちた。

それに気付いたのか、反町は少し驚いたようだった。だがすぐにその気配は、笑みを含んだ嬉しそうなものに変わる。

「泣かないで、日向さん」

泣いてなんかいない、と文句を言いたかったけれど、言葉にならなかった。口を開いたら無様な声しか出そうになくて、ただ黙って濡れた目元を手でぬぐった。
自分でもどうして涙がでるのか分からない。哀しい訳でもないし、嬉しい訳でもないのに。

「・・ふ、・・・っ」
「ううん、ごめん。違う。そうじゃないね。好きなだけ泣いて。きっとスッキリするよ」

反町が肩を抱いてくれた。それはαとΩというより、ただの友人同士の抱擁のようで酷く安心できた。
引かれるままにその体に凭れかかって、俺は静かに泣き続けた。












****





幾つかの台風がやってきては至るところに爪痕を残して去っていく。その度に肌に触れる空気は少しずつひんやりとしたものになり、気が付けば季節はすっかり秋に変わっていた。

関東大学リーグも後期の中盤に入り、俺たちは毎週のようにある試合のために練習と遠征の日々を送っていた。それに加えて学祭の準備にも追われ、慌ただしく時間が過ぎていく。
11月初旬には東邦大の学祭があり、サッカー部は毎年その学祭に出し物として幾つかのゲームを用意しているのだ。
とはいえ、今年も内容は去年と同じで、ボウリングのピンをサッカーボールで倒すサッカーボウリングと、9枚のパネルを順にサッカーボールで当てていくキックターゲットの予定だ。それと子供を対象にしたミニサッカー教室。これらは備品も既にあるものを使うから費用も掛からず、それでいて盛り上がるから好都合だった。


忙しくはしていたが、日常生活そのものは比較的穏やかに過ぎていた。東邦大学サッカー部はリーグ戦でも成績が良かったし、俺自身も調子は上々で、毎試合をスタメンで使って貰ってコンスタントに点が取れていた。ヒートとヒートの谷間でコンディションが良かったのもあるだろう。


反町と俺の関係も、表向きはそれまでと何ら変わりなかった。俺があの日の返事を先延ばしにしていたからだ。

「急がせるつもりはない」と言ったαの男は、その言葉どおりにあの日以降、俺に決断を迫ってくることも無かった。以前と同じように学校が終われば俺の家に来て、一緒に飯を食ったりテレビを見たりして過ごす。そして時間になれば自分の部屋に帰って寝る。
ヒートの時のように泊まっていくことも無かった。Ωの子と遊び回ってばかりいると思っていた友人は、意外に紳士的な奴なのかもしれなかった。

それでも、あいつがこっちの出方を待っていることは分かっていた。それを知りながらも、俺はその話題に触れることを避けている。
本当はとうに答えなんて出ているのに。それ以外の選択肢など有り得ないのに。
なのに俺は、ずるずると引き延ばして今の関係を続けようとしている。


だけど仕方が無いじゃないか。俺はこれまで他人を好きになったこともないような奴で、こういう時にどういう風に話を切り出せばいいのかも分からない。どう答えれば全て丸く収まるのかも。
だからといって誰に相談も出来ない。

・・・いや、本当はそれすらも言い訳だ。俺は単に自分にとって都合のいい場所を失くしたくなかっただけだ。
あいつがいなくなれば辛くなることが分かっているから、自分の未来をあいつに渡すことなく、あいつがくれるものだけを受け取ろうとしている。俺は本当に狡い。


だけどαだって、やっぱり自分勝手で傲慢で、酷い奴らだ。
Ωにとってαがどういう存在なのかということを、俺は知りたくもなかったのに覚え込まされた。

αという人種は、一度手にしたものを失う辛さや虚しさなどとは、きっと無縁で生きていくのだろうな・・・なんて思う。



やっぱり世の中は不平等で、残酷に出来ている。











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