~ 溶けて消えて、このカラダごと。 ~ 22







反町とちゃんと話が出来たのは、日付けが変わった夜中になってからだった。反町にも「おかしいね」と言われたが、そろそろヒートが終わる筈だと指折り数えていたのは間違いだったのかというくらいに、俺の身体は自制が効かなかった。幾らでもαから与えられるものを欲しがった。
ようやく落ち着いた頃には、俺は心身ともにクタクタになっていた。

シャワーを浴びて汚れを流した後は、本音を言えばそのまま眠ってしまいたかった。だけどこれ以上は話を先延ばしにしたくない。俺は同じようにバスルームを出てから、ソファに座って髪を拭いていた反町に話しかけた。

「・・・なあ、お前さっき。電話で言ってた話・・・」
「うん?・・・あ、そうだね。ちゃんと話さないとね。・・・こっちに来て。日向さん」

呼ばれて俺が近づくと、「ここに座って」と反町が自分の隣をポンポン叩く。
俺がそこに大人しく腰かけると、反町はなぜかわざわざソファから降りてラグの上に膝をついた。そしておもむろに俺の両手を握ってくる。

何の冗談かというような友人同士では有り得ないシチュエーションに、自然と俺の腰が引ける。何とも言えない座りの悪さに、目の前の整った面を直視できずに目が泳いだ。
視界の端で反町が笑ったような気がしたが、どうしても明後日の方を向いてしまう。

そんな俺に、反町はいつもと変わらずに柔らかい口調で話しかけてきた。

「日向さん」
「・・・・」
「ひゅうが、さん」
「・・・なん、だよ・・」
「ねえ。こっち向いてよ」

苦笑とともにそう乞われて、俺はそろそろと視線を動かした。
目の前でひざまずいて俺を見上げるのは、ラフな部屋着に濡れた髪もそのままのαの男。

「俺はね、日向さんが好きです。αとかΩとか関係なく、日向さんそのものが好き。本物の番とか、運命の番とか・・・そんなのはもういいんだ。俺と日向さんがそうじゃないとしても、俺がこの先ずっと一緒にいたいのは、日向さんだけなんだ」
「・・・・・・」

もう、この男が何を言っているのか分からないなんて誤魔化すこともできないし、そうしてはいけないのだということも分かった。
反町がこうして正面切って告げてくるのだから、その内容がどんなことであっても俺もちゃんと真正面から受け止めなければならない。

だけどこれ以上ないくらいに、顔が火照って熱かった。体温が急激に上がって、喉が渇く。
柄にもなく緊張していた。できることなら目を逸らして耳を塞いでしまいたかった。

「日向さんの朝一番の寝起きの顔を見るのは俺でありたいし、日向さんを家から送り出すのも、送り出されるのも、俺がいい。一緒に買い物に行ったり、料理をするのだって俺がいい。・・・勿論、ヒートの時は俺が全部やるから、任せて?年を取って、いつかヒートが来なくなる時まで・・・ううん、そのあとも。日向さんの面倒は、全部俺が見たいんだ。これからの一生、俺だけが貴方に触れていい人間でありたいんだ」

今や火照って熱い、どころの騒ぎじゃなかった。脳みそが沸騰しているんじゃないかっていうくらいに身体中を熱が駆け巡って、一気に汗が噴き出す。言われたことの全てなんて到底受け止めきれない。
鼓動がバクバクと煩いくらいに耳の傍で鳴っていた。顔だって馬鹿みたいに赤くなっているんだろうと思うと、一層恥かしさが募った。


分かってる。これは茶化していいようなことじゃない。
反町は俺たちの関係をこのままあやふやなものにするのではなく、共に生きていくことを考えて欲しいと言ってきている。仮の番などではなく、正式なパートナーとして、俺がこの男のただ一人のΩになることを望んでいる。

求愛以外の何物でもなかった。

「・・・反町」


ふざけているのか、揶揄っているのか      
こいつがこの部屋に来る前、電話をしていた時に頭の隅をよぎった考えはとっくに霧散している。こうして顔を合わせてしまえば、反町が本気なのかどうかくらいは簡単に判別がついた。

だからこそ俺は途方に暮れる。
どうすればいいのか、どうするべきなのか       何をどう選択すれば、一番望ましい結果となるのか。
それが分からない。

この男が持ちかけてきた未来は、ずっと俺が恐れていたものだ。避けようと思ってこれまで散々逃げ回ってきたことだった。できればこれからだって逃げ続けたかった。
だけどそれは、Ωでしかない俺にとっては厳しい現実であるのも事実だ。このところのヒートの時期の辛さを振り返れば、一人でこの先をしのいでいけるとも思えない。一度でも仮とはいえ、αが傍にいることの安らかさを知ってしまったなら尚更だ。


いいじゃないか。
こんな俺でも望んでくれるαがいるのなら、もう、何も考えずに身を委ねたっていいじゃないか        そんな弱い、甘えた考えがまたじわりと浮かんでくる。
αに庇護され、αの子を産み、αのために家庭を守る。そう生きることの何がいけないのか         そんな風に割り切れたら、どんなにか楽だろう。

だって結局のところ、俺はαじゃないのだ。αだと思って18年間を生きてきたけれど、今は単なるΩなのだから。


ああ、だけど     と、俺はかぶりを振った。
俺は単なるΩでしかないけれど、それでいて普通のΩでもなかった。

αという人種は優秀であればあるほど、子を成すのが家に対しても社会に対しても責務となる。αがΩを選ぶ際は、家によっては事前に検査を受けさせることもあるほどだ。
反町には兄弟はいない。なおさらこの男にかかる家族の期待は大きいだろう。俺はたとえこいつのΩになったとしても、何もしてやれないのかもしれなかった。
そう考えれば、たとえ望まれたとしても迂闊に頷く訳にはいかない。


「・・・だからね。これからは仮の関係なんかじゃなくて。この先ずっと、俺と一緒に・・・・伴侶として俺と一緒に生きていくことを、考えてみてくれませんか?」

どうして俺なんだろう。何故こいつは、俺なんかを選ぼうとするのだろう。お前だったら、育ちも気立てもいい理想的なΩの子を番にできる筈じゃないか。なのに、どうして受け入れることも出来ない俺を望もうとするのか。

俺のことなんか好きになって欲しくなかった。俺はお前のことを友人として普通に好きだったし、大事な仲間だと思っていた。Ωとして望まれる日が来るなんて考えたこともなかったし、そんな日が来るべきではなかった。俺のためにも、お前のためにも。

俺じゃ駄目なんだ。駄目なんだよ。お前の唯一のΩにはなれないんだ        

「そんなのは無理だ」
「どうして?」
「俺は人を騙してでも、αとして生きていくと決めたんだ。だから、αのお前と番になることはない」
「でも、一生騙していく必要はないでしょう?サッカーをしていく間だけ、αでいられればいいんでしょう?」
「・・・・」
「サポートするよ。逆にαとして生きていきたいなら、何もかもを承知したうえで助けてくれるαが必要な筈だよ。違う?」
「・・・そんな訳には、」
「俺は日向さんがいい、って言ってる。『そういう訳にはいかない』とか『迷惑かけたくない』なんてのは聞かない」
「だけど」
「条件を出して、その引き換えに俺のものになってって・・・そう言ってる訳じゃないよ。日向さんが好きなんだ。だから傍にいたいし、俺に出来ることなら何でもしてあげたい。それだけだよ。だから、まずは俺が貴方を想っているって、そのことを知って。そのうえで、俺とのことを考えて欲しいんだ」
「そんなこと、言われても」

仮の番となった時は、こいつは俺に何かを与えてくれるばかりで、俺から何かを欲しがったりはしなかった。俺の都合がいい時にαである自分を利用すればいいのだと、そう言っていたくらいだ。

だけど今は違う。
初めて、こいつは俺に要求をぶつけている。
『知っていて欲しい』、『考えて欲しい』と、俺が変わることを求めている。そのうえで本物の番       本能で結ばれているとされる運命の相手でなくてもいいから、お互いをただ一人の存在とした正当な関係にありたいと、何も隠さず駆け引きもせず、ぶつけている。



αに求愛されても      しかもそれが世間的に上等なαだというのに     、嬉しいという感情が湧きあがるのではなく、戸惑うしかない俺は、やはりこいつに望まれるだけの資格もないのだろう。
俺は未だ掴ませたままにしていた手をさりげなく引こうとした。けれど反町の手はビクともしない。俺とさほど大きさの変わらない手は、思ってた以上に力強くて熱かった。

この手を取ったなら       、そんなことを考える。
もしそうしたなら、きっとこいつは全力で俺を守ろうとするだろう。俺の望むことを最優先にしてくれる。
誰を敵に回したとしても、それこそ自分の家族と反目しあうようになったとしても、きっと俺のことを裏切らないだろう。

だからこそ握り返すことは出来ない。その手の上に力なく乗せただけの指先が、固まった心と同じように冷えていく。

それを感じたのかαの男は、眉尻を少し下げて困ったように笑った。









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