※背後要注意です。
~ 溶けて消えて、このカラダごと。 ~ 21
「・・・え?」
「日向さんが好き、です。誰にも渡したくないから、とりあえず唾つけちゃえ・・・って。口実は何でもいいから、とにかく丸め込んで、一旦確保しちゃえって。そう思って、仮の番になりませんか、と提案しました。 これで分かる?」
「・・・・は?」
何を言われているのか分からなかった。
誰にも渡したくない? 唾つける ??
「いや、でもコレちょっとね。オレ的にフライングなんだよね。もうちょっと待つつもりだったんだけど」
「・・お前、何、言って・・・」
「俺さあ、最初が日向さんの弱みにつけこんだ感じだったじゃん。まあ、あのフェロモンまみれの状況で、手を出さないαはいないと思うんだけどね。最後までヤらなかっただけでも、俺は褒めて貰ってもいいと思うくらいだけどね。・・・・とにかく、あの時はあれ以上、日向さんのことを追い詰めたくなかったし、だけどやっぱ欲しいし、俺もどうしようかと思って。で、極力軽い感じで『仮の番でどう?』って言ったんだけどさ。でも本心はさ、少しぐらい待ってもいいから、そのうち日向さんが受け入れてくれたらな・・・、って思ってた。運命の番じゃないにしてもさ、世の中にはそれでも一緒に暮らしているαとΩは幾らだっているんだし、そうなれればいいな・・・って」
「・・・・」
「だけど、ごめん。日向さんって思っていた以上に鈍くて」
「・・・・」
「伝わってないんだろうなあー、っていうのは薄々・・・じゃないな。うん、結構ハッキリとね、分かっていたんだけどね。それでも待とうと思っていたんだよ、俺。仮でも番になるって約束してくれたから、ひとまず安心できたし。手に入れたいは手に入れたいけど、後で『流されてこうなっちゃった』って思われるのは嫌だから、急かすのはやめようって」
どこからどう突っ込めばいいと言うのだろう。さり気なく『鈍い』と落とされたことからか。
「だけど、日向さんがここまでテンパってるとは思ってなくて。・・・ごめんね。訳わからないままでいる方が、日向さんだって苦しかったんだよね。俺が少し考え無しだった」
「・・・そり、まち・・・」
驚きすぎて涙も止まるとはこういうことなんだと、俺はぼんやりと考えた。
反町が俺を好きなのだという。
運命の番 本当の番であれば、Ωの出すフェロモンの匂いでαは相手が分かるらしい。そしてΩの側もαの発する微量のフェロモンでやはり番だと判別できるのだと聞く。
俺と反町はお互いをそんな風に感じたことは無かったから、本当の番では有り得ない。だから俺がヒートの時期にどれだけフェロモンを垂れ流したところで、欲情させることはできても、それがこの男の感情までを左右することはなかっただろう。
であれば、一体どういうことなのか。そもそも反町は本気で俺のことを好きだなどと言っているのか。それともこいつ一流の冗談なのか。俺を揶揄っているのか。
少なくともあの日、Ωであることを知られたあの日までは、俺たちは単なる友人でしかなかった。普通に仲のいい友達で、大切な部活の仲間だった。それ以上でもそれ以下でもなかった。
更に言えばこうなってからでも、俺は反町との未来を想像したことは無かった。当たり前だ。『仮の番』というのは一時的な関係でしかなく、いつかこの男に本当の番が現れたら終わる約束なのだから。
じゃあ・・・・と、俺は考える。
今言われた、「好き」という言葉の意味は?
もし冗談でも、揶揄っているのでもないとすれば?
俺は、どうすればいい ?
「とりあえず電話じゃなんだしさ。ね、日向さんちに行ってもいいよね」
「あ?・・・ちょっと待て。お前、今どこにいる・・・」
俺の言葉が終わらないうちに、部屋のインターフォンが鳴らされる。俺は手にしたスマホを思わず見つめた。反町の声が、スマホとインターフォンのスピーカーの両方を通して、重なり合う。
「もうマンションまで戻ってきちゃったから、来るなって言われても遅いんだよね。・・・ねぇ、部屋に入れてよ。日向さん?」
「入れてよ」などと言いつつも自ら合鍵を使って入ってきた反町は、すぐに部屋の中に充満しているのであろうフェロモンの匂いに気付いたようだった。
インターフォンが鳴ってから俺は慌ててジーンズを履き直して衣服を整えたが、それが精一杯で部屋の空気を入れ替える時間は無かった。クン、と一度その匂いを嗅いだ反町は「やっぱ日向さん、まだまだヒートじゃん。・・・ていうか、濃くない?終わりかけにしては、随分と強く香ってくるんだけど・・・。ピークの時と変わらない?あれ?何で?日向さん、いくら何でも長いよね?」と俺を振り向いて首を傾げた。
そんなことを言われても、俺にはその匂いは分からないから何とも答えようがない。ただフェロモンが過剰に出ていたとしたら、それはもしかしたらついさっきまで自分で自分を慰めていたからかもしれない・・・・そう思った。とてもじゃないが、反町にそんなことは言えないけれど。
「・・・あっ!」
近づいてきた反町は、俺の肩を掴むとおもむろに首すじに顔を埋めてきた。αの手の感触と、直接伝わってくる体温に思考が一瞬停止する。ドクン、と心臓が大きく跳ねた。
「・・・あー。すげえイイ匂い。日向さん、これ一人じゃ辛かったね。ごめんね。やっぱり行かなきゃ良かったな、俺」
「別に、辛くなんか・・・っ」
「隠さなくてもいいよ。っていうか、隠しても無駄だよ、これ。だってこの匂いを嗅げば分かるもん。日向さん、感じてたでしょ?気持ちよかった?でも俺にいて欲しいとも思ったでしょ?」
「・・・・」
とうにバレているのだということが分かった。俺が先ほどまでこの部屋で何をしていたか、こいつはもう知っているのだと思うと恥かしさの余りにまともに反町の顔を見れない。
「そんなに恥ずかしがらなくていいよ。だってヒートなんだから。仕方が無いじゃん」
「・・・ア!・・・ちょっ、・・・待てって!だって、さっきの・・、話・・・!」
反町は俺の腰に手を回して、ゆっくりと体重をかけてソファの上に押し倒してきた。さっきまで俺が一人で横になっていた場所だ。この上でするのは嫌だった。周りにはまだ、あのドロリとした甘い蜜のような、濃厚な空気が残っているような気がした。
それに話の続きをしなくちゃいけなかった。さっきの話。この男が俺をどう思っていて、俺はどうしたいのかという話。
だけど反町は俺の抑止の声も聞かず、明確な意思を持って指や唇で俺の肌を撫でていく。触れられた箇所が粟立つくらいに気持ちがよかった。
覆い被さるαの男を押し返していた筈の俺の手は、いつの間にか縋りつくようにその服を掴んで引き寄せていた。
「ふぁっ・・あ・・ンッ」
「日向さん、すげー可愛い・・・・。とりあえず、この中途半端に蕩けちゃった体、何とかしようか」
「・・・アアッ!」
耳元で囁かれ、そのまま耳の中に柔らかくて滑った舌が潜り込んでくる。声が抑えられなかった。電話で明かされた突飛な話と突然の来訪に驚いて治まりかけていた熱が、再び上がり始める。
反町の唇が耳からこめかみ、それから頬へと移動して、吐息が交わるところまで辿りつく。何度か啄むようなキスをくれると、やがて深く口づけてきた。舌を吸われて絡められ、柔らかな頬の内側も歯列の奥も隈なく探られた。執拗で生々しい、これから行うことを嫌でも意識せざるを得ないようなキスだった。いつしか俺も夢中になってαの咥内を貪っていた。
「・・・んんっ、は、あ・・ッ、・・・んあ、あ、あ」
反町の言う通りだった。俺は感じていたし、この男のことを欲しがっていた。今だけでなく、これまでに過ごした幾度かの夜だって。
最後まではさせないと口では拒んでおきながら、実際には飢えているのは俺の方だった。Ωの身体は俺自身でもどうしようもないほどに、αの男を中に迎え入れたがる。
でもそれをしたら、αとしての俺は完全に終わる。後戻りはできなくなる。
今ここでαの男を受け入れたからといって、別に俺の身体がすぐにどう変わるという訳じゃないだろう。避妊しなければ当然妊娠する可能性はあるけれど、目に見えて華奢になるとか、筋肉が今以上につかなくなるとか、そういったことは無い筈だ。
だけど、俺の中身 俺を俺たらしめるもの、俺という人間の核となる部分 それはきっと変わってしまう。もし反町を自分のαと認識して、そのことを受け入れたなら、多分その時点で俺はこれまでと違う人間になる。俺の脳はこれからの生き方を変えようとし、この男の子どもを産み、育て、この男に寄り添うための人生を最優先させようとするだろう。
それもいいのか 。
どこかでそう思うようになっていた。
αに守られてαの子を慈しみ育てていく。決して悪い選択じゃない。プロのサッカー選手にはなれなくても、おそらくは穏やかで満たされた日々を送ることができるだろう。
少し軽薄なところはあるけれど、一旦引き受けたことは途中で投げ出すことのない男だ。長い付き合いだから、そういったところは信頼している。
本当にこいつが俺のことを好きだというのなら、そういう人生だって考えてもいい。
だけどそう思いながらも、やっぱりそんなのは有り得ない 否定する自分がいる。
だってそれは俺だけの都合じゃないか。俺の方だけの。
どんなにこの男が俺を好きだと言ってくれても、俺が突然変異種のΩであることには変わりがない。見た目は逞しいαで、体の仕組みはΩの男。Ωとしては完全とは言い難く、ある日いきなり身体の中に出来上がった生殖器官は、どう機能するのかも定かじゃない。先天性の普通のΩと俺では状況が違う。もしかしたら俺には、子供を孕むことだってできないのかもしれなかった。
そんな俺に、ただ一人のαを手に入れる資格なんてある訳が無い。自分だけのαが欲しいだなんて、望んでいい筈がないじゃないか 。
いつものように、触れて触れられるだけだった。いつかのように「挿れてもいいか」とは尋ねられなかった。
そのことに安堵しながらも、俺は強請るようにαの男に腰を擦り付けて、今すぐに楽にして、と啜り泣いた。
back top next