~ 溶けて消えて、このカラダごと。 ~ 18








最近になって改めて気付いたことがある。俺には恋愛対象として誰かを好きになった経験が無い。

性転換する前も、そういった面では俺はかなり奥手で子供だった。いつかは自分のΩを・・・と淡く思い描いたことはあるけれど、それくらいだ。
言い訳をするなら、サッカーばかりの生活だったし寮に入っていたし、しかも東邦学園は高校まではαとβの男子しかいなかったから、Ωや女子に接する機会なんてほとんど無かった。今にして思えば、随分と人種的に偏った学校生活を送っていたものだ。

その後も、αとしての性を突然に奪われてからは一人で生きていくつもりだったし、自分の身を守るために誰かと親しくなることを出来るだけ避けてきた。
そんな状態だったから、この年になるまで誰かと付き合ったこともなければ、誰かを想ったことも無い。要は恋愛スキルなど皆無だということだ。普通の人間が普通に感じて、普通に経験することを、俺は何もしてこなかった。

だからなのか、大学に入ってから一人でいることが増えても、それは俺には苦にならなかった。寧ろ一人でいる方が気が楽だった。誰とも付き合わなければΩであるとバレる可能性が低くなるというのもあるけれど、それだけじゃなくて、大して親しくもない他人と一緒にいること自体が俺には苦痛だったから。何を話していいか分からないし、俺にはサッカー以外の、気の利くような話題なんか無かった。

だけどそんな人付き合いの悪い俺でも、稀に好きだと告白してくるΩの子はいた。男でも女でも、どちらも少しずつ。勿論、付き合うことなんてできる訳が無いから断るしかなかったけれど。
ただ中には可愛らしい子もいて、そんな子が真剣に自分のことを好きだと言ってくれる度に、俺は何とも言えない複雑な心境に陥った。

種が変わったばかりの頃は、可愛らしいΩの子から「好きだ」「付き合って欲しい」と乞われれば、俺の中に残っているαの部分が疼いたりもした。だけど実際には俺はΩになったばかりの突然変異だった。どうしたらいいのかと困惑もした。
そんなことが幾度か繰り返されて、やがては戸惑いが不快や腹立ちとなり、俺の中で消化できずに燻り続けた。
告白を断って泣かれてしまえば申し訳ないとも思ったけれど、泣いたくらいで世の中変わるなんて思うなよ、と邪険に思ったりもした。俺に受け入れられないと知ってぽろぽろと目の前で涙を零すΩの子を、健気で愛おしいとも感じる反面、お前は俺のことなど忘れて、これから別のαを見つけられるじゃないかと、冷めた目で見てもいた。

あの頃は自分の中でもαとΩのバランスが上手くとれなくて、必要以上に僻んだり他人を蔑んだりと、苦しい時期だったと思う。

こんなに苦しい思いをするくらいなら、いっそのこと種が変わったことを隠してΩの子と付き合うことは出来ないだろうか        そう考えたこともあった。Ωの子に応える資格が無いのは十分に分かっていたけれど、それでも俺はやっぱり、ただ一人のΩの子を好きになって、大事にして、その子の一生を守っていきたかった。

勿論、そんなことは有り得ないことだ。いまさら俺の種がΩからαへ戻るなんてことは考えられない。そうである以上、一旦騙したら終わりのない嘘になってしまう。そんなのは無理だ。俺には彼らを守り、孕ませ、共に人生を生きるなんてことは不可能なのだ。

それにそんな先まで待たなくても、すぐに破綻は訪れると思われた。その理由は3か月に一度の頻度でやってくるヒートだ。
Ωの子がヒートに入っても、俺には何もしてあげられない。それどころか、その子がヒートに入ったことにすら気が付かないかもしれない。相手がのぼせたようにふらふらになって倒れるまでは。αである誰かに「おい、お前の相手、発情期だぞ」とでも教えて貰わない限りは。
何故ならΩである俺には他のΩのフェロモンが効かないからだ。Ωのフェロモンはαを誘うためのものであり、発情期のΩが発する誘うような甘い匂いは、αにしか感じることはできない。

だから俺はどんなΩの子から告白されても、断るしかなかった。「友達からでもいい」という涙交じりの彼らの求愛を、自分がΩであるということを知らせないで断るのは、なかなかに骨の折れることだった。だけどそんなことを続けているうちに、やがて声を掛けてくるΩの子も減っていった。




今は予定外にαの男が俺の傍にいる。だけど仮の番となってくれるαが現れても、やっぱり俺はΩにも成りきれない、中途半端なままの存在だ。
見た目は完全にαの男でゴツくて逞しく、そのくせΩの生殖器官をもっている。精神的にはΩであることを拒否してαとして生きていくことを選んだけれど、3か月に一度は役立たずになる。しかもいい年して恋愛の一つもしたことがなく、普段から他人と関わろうとしないからコミュニケーション能力はその辺の子供以下だ。
これだけでも、付き合う相手としては相当に重いだろう。俺だったら例えαのままだったとしても、こんなΩは選ばない。何も好き好んで面倒事を引き受けることはない。

性転換が本人のせいでないことは俺が一番よく分かっているのだけど。だからといって、じゃあそんな突然変異のΩを受け入れられるのかというと          、それはまた別の話だ。

今こうして一緒に風呂に浸かっているαは、これはこれで特異な人間なんだろう。昔から人一倍目新しいことや珍しいことに興味を覚えるような奴だ。それに加えて尋常ならざるボランティア精神を持ち合わせているということか。この男はこんなお荷物を抱えても気にした風もなく接してくるけれど、実のところは相当に我慢をさせているんだろうな・・・と思う。本人は前に『自分にもメリットがあるから』と言っていたけれど、それで相殺されるようなものでもないだろう。申し訳ないと思う。

だからといって面と向かって謝ったなら、それはそれで嫌な顔をされるのだろうけれど。


「・・・お前はさ」
「うん?」
「お前は、これまで付き合ってきたΩを基準にしているのかもしれないけれど」

だから、少しでもお前の負担が軽くなるように。俺のことは放っておいてくれてもいいからと、この3か月で何度も繰り返してきた台詞をまた口にする。

「俺はその子たちとは違うから、さ。鍛えているし体力もあるし、ヒートであっても自分のことくらいは自分で面倒見れるから、そんなに色々とやってくれなくて平気だから」
「・・・・」
「大体お前、俺の世話なんかしてたら疲れるだろ。大学だって部活だってあるのに。・・・とにかく、俺のことはそんなに気にしなくて大丈夫なんだからな。メシだって冷蔵庫にあるものを温めることくらい出来るし」

どうしようもなくなった時に、あの狂ったような熱さえ鎮めて貰えるのなら・・・というのは言葉にしないけれど、要はそういうことだ。苦しい時に助けてもらえるのなら、それで十分だ。

本当は差し出されたものに見合うだけのものを返したいのだけれど、何をすればこの男のためになるのかもよく分からないから、まずはこれ以上の迷惑をかけたくないと思う。

「それに、お前に誰かいい子が見つかったなら、もちろんそっちに行っていいんだからな。その時は契約も解消するって、最初からの約束なんだから」

反町に唯一の番の子が現れた時。その時には俺たちの仮の番としての契約は終了する。

元どおりの友人になるか、それすらも失うのか。それはまだ分からないけれど、どちらにせよこいつは大事な友人なのだから、いつか本当の伴侶を見つけて幸せになって欲しい。Ωであることを隠して一人で生きていくと決めた俺とは、属する世界が違うのだから。お前は誰に何を憚る必要もない、完全で疵一つない、正しいαなのだから。

「だからさ、好きな子が出来たらすぐに俺に言えよ?」


俺はいっそ晴れ晴れとした笑みさえ浮かべて、背後を振り返った。

まさかその先に冷えた視線があるとは思わずに。









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