※背後要注意です。
~ 溶けて消えて、このカラダごと。 ~ 17
「・・・ふ、ぅ、ん」
そろそろ始まるね・・・、と仮の番に言われたその翌日、俺のヒートは始まった。
朝、反町と二人で大学に向かっている途中で急に体が熱くなり、発情期に入ったことに気が付いた。
反町はUターンして俺をマンションの部屋まで連れ戻したが、自分はどうしても午前中に外せない用事があるといって、大学に行ってしまった。
「昼前には帰ってくるから。それまで我慢できる?新しい薬はなるべく飲まないで待っててね。一人の時に具合悪くなるの、怖いし。それとインターフォンが鳴っても電話が鳴っても、俺じゃなければ絶対に出ないこと。いいね?大丈夫だよね?」
そう言って、玄関を施錠して出かけていった。ギリギリまでこの部屋に居てくれたのか、出ていく時には随分と慌ただしかった。
本当は新しい薬を試してみたかったのだけれど、ああ言われては勝手に飲むわけにもいかない。どんどん強まる欲望を自分で治めることもせず、上がり続ける熱を持て余して冷たいシャワーを浴びた。それから寝室から毛布を運んできて、リビングのソファの上でそれにくるまる。部屋も暑いし、身体も熱い。それなのに毛布を被った俺はカタカタと震えていた。
あとは待つしか無い。以前だったら薬に頼って、そのうえで自分で処理して何とかやり過ごすのだけれど。だけど今は「すぐに帰ってくるから」と言うαがいるのだから、俺に出来るのはこうしてじっと耐えて待つことだけだった。
「・・はあ・・・、・・んっ、んぅ・・」
早く。早く帰ってきてくれよ。
目を閉じて、震える肩を自分で抱きしめる。なにか縋るものが欲しかった。俺はできるだけ体を丸くするようにしてソファに横たわった。
宣言したとおり、多分それほど掛からずに反町は帰ってきた。とは言っても、もうその頃の俺には時間の感覚もなかったけれど。
「ごめん!日向さんっ!遅くなっちゃって、ごめんね。大丈夫?・・・・ああ、すっかりヒートに入ったね。日向さんのフェロモン、すごく強く香ってくる。水分はちゃんと摂ってる?水飲む?」
「ふ、あ、・・・そんなの、いらないっ・・・、いらないから・・・ッ」
インターフォンを鳴らした後、反町は自分で鍵を開けて入ってきた。仮の番となってから、こいつは俺の部屋のスペアキーを当然のように持っていき、最近では何だかんだと毎日この部屋に寄っていっては、自分の部屋であるかのように寛いでいた。
それでも夜になれば、ごく自然な動作で自分の部屋に戻っていく。今日だって、普段どおりの何事も無い日なら、「風呂に入って寝る」と帰っていくのだろう。
だが俺がヒートに入った以上、これから数日間は、こいつはこの部屋に泊まり込むことになる。前回のヒートの時もそうだった。俺の発情期に反町が自分の部屋に戻ったのは、着替えや荷物を取りに行った数回だけ。それもほんの短い時間。あとは俺の傍を離れず、面倒を見てくれた。
「どうして毛布なんか引っ張りだしてきたの?随分、汗かいているよ。やっぱり水飲もう?お茶がいい?今持ってくるから」
「そんなの、も、いい、からぁ・・・っ、はやく、ふあ」
おかしい。ついさっきまで、こいつが帰ってくる直前までは何とか正気を保てていたと思う。なのにαが戻ってきたと分かった途端、もう駄目だった。朝に飲んだ抑制剤だって完全には切れていない筈なのに、自分でもおかしいと思うくらいに欲情している。こんなのは初めてだった。反町とこうなる前だって、さらに言えば前回のヒートの時だって、こうまで感じたりはしなかった。
もう、自力でソファからベッドに移動するのも難しい。手足に力が入らない。頭も回らない。ヒートのもたらす劣情に支配されて、何を口走っているのかさえも分からなくなりそうだった。
「そりまち、はやく・・っ!」
「日向さん。かわいい」
切羽詰った声を上げて、手を伸ばして縋ろうとする俺を、反町は前と同じように抱き上げて寝室に運んでくれた。
身体のあちこちを反町の指と唇が撫でていく。どこに触れられても気持ちがよくて、もっと触って欲しくて、自分から体を押し付けていた。
そこ、だけじゃヤダ。もっと、こっち こっちも触って。
「うん。・・・ここ?・・・ここ、こう触ると気持ちいいの?」
気持ち、イイ。すごく、いい。
「こうされるの、好き?」
すき、すき。これ、すき。もっときもちよくして。もっとさわって。
「日向さん。・・・どうしよう、可愛くって、たまんない」
蕩けた頭では反町が何を話しているのかちゃんとは認識できなかったけれど、今この瞬間、俺だけじゃなくて、αの男も欲に濡れているんだって、俺に興奮しているんだってことは何となく分かった。それが嬉しくて、もっと俺のことだけを見て欲しくなる。俺でいっぱいになればいい、俺で埋まってしまえばいいと、覆い被さる体に腕を絡めて引き寄せる。キスをねだると男の唇が俺のそれを食んだ。貪るようにお互いを探り合い、舌を絡めては歯列をなぞる。上あごを擽られて、咥内をくまなく暴かれて、あまりの気持ちよさに俺は夢中になって重なる唇を吸った。
「・・・んッ!ン、ン・・・、あぁ・・・っ!」
だけど反町の指がある一点に触れたところで、俺の意識が一瞬だけ現実に戻る。
「ねえ、日向さん。俺のこと、まだ欲しくない?ここ」
背中を撫で下した反町の指先が、そのまま俺の腰から下半身へと滑り落ちて、ある箇所に触れる。それはΩの男がαの種を受け入れて萌芽させることのできる、唯一の場所。
「ね、この場所。ココに俺の、入れたくならない?」
「・・やッ!や、だ・・!」
「まだ、入れたくならない?」
「ならない・・・・っ!」
「指だけなら入れていい?」
「やあ・・」
「・・・分かった。入れないよ。怖がらないで」
ごめんね。急がせるつもりは無かったんだけど・・・俺も余裕ないね、カッコ悪いね・・・、と自嘲めいた声が聞えた。
そこから先は、いつもと同じだった。過ぎた快感は苦痛にも近い。慣れた手つきに訳が分からなくなるまで追い上げられて、声をあげて、「もう嫌だ、早く終わらせてくれ」と泣いて懇願して、ようやく聞き入れられた頃には既に俺の意識は混沌としていた 。
目が覚めたのは、頬に冷たいものを押し当てられたからだ。
かすむ目を擦って見上げれば、反町が「日向さん、喉乾いたでしょ。水、飲んで」と言って、ペットボトルを差し出していた。俺は素直にそれを受け取って、喉に流し込む。体中の細胞が水分を欲していた。
行為が終わってから、それほど時間は経っていなかったらしい。身体についていた筈の残滓は拭われていたが、あらゆる種類の体液を吐きだしたベッドの上と部屋の中には、まだ熱や湿気が籠ったままだった。
「汗かいて気持ち悪いよね。動けないなら拭いてあげるけど、大丈夫そうなら一緒にお風呂に入ろう?もうお湯、張ってあるんだ」
空になったペットボトルを反町に渡して頷くと、手を引いて浴室に連れていかれた。
もとより俺は何も着ていない状態だったので、シャワーを浴びてすぐに浴槽に浸かる。反町も同じようにシャワーで汚れを落とすと、すぐに入ってきた。それが向かい合うのではなく俺の後ろに座る形だったので、互いの上半身が密着する。腹に回された反町の腕をそれとなく外そうとすると、俺を抱き込む腕に更に力が込められるのが分かった。
「なんでそっちに座るんだよ」
「俺、この体勢好きなんだよね。ピッタリと肌がくっつくの、気持ちいい。・・・日向さん、後で頭、洗ってあげるね。よかったら体も洗わせてね」
「・・・嫌に決まってんだろ。何言ってんだよ」
「俺が洗ってあげたいの!」
前回もそうだったけれど、どうやらこのαはヒートが始まったΩに対して、一切合切の面倒を見ることに決めているようだった。
確かにこいつは元々人懐こい性格だし、他人の内側に入りこむのも上手くはあるけれど。それでもいつもは他人との距離をちゃんと測っているのか、一定のラインから踏み込んでくることは無かったし、必要以上に干渉してくることも無かった。
だけどこうしていざ俺が発情期に入ってしまうと、ここぞとばかりに俺たちの間にある筈の境界線を物理的にも精神的にも易々と越えてきて、この部屋に入り浸っては同じベッドで寝起きし、身の回りの細かいことにまで手を出そうとしてくる。
でも俺はそんな風に扱われることに慣れていないから、居心地悪いし、恥かしいことこの上ない。ヒートじゃない時にだってそれなりに相手をしてくれているのだから、そんな程度で十分なのに。
おそらくこいつは、風呂から出てからも着替えやら髪を乾かすのを手伝うと言い出すだろう。それから食事の用意をして食べさせてくれて、後片付けもしてくれる。
発情期の俺があまり役に立たないのは確かだけれど、子供じゃないんだから自分のことくらいは時間をかければ出来ると思う。そもそも今までだって薬を飲みながらでも一人で生活してきたのだし。
なのにこいつはあらゆる家事を一人で要領よく片づけてしまい、何も仕事を残してくれない。
俺のことなら放っておいてくれて平気だぞ・・・と何度言っても、「俺がやりたいんだから、いいんだよ」の一点張りだった。
「・・・αってみんな、こうなのかな」
「ん?何が?」
何のことかと聞き返される。頭の中で考えていたことが、言葉になって出ていたみたいだ。
「Ωを甘やかして世話して・・・。面倒だと思わねえの?」
番をもつαならそういうものだって、それは聞いて知っている。でも俺たちは本物の番じゃない。番が相手じゃ無ければ、αだって普通はそれほど面倒見がいい訳じゃないだろう。まあ今更俺に、αにとっての 『普通』 が分かる筈もないけれど。
「それは相手によるかもね。遊びの付き合いなら、そこまで面倒はみないよ。たとえその子がヒートだったとしてもね」
反町が俺の耳の後ろに鼻先を埋めて答える。くすぐったくて思わず首をすくめたら、クスリと小さく笑われた。
「でも番じゃないにしたってさ、好きな人のためなら何かしてあげられるのは嬉しいよね、普通。それはαもΩも関係ないんじゃない?」
「・・・・・・」
反町の言うことは尤もだった。多分、大多数の人間にとってはそうなのだ。番とか恋人といった存在より先に、誰かを好きだという感情がある。愛おしいと思い、傍にいて欲しいと願う気持ちが。
皆、それに振り回されたり悩んだり苦しんだりしつつも、それぞれに抱えて大事にしていくものなのだろう。
その感情。揺らぎ。恋愛というもの。 俺には理解できない多くのものの、その内の一つだった。
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