~ 溶けて消えて、このカラダごと。 ~ 15
ヒートの期間が終わってからは、反町とはこれまでどおり、普通の友人として親しく付き合った。少なくとも、大学や部活といった表向きの生活においては、俺たちの関係は全く変わることは無かった。
俺は大学ではいつも決まった友人といるか一人でいたし、反町は反町で、相変わらず忙しい時間を縫ってはΩの子を集めたパーティーを開いているようだった。その点は俺がしつこいくらいに、「今までと同じように」と要求したところだ。
自分たちはあくまでも仮の関係であって、お互いに本物の番が見つかるまでという約束なのだから、その努力を怠って貰っては困る・・・、と俺が主張したのだ。
だから時折、あいつは夜に出かけていく。そこに俺を誘おうとしないのも、大学で紅葉が俺を見掛けては「日向も一緒に行かない?」と誘いたがるのも、これまでと同じだった。
抑制剤は、前回のヒートの時にあんなことがあってから、クリニックに行って変えて貰っていた。「体に合わないみたいだ」と申告すると、先生からは「前に使っていた軽い薬に戻した方がいい」と言われた。
「でも、Ωだって気が付かれる訳にいかない。あそこまで酷くなるんじゃないなら・・・少しくらいキツくてもいいから、強い薬が欲しい」
「・・・新しい薬が出ているから、試してみるかい?だいぶ副作用は抑えられると思うけれど、効果はこの間渡した薬よりは弱いかな。ただ、これも合わないと思ったらすぐに止めること」
実績のある薬に戻した方がいい、という医者に対して、俺は首を縦には振らなかった。それでも彼は、言うことを聞こうとしない、息子ほどに歳の離れた患者に気分を害するでもなく、丁寧に薬の説明を施してくれた。そのうえで、再度「いいね。少しでも体調がおかしいと感じたら服用をやめて、僕に連絡するんだよ」と念押しして、新しい薬を処方してくれた。
だけど新しい薬を貰えることになっても、俺はもう何を感じることも無かった。
結局は体質に合わなかった前の薬、あの薬を受け取った時には、新しい自分に変わるような気がして、一種スタートラインを切ったような気分にもなったけれど。今回はそんな感慨もなかった。
だって俺はもう、抑制剤なんかよりもよく効く対処法を知っているのだから。
できるものなら薬なんて飲みたくない、とすら思ってしまう自分がいる。俺は暗いため息を零した。
それから、この時は抑制剤だけを受け取って帰る訳にはいかなかった。物凄く言いづらいことではあったけれど、恥を忍んで先生にお願いするしかなかった。
「あの、さ」
「うん?」
「あの・・・避妊薬、も欲しいんだけど」
「・・・小次郎。ちょっと待って。・・・何があったか、話してごらん」
彼は小さく目を瞠った後、俺を安心させるように柔らかい表情を作った。だけど俺はかぶりを振った。
「別に、そういう相手ができた訳じゃないし、自棄になって誰でもいいから・・・って思っている訳じゃない。ただ、ヒートの時にΩだとバレたらそうなる可能性はある訳で、そうなったら妊娠する可能性もある訳でしょう?安心するために、手元に置いておきたいだけなんだ。」
用意していた台詞を一息に吐くと、年配の医者は俺を心配そうに見つめた。
ごめんなさい。心配ばかりかけて。
本当に何でもないんだ、大丈夫だよ・・・と平気な素振りを見せたけれど、全く信じていなかっただろうと思う。俺は嘘をつくのが昔から下手だったから。
それでも何とか目的のものを手にして、それ以上の追及を避けるように慌ただしくクリニックを辞去したのが梅雨の終わりのこと。
それから暫くして、大学は試験期間を終えて夏休みを迎えた。
夏休みになっても俺の生活は相変わらずサッカーを中心に回っていた。というより、休み前よりも更にサッカー漬けの毎日になった。
部の練習と試合、関東選抜、それにU22代表の召集があったりと忙しくしていて、家に帰ってからも大学の課題を片づけなければならず、どのみち相手もいないけれど、遊びに出歩く暇もほとんどなかった。
反町自身も休み前に比べるとやはり時間が無いのか、さすがに練習が続いて疲れるのか、それほど外で遊んではいないようだった。俺の家にはしょっちゅうやってきて一緒に課題に取り組んだりもしていたけれど、そうでない時は自分の家で休んでいることが多いのだと言っていた。それでもあいつのスマホには、頻繁にメールや電話がかかってきたけれど。
「・・・んー。いや、今日は俺はいいよ。・・・うん、そう。・・・あ、悪い。その日もダメ。・・・違うって。次の日に試合なんだよ、試合。・・・おー、今度見に来て。じゃあな、楽しんできてなー」
ある夜、俺の部屋で寛いでいた反町は、誰かとそんな話を電話でしていた。
「・・・遊びの誘い?行ってくりゃいいのに」
「いいのいいの。大学始まったらまた付き合うだろうし。せっかく日向さんちにいるのに、わざわざこっから出ていくのも面倒だもん」
「俺んとこにいたって、面白くも何ともないだろうに・・・」
今の俺には休みの日に行動を共にするほど仲のいい友達は、残念ながら目の前にいるこの男くらいしかいない。だからこそ、反町には自分の交友関係を大事にしてほしいと思うのだけれど。
友人や知り合いの類が多いこの男には、余計な心配なのかもしれない。だけど、俺のために他の友人との付き合いを減らすようなことはして欲しくなかった。
俺の口調に何かを感じ取ったのか、反町がリビングのソファから立ち上がって、キッチンにいる俺のところにやってくる。冷蔵庫から取り出したばかりのコーラを俺の手から取り上げて、シンクの台の上に置くと、αの男は俺の体を壁に押し付けた。
「・・・ん」
そのまま唇を塞がれて、俺は鼻に抜ける声を出す。
仮の番となってから変わったのは、こういうところだ。
「最後まではしない」と約束した男は、確かに前回のヒートの時も、最後まですることはなかった。
だけど、それはあくまでも俺の ”内”に入ってくることはない、というだけで、一緒のベッドに入って身体に触れたり触れさせたり、ということは普通にやった。ヒートが終わってからも。
こんな風に触れ合うのはヒートの時だけでいいんじゃないのか、と主張する俺に対して、「まさか、世の中の夫婦や番が、3か月に1度のその時期しかセックスしない・・・なんて思ってる訳じゃないよね?」と、呆れたように聞かれた。ムっとはしたが、それでも「違うのか?」と食い下がってみると、憐れみを含んだ視線を送られたから、それ以上の抗弁は諦めた。
軽くリップ音を立てて離れた反町は、俺と視線を合わせたままで、まるで物わかりの悪い子供に言い含めるように、一言一言を区切って告げる。
「日向さん。俺がね、日向さんといたいんだ。俺が選んで、こうしてる。俺がどうしたいかもそうだし、その結果俺がどう感じるかも、日向さんが決めることじゃない。分かるよね?」
「・・・分かってるよ。悪かった。変な言い方して」
俺といたって面白くもないだろう、なんて自虐的な言葉、昔の俺なら絶対に吐いたりしなかった。αの頃の俺を慕ってくれていた反町が、不快に思っても仕方が無い。
もう一度降りてきた口づけに、俺は従順に応えることで反省の意を表した。
しばらくお互いを堪能すると、俺は体の力が抜けたようになってしまい、自然に反町に身を預けるようにして寄りかかっていた。結構な重さだろうに、それを気にする風もなく、俺をリビングに連れていってソファに座らせてくれる。それから改めて、ゆっくりと抱きしめてくれた。
「あー・・・。やっぱ日向さんとこうしてるの、イイ。ほんと、癒されるわあ」
「・・・癒されるってなんだよ、癒されるって」
俺はお前のペットか何かか。
そう文句をつけると、「何でそこでペットなの。番でしょ」とまた呆れた顔をされた。
「さっき誘われたのもさ。αだけの遊びならまだいいんだけどね。そこにΩの子が交じってたりするとね・・・。割とさ、大人しいようでいて、ギラギラした視線を送ってくる子っているじゃん。前はそういう駆け引きも楽しかったんだけど、最近はちょっと疲れるんだよね。それに比べたら、こうやって日向さんと家でのんびり過ごす方がいい。すごく癒される」
「そりゃあ、そのΩの子たちが真剣にお前のことを狙っているからだろうな」
大半は控えめな性格のΩの中にも、稀に肉食系というか、物欲しげな視線や言動で圧力をかけてくる子が存在する。そういった子に狙われた時の煩わしさは、俺でも分かる気がした。外の世界では俺はαのままだから、そういう類の関心をΩの子から寄せられることもあるのだ。
俺の場合はそんなのは最初からスルーしているけれど、それでもやはり鬱陶しい。学内でも目立つ反町なら、尚更だろう。
「だけど随分、お前らしくねえな。昔からお前はそういう場所が好きだっただろ。αとΩが集まって、お互いを品定めするような場所が。隠れてよく通ってたじゃねえか」
それこそ中等部の頃から、こいつは学校や寮監の目を盗んで出かけていた。見た目は普通に優等生だったが、俺から見れば、その素行は立派に不良のものだった。
「だってあの頃は出会いの場が必要だったんだもん。しょうがないじゃん。・・・だけど、それは昔の話なんだって。今は別に行かなくてもいいんだよ?でもそれじゃあ、日向さんが駄目って言うっしょ?」
「だめ」
ちゃんと分かってんじゃねえか、と軽く流すと、反町はあーあ、と嘆いて見せる。
「そうは言うけどさあ。そうそういるとも思えないんだけど。日向さんみたいに、ずっと一緒にいても疲れない子。それでもって超可愛くって、俺以外のαには見向きもしない一途な子」
「お前好みの、華奢で小さくて、リスとかの小動物っぽい子、な。一人で生きていけなさそうな、トロい子がいいんだっけ」
「何それ。俺、そんなこと言った?」
「言った。実際好きだろ?」
「すっげー好み。ドンくさければドンくさいほどいいね」
反町はそう言って、朗らかに笑う。俺も一緒になって、「ほんと、お前って趣味ワリイよな」と笑った。
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