~ 溶けて消えて、このカラダごと。 ~ 13







「珈琲淹れるよ。起きよう?」

日向さんち、豆が無かったから、俺の部屋から持ってきたよ。マンデリンだから苦めだけどいい?

そう言って、反町は先にベッドを降りていった。






「俺ねー、酸味の強いのは苦手なんだよね。だからモカとか飲まないの」

珈琲メーカーは俺の家にもあるけれど、最近は自分で淹れることも無かった。反町に渡されたカップからは淹れたての珈琲の香ばしい匂いがして、俺の鼻腔を刺激した。

「・・・おいしい」
「でしょー? 知り合いからいい豆仕入れてるし、焙煎したばかりだから」


ダイニングテーブルの向いに座って、ふふ、と笑う反町は昨日までと何ら変わりがないように見えた。
だけど俺の方からすれば違和感ありまくりだ。まず、他人をこの部屋に入れたことが滅多に無かった。というより、ここに引っ越してきたころのコイツが俺の部屋を見てみたい、と煩かったから、一度家に上げたことがあるくらいだ。多分、あれっきりの筈。家族でさえ母親がたまに様子を見にくるだけだから、こんな風にこの部屋で誰かと向かい合ってお茶を飲むことがあるなんて、思いもしなかった。

この部屋に人がいるのに慣れていないからというのもあるが、何を話せばいいのか分からない。珈琲の味に感想を述べてしまえば、もう俺から喋りかけるようなことは何も無かった。テレビくらいさっさとつけておけば良かったと思う。人が二人もいるのに普段よりも静かなこの部屋に、気詰まりさを感じた。これまでは何を話しても話さなくても、気を使うことの無い相手だったのに。

とはいえ、俺にも分かっていた。
最終的には昨夜のことに触れない訳にはいかない、ということが。決して楽しい話題ではないけれど。


「あのさぁ」

目の前に座っている相手と目を合わせることができず、両手で抱えたマグカップの中身に視線を逃がしていると、反町がいつもと同じようにのんびりと口を開く。

「日向さんが昨日のこと、どこまで覚えているか分からないんだけどね」

後ろに引きのばしたとして、事態が好転する訳ではないのだ。起きてしまったことはもう変えようが無いのだと、覚悟を決めて頭を上げる。俺の方は結構な悲壮感を漂わせていたと思うが、その一方で珈琲を淹れるのが上手いαの男は、湯気の立ち昇るカップの向こうからどこか悪戯っぽい目をして俺の顔を見ていた。


         俺、最後までシテないから。


反町は、そう言った。

「・・・え?」
「俺、最後までやってないから」

反町は同じ台詞を繰り返して、珈琲を一口含む。それから「うん、やっぱり淹れたては美味しいね」などと呑気なことを言って、俺に向かってにっこりと微笑んだ。俺はと言えば、耳に入ってきた言葉の意味が分からずに固まっていた。きっと随分と間抜けな顔を晒していただろうと思う。

「え・・?あ?・・・最後まで・・・って、どういう」
「半分レイプみたいなことしておいて何だけどさ。俺、日向さんだけ気持ちよくする、って言ったじゃん。日向さんは覚えてないかもしれないし、俺もさあ、何でそんなバカなこと言っちゃったかなー、失敗したなー、なんて後で思ったんだけどさ。俺もαだし、そりゃあヒートのΩを目の前にしたらヤリたいし。っつーか、普通、ヤらないなんて有り得ないし。でも一応は約束したじゃん。だから抱いてないよ。日向さんは何回もイッたけど」
「・・・・」

思いもしなかった内容に驚きもしたけれど、それよりも直接的な表現に羞恥がこみ上げてきて、頬がカアと熱くなる。

「・・お前、そんなこと、よく平気な顔して・・・」

言われた俺の方がいたたまれない。

「だってさあ。あの状況で最後までしちゃったら、俺ってほんとに単なる強姦魔じゃない?いくら日向さんが発情してたってさ。セックスは、ちゃんとお互いにしたい、ってなってからじゃないと駄目だと思うんだよね」
「・・・よく言うよ。嫌がる俺を無理矢理にベッドに引きずっていったくせに」
「それはごめんって。俺もテンパってたし・・・。でも、ベッドには引きずってないからね。ちゃんと抱っこしたからね。お姫様抱っこで運んだんだからねー」
「ば、馬鹿言ってんじゃねえよっ!誰も聞いてねえだろっ、そんなこと!」


さっきも、反町は俺を抱かなかった。俺に触るだけで、俺だけを満足させて終わりにした。ということは、正確にはまだ一度もこの男と寝てはいないということか。

それなら、このまま何も無かったことにして元の俺たちに戻れるんじゃないか・・・そう期待しかけたとき、反町が言った。

「ねえ、日向さん。どうしてαだった筈の日向さんがΩになっているのか話してくれるよね?知っているのは、俺だけ?ああ、家族は当然知っているよね」

話せと言われても、そうしていいのかどうかが分からなかった。これ以上踏み込まれたくないのなら、ここでこの男を切っておく必要がある。躊躇が顔に出ていたようで、さっきまで柔らかく笑っていた反町の目がスッと細められた。

「・・・言わないなら、この場で犯すよ」

声を一段低くして俺に脅しをかけてくる。「喋らないなら、今度は嫌がっても最後までヤるから。日向さんが泣いても脅えても、突っ込むから」と言われて、俺はどうしたって、こいつに何も白状しないままで解放されることはないのだと知った。

どういう脅しだよ・・・と思わないでもなかったが、反町の目がすっかり据わっていたので、その時の俺の選択肢には「誤魔化して逃げる」という手段は無かった。打ち明けて身の安全を守るか、隠し通して犯されるか・・・の二択なら、もうどうせΩであることはバレているのだし、無駄に自分の身体を獣の前に投げ出すこともないだろう。


「お前が聞いても、大して面白い話でもないと思うけど・・・」

そんな風に前置きをして、俺は18の時に自分の身に起きたことを話し始めた。














「後天性の性転換、って聞いたことはあるけれど、実際になった人は初めて見たな」

反町は俺が話しているのを聞きながら、器用に軽食として摘まむものを用意してくれた。珈琲豆と同様に、自分の家から材料を持ち込んでいたらしい。

一通り話し終えた俺は空腹を覚えて、目の前の皿からサーモンとクリームチーズのサンドイッチを取る。こんな話をしながらも、腹がすいて食欲があることが自分でも意外で驚いた。反町があまりに普段と変わらない態度で聞いているので、必要以上にナーバスになることなく淡々と話すことができたからかもしれない。
時刻はとっくに昼を回って、14時になろうとしていた。今日は日曜日で大学は休みだが、サッカー部の練習はある。部にはさきほど反町が休みの連絡を入れていた。

「で、高3の秋に突然寮を出て、このマンションに引っ越したのもそれが原因だったんだ?」

俺は頬張ったものを咀嚼しながら頷いた。反町はサラダを突いていたフォークを置いて、やっぱり、あの時だったんだ・・・と呟く。

「俺さ。急に日向さんが寮を出るってなったときに、何でか分からなくって。嫌だ、日向さんがいなくなったらつまらなくなるって、大分ごねた覚えがあるんだけど」
「ああ、ごねてたな」
「なのに、日向さんは適当な理由で誤魔化すし。でもって日向さんが出てった後の寮はやっぱ味気無くてさ」

適当な理由だったっけな、と思い返す。『親の持っているマンションで空きが出て、空き室にしておくのも何だから、借り手が見つかるまで俺が住む』といったもっともらしい理由だったような気がしたけれど。

それを言ったら、「何言ってんの。この部屋なら空いてもすぐに埋まるっつーの。俺だって日向さんが引っ越した後、ここに空きが出たらすぐに借りられるように手配したけど、4月にようやく一部屋空いただけだったんだからね」と返される。

俺はびっくりした。
反町がこのマンションに越してきた時には、大学に近いから偶々なのかと思ったくらいで、まさか俺の知らないところでそんな風に動いていたとは。

「・・・何のために?」
「・・・や、もういいよ。忘れて」

はあ、とため息をついてから、反町はおもむろに居住まいを正す。

「さて、これからのことなんだけど。日向さん」

俺は来た、と身構える。これを避けては先には進めない。
俺がΩであると公表するもしないも、反町の胸ひとつだ。勿論、公表されれば俺は今までどおりの生活はできない。大学には通えるだろうが、先天性のΩと違って、奇異の目で見られるだろう。

俺は顔を上げて反町を見返した。どんなことを言われて、その結果どうなったとしても、事実なのだから受け入れる。
終わりが来る日をずっと恐れてきたけれど、ある意味、苦しかった日々も一旦はこれで区切りがつくのだとしたら、しかもこの男が引導を渡してくれるのだと思えば、それでいいような気すらしてきた。


「仮でいいので、俺と番になりませんか?」
「・・は?」









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