~ 溶けて消えて、このカラダごと。 ~ 12







あいつの周りにはいつだって、普通に可愛らしいΩが傍にいた。高校の時だってそうだったし、大学に入ってからもそうだ。どうやら未だ一人に決めるつもりは無いようで、相手は定期的に替わっているけれど、でも反町の好みは一貫している。
華奢で細くて、守ってあげたくなるような女の子。

昔俺がαだった頃に「俺はΩであっても一人で生きていけそうなくらいに強い感じの子が好きだな」と言ったら、あいつは「俺はつい面倒みたくなっちゃうような、手のかかるトロい子が好きなの。あ、でも女の子限定ね」と言ってたっけ。その趣味はどうかと正直思ったけれど、あいつが選ぶ女の子を見ていたら、一切ブレていないのは分かった。

そんな反町なのだから、昨夜だってこの部屋に入ってくることさえなければ、俺みたいなのを相手にすることは無かっただろう。

         後悔しているだろうか、今。俺と同じように。

単なる事故と割り切って、忘れてくれればいい。それこそ犬に噛まれたとでも思ってくれれば。そして俺がΩであることを見逃してくれれば。

そうすれば俺も忘れる。きれいさっぱり、忘れて見せる。実際、昨日は閉ざされた場所に居合わせた結果、二人して性欲に流されただけだ。だからあいつが忘れてくれるなら、俺も頭から消し去ってやる。

「・・・それが一番、いいんだ」

知らず呟くと、喉がヒリついていて声がガラガラなことに気が付いた。昨日どれだけ声を上げ続けたというのか。俺はため息をついた。

俺のヒートは始まったばかりで、終わるまであと1週間はかかる。だが、それはいつものことだ。いつもと同じように薬を飲んで、自分で処理をすればいいだけのこと。そうやってやり過ごすのは慣れている。
だから、昨日のことは無かったことにしても大丈夫だ。あいつが俺との友人関係に未練があると思ってくれるなら       そうであることを望むけれど       、昨日知ったαの熱も匂いも、ちゃんと忘れられる。元どおりの友人関係を続けようと思う。


だけど。

もし、あいつが後悔しているとして。
それが行為に対するものというよりも、昨日の恥さらしな俺に対するものだったとしたら・・・?
αの友人だと思っていた男が実はΩで、雌犬のように浅ましく自分を欲しがる姿を見て、幻滅しているのだとしたら        

その場合、俺たちはきっともう、元の関係には戻れない。

八方美人とも言えるくらいに誰にでも愛想のいい反町が、俺にだけは侮蔑に歪む顔を向けるようになる       そんな様を思い浮かべると、グラリと視界が揺れた。

         気持ち悪い。

吐き気がして体を起こしていられず、再度シーツの海に沈みこんだ。
さっきは身体が軽く感じたくらいだった。体調は悪くないはずだ。じゃあこれは精神的なものなのかと思うと、やりきれなさを感じた。

こうなるのが怖くて今まで散々逃げ回ってきたのに。
夢も叶えられず、そのうえ蔑みの対象として生きていくくらいなら誰を欺いてもいいと、犠牲にしてきたものも多かったのに、やっぱりダメだった。


         どうして俺だけがこんな目にあうのだろう。どうしてαからΩに変わるのが俺じゃなきゃ、いけなかった?どうして俺が選ばれた?

最後にはいつもそこに行きつく。考えても詮無いのに、延々と繰り返し繰り返し、思考は行き止まりであるそこにたどり着く。

こうなるのが弟や妹でなくて良かったと思えばいいのか。
だけど、そこまで俺は人間ができていない。誰であっても代わってもらえるなら代わって欲しかった。

         うそ、だ。ごめん。ごめん。こんなの、俺だけでいい。

可愛い弟妹たちの顔が目に浮かぶ。俺をαだと信じて慕ってくれる直子と勝。俺がΩだと知って呆然としていた尊。

こんな風に、自分だけが・・・と思う度に、俺の中の大事なものが失われていくようだった。「俺じゃなければ」という考えは、いつだってふいにやってきては俺を襲う。浜辺に打ち寄せる波が砂を削っていくのに似て、俺の中から矜持や誇りといったものを奪い、少しずつ空っぽな人間にしていく。

どうせなら一思いに全て浚っていってくれればいい。俺というものがぜんぶ無くなって何も分からなくなれば、その方がよっぽど楽だ。

友人と寝たことへの悔悟と、弟や妹でさえも身代わりに・・・と考えたことへの自責の念で、頭の中がおかしくなりそうだった。気が付けば視界が涙で揺らいでいた。

もうこんなのは嫌だった。誰かに終わりを告げて欲しい。楽にして欲しい。消えてしまいたい。






その時、寝室のドアをノックする音がして反町が顔を覗かせた。

「日向さん、そろそろ、目が覚め・・・どうしたの!?」

反町は泣いている俺を認めると驚いたような声を出した。慌てたように部屋の中に入ってくると、ベッドの脇に膝をついて、シーツに頬をくっつけている俺の顔を覗き込む。

「どこか具合悪い?どこか痛い?・・・泣くほど辛い?」
「・・・おまえ、いたの」


まだいるなんて思わなかった。どうしてこの家にいるんだろう。

反町は俺の左頬に右の手のひらを当てると、親指でそっと俺の目から涙をすくい取った。そしてその指をそのまま自分の口に含む。
その一連の動作も、俺には意味が分からなかった。この男はどうしてそんなことをするんだろう、とぼんやりと見ていた。

「日向さん・・・。心配だよ。何かしゃべって」

さっき想像した、俺を忌むような冷たい表情はどこにも見られない。焦ったような困ったような、どうしたらいいのか分からないといった反町の表情は珍しく、それにも俺は困惑した。


分からないから、俺は何も言えずに黙って反町の目を見つめた。反町も同じように何処を見ているのかよく分からないような目で俺を見る。静かな部屋に俺の息遣いだけが響いて、反町は壊れ物を扱うような手つきで俺の髪を梳いてくれた。

そのまま目を逸らさずにいると、やがてお互いの顔が徐々に近づいて、額と鼻の先がぶつかった。それから次に唇が合わさる。

俺は目を閉じた。
軽く触れるだけのキスは、すごく優しくて鼻の奥がツンとした。

今まで通り友人でいたいなら、あんなのは一度きりで終わりにしなくちゃいけないって分かっている。そう分かっているのに、もうそんなことはどうでもいいような気がした。


この温かい体に包まれるなら。
この匂いを感じてていいのなら。


俺のαじゃない、俺だけのαになる筈がないって分かっていても、もうどうしようもなかった。流されてしまえ、と囁く自分がいる。

「・・は、ぁ」

キスは段々と深いものになる。俺は反町の肩にしがみついて、口を開く。

         やっぱり、あまい。

唇を離すと吐息が漏れる。それすらも飲みこもうとするかのように、すぐに唇が塞がれる。やがて昨日と同じくらいに強烈な官能が訪れて、俺はあっさりと陥落した。









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